80年代後半、環境音楽ともニューエイジとも呼びづらい独特なインスト・サウンドで注目された後、90年代には『東京ラブストーリー』など多くのトレンディ・ドラマのサントラ作曲家としてヒットを連発した日向敏文。近年は86年の楽曲「Reflections」が海外のリスナーの間で大評判となるなど(2025年5月時点でのストリーミング再生回数は1億3300万回超)、ふたたび熱い脚光を浴びている異能の作曲家が今回放つ『the Dark Night Rhapsodies』は、なんとフル・オーケストラによるインスト・アルバムである。
――85年のデビュー作『サラの犯罪』から90年の『いたずら天使』まで、アルファでの7作品は、どう位置づければいいのか戸惑ってしまう作品でしたよね。タイプとしては環境音楽やニューエイジ系だろうけど、その静謐さの中にどこかしら不安と希望が入り混じったエモーショナルな主張が感じられました。
「当時の日本はバブルに突入していく頃で、音楽的にはテクノとニューエイジとフュージョンの時代でした。レコード会社も僕にニューエイジものを期待していたはずだけど、作りながら“これはプロモーションできないだろうな”と自分で感じていた。申し訳なかったです。結果、セールス的にもダメだったし。でも今リスナーの世代が変わり、違う感覚や文脈で当時の僕の音楽を捉えてくれる人たちが増えた。ジャンルではなくひとつの音楽として受け取ってもらえるようになった。だから、結果やってよかったなと今は思っているんです」
――今回、デビュー作から前作『Angels in Dystopia - Nocturnes & Preludes』(2022年)まで全部聴き直したんです。音作りの手法はいろいろ変化してきたけど、根幹部分はずっと地続きで、何も変わってないなと僕は感じたんですよ。
「それはありますよね、自分でも。まだまだ追求し続けているというか、ずっと探しているような感じ。終わりがないっていうか」
Photo by Daijiro Yoshimura
――高校卒業後イギリスに渡り、さらにアメリカに移ったのは、音楽ではなく環境学を勉強するためだったそうですね。レイチェル・カーソンの『沈黙の春』に影響されて。
「高校時代に『沈黙の春』を読んで、農薬問題や生命の連鎖ということに関心を持ったんです。ウィスコンシン州の大学での環境学の勉強は一般教養科目程度だったけど、そこで出会った学生たちとの交流がすごく刺激的でした。一緒にニジマスを釣ったり鹿を弓で狩ったり。森の中のヒッピーのコミューンみたいな場所にもよく行ったし」
――そういう体験が、音楽家としての日向さんの表現にも深いところで影響を与えているように感じるんですよ。目に見えないところですべての生命がつながってる、この星でみんなで共生してるんだという環境学的な意識の持ち方が、風景画的なニューエイジ系じゃない、ある種の不安や哀しみを孕んだ日向さんの作品の土台になっているんだろうなと。
「だと思います。実際、あのリベラルな環境や社会的体験が音楽に反映されるといいなとずっと思ってきたし。今でもあそこで知り合った人たちのことをよく思い出すんです。そういう意志を持ってた人たちがいる、いたってことを」
――新作は初の本格的オーケストラ作品ですね。とてもゴージャスかつ重厚な。
「『いつかどこかで』(2009年)を出した後しばらく音楽と距離を置いていたんですが、ふたたびやりだしたとき、自分で演奏すること以上に音楽を作るという意識が高まり、自然とオケ曲を書くようになりました。楽譜がどんどん溜まっていったんですが、オケものっていうのはお金がかかるし、簡単には実現できない。で、ピアノにヴァイオリンやチェロを加えた前作を出した頃に、Instagramでハンガリーのブダペスト・スコアリング・オーケストラの存在を知ったんです。日本よりもかなり低予算で録音できるらしいのでメールしたら、“問題ない。それならいくらでもできるから”とすぐに返事が来て、具体的な録音スケジュールも立ててくれた。結果的には、5時間ずつ2日間録音して、ちょっとこぼれたぶんを日本に帰ってきてからリモートでやりました」
――録音現場でのトラブルや苦労は?
「とくになかった。ほぼ問題なく英語でコミュニケーションがとれたし。いちばん良かったのは、ものすごくハッキリしてることです。つまり、日本だとなかなか言いにくいようなこともあるんですが、ダメなところはその場ですぐダメと言ってくれと」
――遠慮なくNGを出せと。
「そう。直したいポイントを言えばすぐに演奏者たちに伝えてくれる。彼らはプロだから、傷つくとかそんなことはまったくなくて。明快に意思表示しなければ時間どおりにいいものができない、遠回しに言うのはぜったいダメだと最初に言われたんです。多くの人がハンガリー国立フィルハーモニー管弦楽団などのメンバーなので、技量的にもまったく問題なかったし、現場の楽しそうな雰囲気も良かった。大正解だったなと思いました」
日向敏文(左)とエンジニアのViktor Szabó
レコーディング中のブダペスト・スコアリング・オーケストラ
――それにしても、何かの企画ものでもなく、作曲家としての作品を一枚全部オーケストラで表現する作品なんて、今どきなかなか出せないですよね。
「やはり、ネットでの〈Reflections〉のブレイクが大きかったと思います」
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――あの曲が冒頭に収録されたサード・アルバム『ひとつぶの海』は、日向さんの作品群の中でもとりわけ内省的で複雑な感情が渦巻いているように思います。
「Instagramには海外からたくさんのメッセージが送られてきます。極端な例だと、命を救われたみたいなことまで言ってくる。そこまですごい感情をあの曲の中に見出してくれる若者たちがいるんだなと驚くし、責任みたいなのも感じているんですが……当時の僕の中にあったさまざまな思いと同期するものが今の若い人たちにあるんでしょうね」
――今、疑問や不安や孤独感に覆われた難しい世界ですしね。
「そう、みんな、不安の中にあるんだと思います。Spotifyとかで聴かれているエリアの世界分布を見ると、やっぱりアメリカが多い。あと中近東やアフリカ、そしてヨーロッパやアルゼンチン。独裁政権や極右政権下にあったり、大きな社会的混乱を抱えたりした地域の人たちが多い気がします」
――日向さんの曲には随所でフランス印象派やリムスキー=コルサコフなどさまざまなクラシックの作曲家の技法やテイストを感じますが、いちばんの特徴はメロディの強さだなと、このオケ作品であらためて思いました。
「僕もそう思う。メロディがいちばん。自分が納得いくメロディができるまですごく時間をかけますね。中途半端なメロディじゃなく、とことん詰めて、やっと自分の音楽として出せるな、と。まあこのアルバムの中でも、もっとこうすれば良かったっていうのはありますけど、それは次のステップにつながると思っています」
取材・文/松山晋也