仲間と描く、東京の物語 DONY JOINT『A 03 Tale, ¥ella』

DONY JOINT   2017/06/09掲載
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 昨年アルバムでメジャー進出を果たし、各メンバーがソロとしても積極的に作品を発表するなど、さらに注目度が高まっているヒップホップ・クルー、KANDYTOWN。その中核を担うひとりであり、JASHWONを中心に、DJ NOBU a.k.a. BOMBRUSH!LOSTFACEらを擁するプロデュース・チーム“BCDMG”にも所属するラッパーのDONY JOINTがアルバム『A 03 Tale, ¥ella(ア・ゼロスリー・テール・イェラ)』を発表。仲間たちのバックアップのもと完成したその内容は、映像で言えば“銀残し”で現像されたような渋くくすんだトーンを基調にしながら、芯にはしっかりとした熱をはらむ。彼の描く物語を感じ取ろう。
――DONYくんの所属するKANDYTOWNは和光学園出身者が多いですが、DONYくんも和光の出身?
 「いや、僕は喜多見の公立校です。ただKANDYは喜多見の出身者が多いんで、地元は一緒って感じです。その中でも、KANDYTOWN / BANKROLLのSANTAくん(B.S.C)くんは彼のほうが2歳上なんですけど、同じ小学校の出身で、二人とも野球をやってて、そこで繋がってました。それでSANTAくんが後にBANKROLLになっていく和光の連中と繋がってて、そこに俺も混ざっていった感じですね」
――スポーツ少年って感じだったんですか?
 「中学までは野球部で部活もちゃんとやってたし、意外かもしれないけど、生徒会の副会長とかもやってましたよ(笑)」
――確かにちょっと意外かもしれない(笑)。「Nice One」で書かれているように、お母さんがソウルやブラック・ミュージックを聴いてたのが音楽的な原点?
 「そうですね。子供の頃から親がそういう音楽を聴いてたんで、自分としても自然と体に入ってる感じです。だから後々になってソウルを聴き直したり、元ネタを知った時に“あ、この曲聴いたことある”とか改めて気づいたりするんですよね。母親の影響に加えて、YUSHIや呂布くんだったり、BANKROLLやKANDYの連中に教わったことも多いし、曲の中にも出てくるMUROさんの『DIGGIN' ICE』シリーズも、KANDYのメンバーから教わったんですよね。本当にあのミックスにはKANDYの連中はみんな影響受けてると思う」
――その経験がMUROさんプロデュースの「Nice One」に繋がっていくのが、スゴく印象深いですね。では、ヒップホップと出会ったのは?
 「中1の時にTSUTAYA行ったら、般若の『おはよう日本』っていうアルバムがあって、なんだこれ、ジャケットで刀持ってるし、って興味が沸いて借りたんですよね」
――ジャケ買いならぬジャケ借りだ。
 「だから、この作品が日本語ラップだってことも分かってなかったんですけど、聴いた瞬間に瞬間に“こんな曲あるの?! 半端ねえ!”って自分の世界が一気に広がった感じだったんですよね。ラップも勿論ですけど、途中で喘ぎ声とか入るじゃないですか(笑)。こんな音楽が、こんな音楽のやり方があるんだ、って衝撃を受けたんですよね。それでSANTAくんの家に行ってその話をしたら、SANTAくんも『おはよう日本』や日本語ラップをもう聴いてて。そこからラップのことを色々教えてもらったんですよね。それは日本語ラップだけじゃなくて、WU-TANG CLANとか海外のラップも含めて」
――世代的に、日本語ラップから入って日本語ラップだけを聴くって人も多いと思うけど、DONYくんはそうはならなかったんですね。
 「そうっすね。それからしばらくしてBANKROLLが出来上がっていく中で、身近でこんな格好いい音楽をやってる人たちがいるんだ、って思ってから、日本語ラップは逆に聴かなくなって、周りの仲間が作る音楽と洋楽ばっかりになりましたね」
――BANKROLLもまだ高校生だから荒削りだった部分もあったと思うけど、どういった部分が格好良いと思ったんですか?
 「やっぱりラップがみんな上手かったし、言ってることも面白いし……って感じですかね。それにトラックの影響もあったと思います。当時はDJ PremierとかThe AlchemistPete Rockとかのインストでラップしてたんで、サンプリングがビートの肝になってたし、その感触も自分の性にあったんだと思いますね」
――DONYくんもBANKROLLに参加する訳だけど、リリックを書き始めたのは?
 「中2ぐらいですね。聴き始めた頃からちょいちょい書いてたんですけど、ちゃんとラップとリリックを組み立てたのは中2の時ですね」
――DJなどではなく、ラップを選んだのは?
 「BANKROLLのレコーディング風景やスタジオ作業をみて、それがとにかく格好良かったんですよね。それで俺もやりたいなって。やっぱラッパーは格好いいし、モテたかったんで(笑)」
――「モテたくて音楽やってるわけじゃない」とか言われたらスゴく冷めるとこだった(笑)。
 「絶対嘘でしょ、そんなの(笑)」
――最高だね。その時に書いたリリックは憶えてますか?
 「缶コーヒーがどうとか、そういうしょうもない内容でしたね。でも、自分で一番気合い入れて書いた記憶があるのは、結構ポリティカルな内容で、社会的なことを訴えてたっすね。別にそれをメインにしてた訳ではないけど」
――KANDYはポリティカルやコンシャスとは違う、日常性がテーマになっている場合がほとんどだから、それもちょっと意外ですね。
 「でも、その時のフィーリングで書いてるっていうのは変わってないし、ポリティカルな内容も、たまたまニュースを見て思ったことだったんで、“日常の中にある”ってことは変わらないと思います」
――初めてレコーディングをしたのもその時期?
 「そうだったと思います。とにかく自分の声が乗ってるっていう時点で楽しかったし、刺激的でフレッシュな体験でしたね。ただ、他のみんなが巧すぎたんで、とにかく自分のラップはヘタだな〜って。格好つけてわざと声をガラガラにして録って、聴いた瞬間“だせえ!”みたいなこともあったり(笑)、そうやって色々試行錯誤はしてました。それで今日もレコーディングしてーな、と思ったら、適当に集まって曲作ったり。そういう“遊び”の中でBANKROLLに合流していって。ライヴに出たのもその時期ですね。だから中2か中3。町田のFLAVAでしたね」
――その一方でBANKROLLと共にKANDYTOWNを構成するYABASTAにも参加しますね。
 「和光組のIOくんやYUSHIの後輩の中に(YOUNG)JUJUがいて、JUJUの地元の経堂にはMIKIやGOTTZがいたんですよね。その同い年チームが繋がって、その連中でもラップをするようになって。それがYABASTAの始まりですね。最初は“赤い羽根募金ズ”って名前だったんですよ(笑)」
――ハッハッハ。心優しいグループ名じゃない!(笑)。
 「適当すぎますよね(笑)。で、ちゃんとやろうって話になった時に、YABASTAに改名して。でも、ホントはYABASTAを俺は辞めてるはずなんですよ、正式に。YABASTAはヤングだし、やっぱ俺はBANKだわ、って(笑)」
――自分の学校にはラップの話を出来る人や、一緒にグループを組むような人はいなかった?
 「全然いなかったですね。友達がいなかった……いるんだけど、馬が合うとか、趣味が合うみたいなやつはいなかったんですよ」
――野球部で、生徒会の副会長やるぐらいだから、人望はあったのに。
 「プロップスは得てるんですよ(笑)。でも趣味的な部分は違うというか。SANTAくんとか年上の人と遊ぶことが多かったし、今でも地元の友だちと遊ぶっていったら、KANDYのメンツ以外は殆どいないですね。でも給食の時間にBANKROLLの曲を流したりしてましたね(笑)。だから学校終わったら同級生と遊ぶよりもKANDYの連中と遊んでたし、300円あったら渋谷まで出てBOOT STREETとかCISCOに遊びに行ってましたね。とにかく音楽が聴きたかったんで」
――BOOTではIOくんが働いてたんだよね。
 「そうっすね。BOOTはかなり行ってたっすね。色んな音楽を聴かせてもらったし、余ったCDとかもらってきたり。とにかく(BOOT STREETを経営してた)D.Oさんが好きだったっていうのもあります。それでIOくんがBOOTで働いてた流れでJASHWONさんにトラックをもらったりして、デモを作ってたんですよね。JASHWONさんは、自分の好きな音楽やトラックを提示してくれるプロデューサーだってリスナーとして感じてたし、それで俺もJASHWONさんにデモを送ったりして。そこからBCDMGとも繋がっていって」
――BCDMGとのディールは一方的に引き抜かれたんじゃなくて、ある意味では相思相愛だったというか。そして、KANDYはここ数年で爆発的に注目をされる存在になったけど、そこでの心境の変化はありましたか?
 「単純に嬉しいっすね。やり方を変えてる訳でもないんで、自分たちが格好いいと思ってやってきたことが、純粋に認められたんだと思う。だけど、今までクルーとして動いてたけど、KANDYが乗ってきたから今だからこそ、ソロの力をつけていかないとな、っていうのはみんな思ってるんですよね。ソロへの意識は元々あったけど、その熱はもっと高まってますね」
――確かにみんなソロも積極的にリリースしてるよね。
 「結局、一人一人がヤバくないと、クルーとしてヤバいってならないと思うし。ウータンに憧れてたんで、一人一人が活躍しつつ、集まったら最強っていうのが理想なんですよね」
――その流れの上にDONYくんのソロ『A 03 Tale, ¥ella』もあると思うけど、BSDMG所属組としては、IOくん、YOUNG JUJUくんが先にリリースを展開していて。それについて焦りはありましたか?
 「特には無かったです。人に対する焦りよりは、制作が上手く進まなかったり、期限っていうものに対する焦り、自分に対する焦りはあったっすね。なるべく気にしないようにしましたけど」
――期限を気にしないようにしてた結果、発売延期と(笑)。
 「すみませんとしか言えないんですけど(笑)。でも、最初はどう進めていいか、ホントに手探りでしたね。先に出したIOくんとJUJUがサポートしてくれたんで助かりましたけど、俺一人だったら今年の年末ぐらいになってたと思います」
――威張って言うなって感じだけど(笑)。
 「時間がかかったのもあって、最初に予定してたビートや内容の感触とはガラっと変わってますね。制作を進めていく中で、全体の空気が分かっていく中で、もっと渋くていいなと。それで、その方向で取捨選択を進めていった感じですね」
――今作に比べるとKANDYのアルバムはもっと派手な感触があるし、他のメンバーのソロとも当然だけど違う温度がありますね。だから、この渋い感触がDONYくんの温度だとも感じて。
 「とにかく自分らしいモノを作りたかったんですよね。とにかく渋いのが好きで、渋く生きたいとしか思ってないので。そこからジャケのイメージとか、曲のイメージを固めていって」
――その意味では、KANDYとソロの自分とは切り分けてる?
 「そうですね。制作に入る時点で気持ちが違うと思います。ソロだと自分ひとりなんで、好きなように出来るし、全部自分に返ってくるものなんで、もっと自分で管理したいなって」
――だから、BANKROLLのクレジットになってる「B R-ight」は派手な感触があるけど、他の曲は渋い聴感が強くて。それはビートが担っている部分も強いですね。
 「ビート選びには時間がかかりましたね。今回はサンプリングをビートの中心にしたんですけど、それは今まで自分が聴いてきた音楽が、刺激されたビートがサンプリングが中心だったし、それが自分の中で一番格好いいサウンドだと思うんで、ルーツに戻るっていう気持ちや、自分のこれまでを表現するのには、サンプリングは欠かせないし、それで纏めたかったんですよね」
――プロデューサーからの指示はあった?
 「基本的には自由にやらせてくれました。強いて言えば、エンジニアにNEETZくんが就いてくれてたんで、NEETZくんと相談しつつ進めたり、呂布くんがプロデュースした〈Good Times(feat. Ryohu)〉は、がっちり呂布くんにアドバイスとサポートをしてもらって」
――イントロに続く「Vice City」がハードな感触があったので、その方向で進むのかと思いきや、続く「NICE ONE」では音楽遍歴を描いていたので、その変化の付け方も面白かったんだけど、それもトラックの感触の違いによるものですか?
 「そうですね、トラックを聴いてのイメージの違いですね。〈Vice City〉はトラックを聴いた時に『マイアミ・バイス』が浮かんできて、そこから形にしていったり。リリックは書き溜めたりもしてるんですけど、今回はビート選びと同時進行だったんで、書き溜めたものよりは、ビートありきで作っていったリリックが多いですね。トラックから大体のテーマを作って、そこに基づいて自分のイメージする世界を広げていって書くのが基本ですね」
――だから、渋さは共通してるんだけど、内容の性格は楽曲ごとにかなり違いますね。同時に「Good Times」での“昨日より今日、明日を目指そう”とか、「Godspeed You」の“ひたすら走り続けていたい”のような、熱さを感じるワードも印象的だし、いわゆるKANDYTOWNにイメージされるクールさともまた違う方向性があるなって。
 「単純に思ってることだし、それをヘタに言うよりはストレートに言っちゃおうって。そういうリリックは多いかと思いますね、今回の作品には」
――「Godspeed You」の中で“死んだ兄貴の分まで”というリリックがありますが、これは……。
 「YUSHIのことですね。YUSHIの存在は本当にでかくて、みんなラップ始めたキッカケや、BANKの活動は、みんなYUSHIについていって始まったことだし、すべてのキッカケなんですよね。だから彼がいなくなった分、俺らがやらなくちゃいけないことがいっぱいあるし、“YUSHIの思いを止めたくない”って気持ちで書いたんですよね」
――“達郎ユーミンサザン”というリリックが出てきますが、HMVに掲載された影響を受けた盤10選の中にも、山下達郎の作品がランクインしていて。
 「リスペクトの気持ちです。そこを目指すなんておこがましいってぐらいのリスペクトがあります。その人たちぐらい、自分の音楽をやり続けられたら嬉しいですね。朝はヤマタツで始まりって感じだし、ライヴ行きたいっすね、ホント(笑)」
――もう一つ、今回のタイトルについても解説をお願いします。
 「“A 03 Tale”は“東京の物語”です。“¥ella”っていうのは自分の造語なんですけど、“仲間”を意味してるんです。NYに行った時に、いろんな人種がいて、みんな自分の肌の色に誇りをもってることに、やっぱり感じ入ったんですよね。それで俺は黄色なんで“YELLOW”、それと映画『GOODFELLAS』のタイトルから、仲間を表す“FELLAS”を組み合わせて、そこに“金を掴む”ってことも組み込んで“¥ella”って言葉を作ったんですよね。だから、意味としては“仲間との東京の物語”って感じですね」
――最後に、このアルバム以降の動きは?
 「とりあえずはソロでのライヴですね。ソロのライヴはそんなにやってないんで、パフォーマンスの質も上げていきたいし、そこで色々発見したり、練ったりしていければなって。作品としても2ndを考えてるんですけど、ちょっと違う方向性になるかも知れないですね。今回でサンプリングとラップを組み合わせることを形にしたんで、そこから違う可能性も試してみたいなって」
取材・文 / 高木“JET”晋一郎(2017年5月)
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