故郷アイルランドはもちろんだが、オーストラリア、スペイン、フランス、マリ、エチオピア、ケニア、チベット、インド、そして日本など、世界各地のミュージシャンたちと、そこで暮らす人々や文化とも交流を広げながら、風のように自由に、誰にも真似のできない活動を続けている。17年ぶりとなる新作『PRAYER』は、そんなリアム・オ・メンリィの近況を伝え、人間や音楽に対する彼の思いがたくさん詰まったアルバムだ。パリのルノー・ガブリエル・ビオンから、ホットハウス・フラワーズのマーティン・ブランズデン、息子のキーアン、日本の笙奏者、東田はる奈、そして、推進力となった岩名路彦までが彼とともに、いろんな音を紡ぎながら景色を描いていく。神秘的で、精神的で、抽象的だけど、けっして情緒を忘れずに。聴いていると、ぼくらの暮らしの中での音楽の意味のようなことを、立ち止まり、大きく深呼吸でもしながら、じっくり考えたくなってくる。年末には、〈ケルティック・クリスマス〉への出演のほかに、小泉八雲の「青柳」をテーマにした特別公演も予定されている。インタビューは、夏にフジロック出演のために来日した際に行なった。
――ソロとしては、17年ぶりですが、どういう経緯でつくることになったんですか。
「2014年のケルティック・クリスマスで来日したとき、エンジニアでミュージシャンの岩名路彦さんに会ったんだ。彼が、“いつか一緒にアルバムをつくりたいと”と言ってくれて、そこからメールでやり取りを始めて、2019年に、フジロックで来日したとき、一緒に東京のサウンド・シティ・スタジオに入った。何をしたいというプランもコンセプトもなかったけれど、かまわなかった。ぼくは、即興演奏が大好きだからね。それに、伝統音楽はぼくにとっていつもそこにあるものなんだ。だから、伝統音楽を歌うし、それを歌うと自分の歯車が回り始めるのを感じる」
――そのときは、どの程度レコーディングは進んだのですか。
「1日だけだった。ぼくは、少し前に母を亡くした。彼女が亡くなる前に書いていたアイディアがあったので、それを試してみることにした。ピアノと速いバウロンのパートから、夢のようなハープのパートに入っていく、あの部分だよ。いま振り返ってみると、ピアノの部分では母はまだ生きているけど、人生の終わりに近づいている。で、ハープが入ってくるところで、母は息を引き取る。そして、人生の重圧から解き放たれ、大気や自然のすべてと一緒になり、ついに自由になるんだ」
――「彼女が朝日へ向かう旅支度」のことですね。
「そうだね、この曲が作れたことを本当にうれしく思っている。そのときのセッションを終えてしばらくすると、新型コロナウイルスですべてが止まってしまった。でも、あのロックダウンは、ぼくにとって大切な、スピリチュアルな時間だった。音楽を含めてあらゆることから少し距離を置くことができたからね。それと、散歩をすること、日の出を見ることが大切な日課になった。毎朝、太陽が昇るのを見て1日を始めることが習慣になり、祈りになった。そんな生活が続いているとき、東京の路彦からミックスが送られてきた。自然の音とかいろんな効果音が入ってて、そこからまたいろいろ加え、最初のセッションとはまた違うもう一つの声が、音楽の会話に加わった」
――笙はどうでしたか。
「あれは路彦のアイディアだった。聴いた瞬間、なんて素敵なんだろうと思った。(東田)はる奈との出会いは本当に素敵なサプライズだったね。贈り物といってもいい」

Photo by Masataka Ishida
――「マイ・ラガン・ラヴ」を含めて、古いトラディショナル・ソングを選ぶ際、基準のようなものはあったんですか。
「とくに深い考えがあったわけじゃないんだ。子供の頃、聴いたバンドの一つがホースリップスだった。彼らは面白いロック・バンドで、エレキ・ギターで伝統音楽を演奏したり、フルートを入れたりしていた。そのホースリップスが演奏する〈マイ・ラガン・ラヴ〉が好きで、メロディを覚えたりしていた。で、今回、“あのメロディがすごく好きだったな”と思い出したんだ。それに、北アイルランドの歌には、独特の美しいメロディと漲るパワーと深い意味がある。〈マイ・ラガン・ラヴ〉は、川を歌った歌であると同時に、その川のほとりに暮らす女性のことを歌った歌で、その女性は自然そのものの象徴でもあるとぼくは思う。この曲の一節“The night is in her hair(夜は彼女の髪の中にある)”を、しばらくアルバムの仮タイトルにしていた。このアルバムは、そうやってさまざまなイメージ、映像が目の前に広がるようなサウンドではないかと、自分では思っているよ」
――ぼくは、ヴァン・モリソンとチーフタンズのヴァージョンでこの曲を知ったのですが、あなたのヴァージョンでは歌とピアノの美しさがひときわ印象的でした。この曲にかぎらず、あなたにとってピアノという楽器はどういう存在ですか。
「ぼくの家には昔からピアノがあって、つねに蓋が開いていたんだ。だからぼくは、ピアノとの関係を築くことができた。ピアノは、出会いの場になり得る、というか、世界と世界がそこで出会うことを許す楽器だ。ピアノを演奏する人は大勢いるので、同じ音楽でもその人ごとの解釈で演奏できるし、音色もハーモニクスもさまざまだ。ぼくにとってピアノは、歌がそこに存在するための空間を描く絵筆なんだよ」

Photo by Shinya Matsuyama
――「木木の中を歩いて」では、息子のキーアンに、あなたがやってきたこと、人生で大切なことを伝えようとしているようにも感じたのですが。
「それは、ないかな(笑)。あれは、成田から東京に向かうタクシーの中で書いた歌詞なんだ。そのときの気持ちをそのまま歌詞にした。あの夏は、ぼくにとって感情的に揺れ動くことがあり、身体的にも痛みを感じていた。でも、ぼくはその痛みに何かを教えられているようにも感じた。人間は、痛みから逃げようとばかりする。だけど、痛みは何かを伝えるために来たのかもしれないと考えるべきなんだとね。人生では、少しずつ情報が入ってきて、そのうち残るものもあれば、去っていくものもある。理に適うこともあれば、適わないこともある。そんな中、偶然にも、いくつかの方面から同じ言葉を耳にした。それは、“痛みを、家に招いた訪問者のように歓迎しろ”ということだった。そんなことを学び、自分の健康の主になることの大切さを知ったんだ。それと、泣くということについても少しだけ歌っているよ。涙は、贈り物であって、恵みのように尊いものものだと。もちろん、タイトルどおりに、木々の中を歩くことについても歌っている。人を癒してくれる薬であり、すべてなんだってことをね」
――アルバムをお母さまのエヘネとトゥマニ・ジャバテに捧げていますが、トゥマニとは会ったことがあるんですか。
「うん、マリで会ったよ。もともと、ハープをぼくに薦めてくれたのはスティーヴ・クーニーだけど、彼が勧めてくれたトゥマニを聴いてみたところ、ハープの世界への扉が一気に開いたんだ」
――「エヘネ」は、お母さんのことを歌っていますが、ゲール語で歌うことが大切だったんですか。
「いや、たまたまだよ。英語でもよかったんだけど、たまたま浮かんだのがゲール語だった。自然に、流れるように生まれてきた」
――後半で、カタリーナ・ガリシアが歌うパートが、日本のお母さんの子守歌のように聞えて、すごく良かった。
「ありがとう」

ホットハウス・フラワーズ
――最後に、ホットハウス・フラワーズを含め、今後の活動について教えてください。
「ホットハウスのツアーは、続くよ。2月にオーストラリア、ニュージーランドのツアーが決まっているので、日本にも来られればと思うけど、まだその話は誰ともしていない。あと、このアルバムに関しては、まず日本でリリースするけど、その後どうするか、アイルランド、それ以外の国、もしかするとアメリカとかね、今後の話になるけど」
取材・文/天辰保文