KERA、還暦記念ライブ直前インタビュー(よりぬき版)

ケラリーノ・サンドロヴィッチ(KERA)   2023/03/24掲載
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還暦を迎えたKERAが「KERA 還暦記念ライブ〜KERALINO SANDOROVICH 60th Birth Anniversary Live〜」を開催。その来場者に配布されるパンフレットに掲載されたインタビュー「還暦(60歳)記念、KERAに60の質問」から抜粋した、スペシャル・ショート・ヴァージョン「30の質問」をお送りします。
KERA 還暦記念ライブ
〜KERALINO SANDOROVICH 60th Birth Anniversary Live〜

2023年3月25日(土)東京・恵比寿ザ・ガーデンホール
――早速、最初の質問を。〇廚そ个晃造蠅い舛个鷂鼎さ憶は?
 「赤ん坊の時に小児喘息だったので、週に2回だったかなあ、お尻に太い注射を打たれていたんです。その時の病院の光景かな。嫌だったんだろうね。注射器に緑色の液体が入ってた」
――太い注射に緑色の液体! ホラー映画みたいですね(笑)。父親の思い出をひとつ教えてください。
 「『5つの銅貨』(1959年)という映画があって、レッド・ニコルズというジャズマンの伝記映画なんだけど、そのなかでダニー・ケイが娘役の女の子をステージにあげるんです。そして、ルイ・アームストロングたちとセッションをする。それをテレビで父親と一緒に観た。それから少しして父親から演奏を見に来いって言われたんです」
――お父さん、ジャズ・ミュージシャンでしたよね。
 「うん。毎日のように演奏しているのに、なんでわざわざ呼ばれたのかな、と思って行ったら、突然ステージに上げられて歌わされた。多分、『5つの銅貨』をまねしたくなったんだと思う」
――そこでゴネたりせずに歌うところに、KERAさんのアーティストとしての素質を感じさせます。
 「思えばあれが初舞台。多分、ジャズを歌ったんじゃないかな。4歳か5歳の頃だよ。観客がこっちを見ている光景が記憶にある」
KERA
――では、J貎討了廚そ个鬚劼箸超気┐討ださい。
 「母親についてあまり多くを語りたくない。悪く言ってしまう自分が悲しくなってしまうので。ひとつ覚えているのは、出前でとったチャーハンの器を外に出したのに、母親は出してないと早合点してひどく怒られた。そういうのって子供は悔しいじゃない?」
――わかります。せ匐,虜△鳳洞舛鮗けたテレビ番組は?
 「ひとつ挙げるなら『ゲバゲバ90分!』(1969〜1971年)。“ゲバゲバ”っていうジングルを挟みながらショートコントが次々と繰り出される構成が新鮮でね。後に『空飛ぶモンティパイソン』を観た時もまずは構成に仰天した。奇しくも日本で『ゲバゲバ』が始まったのと同じ年に、イギリスでは『モンティパイソン』の放送も開始されたんですよ。両方とも『ラフ・イン』(1968〜1973年)っていう番組に影響を受けているんだけど」
――コメディ番組が大きく変わった時期なんですね。イ任蓮悒殴丱殴90分』からはどんな影響を受けました?
 「いろいろあるけど、ひとつはキャスト。常田富士男さんとか小松方正さんとか、新劇の人たちに笑いをやらせているところですね。“おどけるような人はコメディにはキャスティングしない”っていう僕のやり方は、『ゲバゲバ90分』に影響を受けてる。ポーカーフェイスの精神というか」
――子供の頃によく口ずさんでいた歌はありますか?
 「いっぱいありますよ。ヒット曲とかアニメ・ソングとか。アニメのソノシートはいっぱい持ってて、なかでも『悪魔くん』とか『河童の三平』とか水木しげるのアニメの曲が好きだった。アニメ・ソングからの影響はNo Lie-Senseに大きく反映されていると思います。そういえば子供の頃、自分が好きな曲を録音して、そこにDJみたいに自分の喋りを入れたカセットテープをクラスの友達に回して聞かせてたんです。今でも同級生に会うとそのテープの話が出る」
――それ聴いてみたいですね。Ъ分の音楽に影響を与えたミュージシャンやバンドは?
 「P-MODEL、プラスチックス、ヒカシューですね。同時期にいろいろ聴いてたけど、今に直結しているのはテクノ御三家。YMOは上手すぎて当時はあまり好きじゃなかった。フュージョンみたいに聞こえて。『増殖』(1980年)とか『スネークマン・ショー』(1981年)は好きでしたけどね。あと、ムーンライダーズも聴いてましたね。自分たちのスタイルをどんどん壊していくところがすごかった」
KERA
――┘謄ノ・スピリッツというものがあるとしたら、どんなものだと思いますか?
 「シニカルで非常に刹那的。当時のインタビューとか読むと、レコードを買ったら円盤みたいに投げてください、とかフザけたことばかり言って、プロモーションのための取材だろうに、ネガティヴなこと冗談しか言わない。そんな人ばかりでしたよ。おかしなことを真顔でやってる姿に影響を受けましたね」
――まさにポーカーフェイスの精神ですね。
 「そう。だから80年代は自分も、スタジオでは笑ってても、お客の前では当たり前みたいな顔をしているように努めてたし、初期有頂天のメンバーにもよくそんなことを説いてました。なかなか伝わらなかったけど。僕は昔からはしゃぐのは嫌いなんです。音楽や芝居を“おもちゃ箱をひっくり返したような”って表現されることがあるんですけど、そう言われてもあまり嬉しくない。ひっくり返さずに、変なおもちゃ箱を遠巻きに眺めているのがいい」
――その「変なおもちゃ箱」、ナゴムはKERAさんにとってどんな場所でした?
 「自分のレコードを出したくて始めたんですけど、途中から自分が見つけた音楽を大勢の人に聴いてもらいたいと思うようになっていった。たまを初めて見た時も、これを曼荼羅にきている30人くらいのお客さんしか聞いていないのはもったいないと痛切に思いました。最初は僕の独りよがりなレーベルでしたけど、最終的にはいろんなアーティストが集まるサロンみたいな場所になりましたね」
KERA
――初期の有頂天時代、ライバル視していたバンドはいました?
 「ライバルっていうわけではないですけど。メジャー・デビューした時は、ラフィンノーズとウィラードと自分たちがインディーズ御三家と言われていたので彼らの動向は気にしていました。といっても、てんぷくトリオだったら、自分たちは三波伸介でも伊東四朗でもなく戸塚睦夫のポジションでいいと、何かにつけて公言していたけど(笑)」
――KERAさんはテクノと出会う前に、お父さんの影響でジャズを自然に聴いていたわけですが、生まれた時から聴いていたジャズはKERAさんにとって特別な音楽ですか?
 「ある意味、原点と言えるかもしれない。子供の頃、無自覚に自分の中に植え付けられた音楽なので。秋元康プロデュースのソロ・アルバムの『原色』(1988年)を作った時、B面でジャズをやる予定だったんです。でも、大人の事情でダメになってしまって。その頃、入院していた父親に俺が歌うジャズを聞かせたかったんだけど、聞かせることが出来ないまま亡くなってしまったことがとても残念でした」
――そういうこともあって、のちにジャズ・アルバムを出したんですね。
 「そうです。およそ30年かかったことになりますね。オリジナル・ラヴが『LOVE! LOVE! & LOVE!』(1991年)を出した時、ビッグバンド・ジャズをやったんです。それを聴いた時の悔しさったらなかった。その頃、ニューウェイヴに飽きて有頂天を解散。LONG VACATIONを結成したんですけど、メンバーの中野テルヲに“こういうのをやりたいんだよ”って言った覚えがあります。ビッグバンド・ジャズなんて自分たちのフィールドでやったらいけないと思ってたんですよ。本当はやりたかったけど絶対失敗すると思ってた」
――当時、LONG VACATIONはKERAさんの渋谷系への返答とも言われていました。
 「あの頃、渋谷系はかなり意識してました。フリッパーズ・ギターのコンサートにもロンバケのメンバー全員で行ったし。家にあった映画音楽やジャズのレコードがレコード屋で高値になったり、フリッパーズとかピチカート・ファイヴがそういう音楽を引用したりするようになったことに焦りを感じていたんです。これまで、一人でのんびり聴いていた音楽に注目が集まるようになって冷静でいられなかった」
KERA
――そんななかで、KERAさんは演劇の世界にシフトしていきますが、ラジカル・ガジベリビンバ・システムから受けた刺激とは?
 「モンティ・パイソンをライヴでやってる!という衝撃でしたね。こういうことがやれるんだって。有頂天のライヴのゲストにいとうせいこうさんを呼んだんですけど、その打ち上げでせいこうさんに“宮沢章夫という天才がいるから公演を観においでよ”って誘われたのが最初でした。当時、小劇場ブームで野田秀樹、鴻上尚史っていう二大巨頭が大人気でしたけど、ラジカルはそういう人たちと全然違うことをやっていた」
――劇団健康を旗揚げした時はどんな劇団にしたいと思いました?
 「やっぱり、ラジカルみたいな集団ですね。でも、実際にやってみると、ものすごくヘタクソなワハハ本舗みたいになってしまって。劇団員で唯一の演劇経験者が田口トモロヲさんだったんです。あとの人は僕を含め、舞台の上手下手もわからない素人だったので、トモロヲさんにすべてを教わった感が強い。ただ、かなり間違ってましたね(笑)」
――KERAさんが脚本家/演出家として自分のスタイルが見えてきた、と思ったのはいつ頃ですか?
 「いや〜、当時のことは思い出したくないですね(笑)。映像も観たくない。犬山(イヌコ)もみのすけもそうだと思います。演出家と名乗るのもおこがましい。あえて言うなら『ウチハソバヤジャナイ』(1995年)の時かな。カフカの『変身』をイメージしたナンセンス芝居でLONG VACATIONが生演奏をしたんですけど、頭の中にある不条理コメディのイメージを、いくらか具現化できたという感触があったんです」
――1999年に岸田戯曲賞を受賞した時はどう思われました?
 「受賞した時は『フローズン・ビーチ』(1999年)の公演中だったんですけど、当時、雑誌の取材で犬山が“KERAさんこの芝居で岸田戯曲賞をとらないかな”って言っちゃってプレッシャーを感じていたんですよね。岸田戯曲賞は受賞してもダメでも電話がかかって来ることになっているんですけど、知らせが来ることになっていた日、僕は公演中でした。終演後に制作の部屋に行ったら“決まりました!”って言われた。みんなが喜んでくれる姿を見ると嬉しかったですね」
――葦薹牾萋阿鯆未犬鴇个い紡个垢觚き合い方は変わりました? 
 「笑いのなかでも、ナンセンスは自分にとってライフワークだと思っています。非常に哲学的だし、大げさに言うと、人が生きるということと深いところで繋がっている気がして。周りでナンセンスをやる人が少なくなればなるほど、自分は最後までやりたいという思いが強くなる。ただ、ナンセンスばかりをずっとやっていると頭がおかしくなってしまうので、今はシチュエーション・コメディを書くことも多いし、多様な笑いのヴァリエーションを試行錯誤しながらやっていくのが楽しい」
KERA
――では、少し質問の方向を変えて鰻觝Г録誉犬鳳洞舛鰺燭┐泙靴拭
 「結婚はとても大きいですね。25の時に家族が誰もいなくなって、完全に一人で生きてましたから。一緒にものを作りたいっていうのが、結婚の大きな動機だったんです。だから、今も音楽を作って最初に聞かせるのは緒川さんだし、2人でやる演劇ユニット、ケムリ研究室も立ち上げた。あと、僕は生活能力が全然ないんです。だから、ずっと独身だったら健康を害してただろうし、捕まってたかもしれない。自分でも知らないうちに何かをやらかして」
――とても良い影響を与えたんですね。では、欧海譴泙粘鬚靴った褒め言葉はありますか?。
 「最近では巻上公一さんに“歌がうまくなった”って言われたんです。ライヴハウスのステージ上で。そのMCのあと歌わなきゃいけなかったから、“プレッシャーだからやめてくださいよ”と言ったけど、嬉しかったですね」
――蓋鋲箸魎兇犬浸はどうしていますか?
 「今はあんまり孤独は感じないです。奥さんもいるし、猫もいるし、劇団やバンドもあるし」
――汗里呂匹鵑併に孤独を感じていたのでしょうか?
 「人間関係の緊張感がクリエイティヴィティに影響を与えることってあるじゃないですか。その煩わしさから孤独を感じることが多かったですね。バンドや劇団をやっていなかったら、こんなに孤独じゃないのにって思っていた時期もありました。有頂天がメジャー・デビューした時は、なんでこんな時に劇団なんかやるんだって事務所やレコード会社や、きっと一部のメンバーから思われてたし、劇団10周年記念本には愚痴ばかり書いているんですけど、その頃はどうやって劇団を解散させるかってことばかり考えてた。いつも、自分と自分以外の人たち、みたいな感じでした。先ほども言いましたが、25歳の時に父親が死んで戸籍上ひとりぼっちになったんです。母親は生きてたけど連絡はとっていなかったし。友達が当たり前のように正月に家族と一緒に過ごしているのを見ていると、少しは寂しいと思ったりもしたけど、それよりバンドや劇団で感じた孤独の方がずっと大きかった。今はそんなことないですけど」
――㉑孤独を感じなくなったのは自分の家族ができたから?
 「それもあるし、年齢も関係あるんじゃないですかね。だんだん、周りにどう思われても気にならなようになってきた。この歳になるとバンドで揉めることもないし、劇団もひたすら楽しくやれてます。でも、それって良し悪しかもしれない。若い頃は、そういう孤独が原動力になって思いもよらないものを生み出せたんじゃないかとも思うし」
――㉒あの頃は良かった、と思うことってありますか?
 「そういうのって、ある側面からしか見てないから言えることなんですよね。ちょっとニュアンスが違うけど、自分が生まれた頃に行ってみたい。高度成長期の日本って、いろんなことがないがしろにされていたひどい時代だったけど、あの時代特有の野蛮な躍動感みたいなものがあったと思うんです」
――㉓世間から誤解されているだろうなって思うことはありますか?
 「いっぱい誤解されてると思いますよ。誤解してもらって良かったっていうこともあるし。ある時期まで自分で作ったパブリック・イメージから抜け出せずにいました。なんでも笑い飛ばさないと納得してもらえないような気がして、真面目なメッセージを出すことを憚ったり、嫌ってもいないのに無理して他者の悪口を言ったりしていたこともありました」
KERA
――㉔紫綬褒章の知らせとパラリンピック開会式のオファー、どっちが驚きました?
 「紫綬褒章の時、マネージャーから電話がかかってきたんですけど、その興奮した声に驚きました。えっ、どうしたの?って。紫綬褒章っていわれてもピンとこなかったですけど、皇居でやった授章式に行った時はすごいなって思いましたね。でも、そんなに立派な賞なんだったら税金免除してほしい(笑)。国民栄誉賞か何かは税金免除だって聞いたけど」
――じゃあ次は国民栄誉賞を。
 「ないない(苦笑)」
 (編注:残念ながら国民栄誉賞は税金免除ではないそうです)
――㉕もし、KERA賞が設立されたとしたら対象者はどんな人にしますか?
 「面白いのに報われない人にあげます。最大公約数的な評価を受けにくい人にあげたいですね。かつての自分のような」
――㉖KERAさんの人生が映画化されるとしたら監督は誰に?
 「誰だろう」
――亡くなった人もありです。
 「じゃあ、川島雄三」
――それは観たい!㉗KERAさん自身でやるとしたら、どんな映画にしたいですか?
 「ナゴムの話を、市川準監督の『トキワ荘の青春』(1996年)みたいに淡々としたタッチで描くとか。過剰さとか生々しさって、淡々と描くことで初めて見えてくる。派手な装飾の中でだと埋もれちゃうんです」
――㉘KERAさんから見てナゴムのアーティストはどんな人たちでした?。
 「一言では言えないな、みんな性質はバラバラだったから。だけどある種の奥ゆかしさがあったのではないでしょうか。勢いでやってるわけではない鋭利さがあった。当時、大槻は何も考えずにやってるんだと思ってたけど、その後、僕ら(有頂天)のことを反面教師にして戦略的にやっていたと聞いて、すごいなコイツって思ったんです。このタイミングでこんな風に言うとゴマすってるみたいだけど、ナゴムで一緒にやってきた人のことはみんな尊敬してます。報われないまま亡くなった人もいるけど、みんな才能あったし、一緒に音楽とかジャケットの話をしたのはかけがえのない時間だったと思います」
――㉙そんな仲間たちが集結した還暦ライヴですが、どんなことを楽しみにしていますか?
 「60年生きただけのことなんだから自分一人で祝えばいいものを、いろんな人を巻き込んでしまって。まったく申し分けない。ありがたいことです。まったく、どうしてこんなことになってしまったのか(笑)。50歳の時に4デイズをLOFTでやったんですけど、それがもう大変だったんです。途中で声が出なくなったりして。あの大変さはもう繰り返したくない。だからあんまり気負いせずに、のびのびとやれたらいいなと思ってます。こっちが楽しくやってたら自然とお客さんも楽しんでくれると思うし、そういう人選、構成にしてあります。呼びたかったけど人数が膨らみ過ぎて断念した人や、スケジュールが埋まっていて出演が叶わなかった人もいます。とにかく、今は早く終わんないかな、と思っていて(笑)。終わった時にスッキリするのが楽しみですね」
――では最後に、㉚いろんなことを始めた10代の小林一三くん(KERAの本名)にメッセージを
 「あの頃の自分は誰の話も聞かなかったから、何を言ってもムダ(笑)!」
KERA


取材・文/村尾泰郎
撮影/斎藤大嗣
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