島田奈美、最新ベストアルバム発売 島田奈央子、島田奈美を語る

島田奈央子   2019/06/05掲載
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 現在は、音楽ライターやプロデューサーとして活動している島田奈央子が、島田奈美名義で歌手活動をしていた時代の曲をセレクトしたアルバム『NAMI SHIMADA songs selected by NAOKO SHIMADA』が7月3日にリリースされる。今回のアルバムの特徴は、本人が初めて選曲・監修を手がけたことはもちろん、その内容がシングル曲ではなく、アルバム収録曲から選ばれていることにある。以前より、彼女の残した楽曲のクオリティの高さは、若い音楽ファンの間で高く評価されており、特にクラブシーンで人気なのだという。そんな彼女の、ライトメロウなポップスからクラブ・ミュージックまでを取り込んだハイクオリティの作品の数々が1枚のアルバムという形となって届けられた意味はとても大きい。それを記念して、歌謡曲リミテッドにて、島田奈央子が島田奈美時代の自分を語るというインタビューが実現した。その貴重さは、ファンのみならず、歌謡曲ファンなら、誰もが知るところであろう。
 予備知識や先入観なしで、音楽として聴いてもらいたい。
* * *
――今回、島田さん自身の選曲によるベストアルバムが出ることになりました。まず、率直な感想をお聞かせください。
「歌手を引退してから30年近く経つのに、それでもこのように新しいCDを発売していただいて、評価されることを嬉しく思います」
――シングル曲が入っていないという画期的な内容ですね。
「コロムビアのディレクターの田中(亮平)さんから最初にいただいたお話は、ベストアルバムと言うことでしたので、シングル曲を中心にした内容なのかなと思ったんですが、話を聞いてみると「そういうベストはすでに出ているので、今の島田さんが選曲して作りたいコンピレーションにしてほしい」と言われ、「シングル曲が1曲も入らなくてもいいんですか?」と聞いたら「なくてもいいです」という答えでしたので、これは面白いかもしれないと思ったんです」
――この企画を通したのはすごいですね。
「きっと、社内では賛否両論あったんじゃないかなと思うんですが(笑)」
――それで今回、このベストのために、久しぶりに歌手時代のことについての取材を受けていただけると言うことですが。
「田中さんは、私が芸能活動していた時期を知らない世代だと思うんです。そういう世代の違う人が、私のアルバムを聴いて、興味を持ってくれて、今回のアルバムをやってくださるということで、私もやる気になったんです。私の中で、過去のことはカギをかけてしまっておいたものだった気がするんです。そのカギを開けてくださったということなんだと思います」
――ファンも嬉しいでしょう。田中さんに感謝します(笑)。貴重な機会ですので、島田さんの音楽背景について、お伺いしたいのですが。島田さんが最初に音楽を意識したのはいつごろのことですか。
「15歳くらいのときに聴いたビートルズですね。当時所属していた事務所にSallyというバンドがいて、彼らが影響を受けたのがビートルズという話を聞き、そこから私も興味を持ち始めたんです。クラスにも何人か、ビートルズファンはいました」
――最初が洋楽なのですね。その当時流行っていた歌謡曲やアイドルポップについてはいかがですか。
「兄が歌謡曲を聴いていたので、『ザ・ベストテン』や『トップテン』といったテレビ番組は、よく観ていました。『トップテン』は実際に、渋谷公会堂に観覧しにいったことがありましたし。でも、特に誰かのファンだからということで観にいったわけではないのですが、そのステージがすごくステキに見えました。特に松田聖子さんの歌が飛び抜けて上手くて、印象に残っています」
――そんな島田さんが芸能界に入られた時の目標は覚えていますか。
「最初の頃は、女優さんになれたらいいなと思っていました。いま振り返ってみれば、当時はまだ15歳くらいの子が考えたことですので、ざっくりとしたものだったのでしょうけど」
――憧れた人はいましたか。
「薬師丸ひろ子さん。でも、途中で自分は演技に向いていないなということに気づいたんです。自分の気持ちがわくわくするのは、演じることではなく、音楽で、歌を歌うことだと自覚したので、自然とそっちの方向に進んでいった感じです。とはいっても、その時はそれが自分に合っているのかということまでは分かりませんでした」
――15歳ですから、仕方のないことかもしれませんね。
「洋楽指向ではあったんですが、歌謡曲への抵抗はなく、歌手になってからは、ディレクターさんから与えられた曲を自分なりに解釈をして歌っていました。ただ、当時からこういう曲は好きとか、こういう曲は自分には似合わないとか、そういうことは15歳なりにいろいろ考えてはいました。今でもたまに当時のディレクターさんとお話をすることがあるんですが、「あのアルバムのあの曲は好きではなかったでしょう?」と言われて、「そうだったんです」って、思い出したりしました」
――当時はディレクターの指示のまま歌っていたと。
「そうですね。言われるがままに歌っていましたね。でも、もしかしたら自分の意見は言っていたかも……(笑)。かなり昔の事なので、記憶が曖昧になっていますが……。ひとつ言えることは、当時から好き嫌いは、はっきりしていました」
――島田さんの作品は、多くの作家が提供していますが、印象に残っている人はいますか。
「林哲二さん、杉山洋介さん、広谷順子さん。広谷順子さんからいただいた曲は自分にぴったりだと思っていました。当時は、作家さんにレコーディングスタジオに来ていただき、歌唱について注文されたり、「歌いづらい箇所があったら、こう変えましょう」という感じで、その場で細かいところを詰めていくことがありまし」
――途中からご自身で作詞するようになりますよね。歌詞を書くことに興味があったんですか。
「自分の曲のために、詩を書きためるようなことはしていませんでしたが、小学生時代からノートにポエムを書くことはしていました。ちょっと暗い子どもだったのかな(笑)。何冊も書いていましたね。それをクラスメイトと見せ合ったりしていました」
――それが、作詞に反映されていたんですかね。
「最初の頃は、メロディに言葉を乗せると言うことがどういうことかわかりませんでした。人にいろいろアドバイスをもらって書き上げた曲が、2枚目のアルバム『ほほえみをあなたに』に入っていた「Twinkle Christmas」という曲です」
――曲先で作詞をされていたんですね。
「まわりの人から「逆のパターンもやってみない?」と言われたこともあるんですが、自分のやり方とは違うと思って、断りました。曲を聴いてイメージを膨らませて歌詞を書くのが自分のやり方だったのかもしれません。多くの歌詞を書くなかで、すんなり出来たものもあれば、生みの苦しみを味わったものもあって、時間がなくて学校の授業中に書いたこともありました。先生に見つからないように(笑)。学校の勉強よりそっちのほうが好きでした」
――学業との両立は大変でしたか。
「最初は一生懸命勉強をしていましたが、音楽に目覚めてからはわりと疎かになっていきました。デビューしてから2年目くらいですかね。友達がノートを貸してくれていたので、助かっていましたが、国語の成績だけは勉強しなくてもいい点が取れていました。それが今の仕事、文章を書く仕事につながっていると思います」
――作詞のクレジットは本名でしたね。
「そうですね。今読み返すと、未熟といいますか、選ぶ言葉の引き出しが少ないなと思いますが、当時はあれが精一杯でした。いつだったか、松本隆さんに何度か自分が書いた歌詞を読んでいただいたことがあって、「磨けば大丈夫」と言われたことを覚えています。すごく励みになりました。松本隆さんの歌詞はいまでも好きです」
――ほかに覚えている作家さんはいますか。井上ヨシマサさんにも書いてもらっていますね。
「そうですね。井上さんにも多くの曲を書いていただきました。私より、少し年上ですが、こんなに若くて才能あふれる人がいるんだと驚きました。スポーツカーに乗ってスタジオに現われたりして、すごくカッコいいなって思った記憶があります」
――『NAMI SHIMADA songs selected by NAOKO SHIMADA』を聴くと、先程も名前の出た杉山洋介さんとのコンビも重要であったことが分かります。
「当時、同じ事務所でしたので、杉山さんが作った曲のデモテープをよく聴かされていたんです。本当は自分の活動のために作っていた曲だったと思うのですが、それを全部私がもらってしまったと言う感じだったんです。「君のために書いたものではない」と言われたこともあったんですが、お願いして歌わせてもらうことになったんです。今回のアルバムで言うと「I’M ANGRY!」や「SWEET LITTLE MEMORIES 」はそういう曲ですね。杉山さんからのきっかけで寺田さんに出会うわけです。そう言った意味では、いろいろな才能をもった方に協力してもらっていたわけですよね。当時はそこまで自覚はなかったんですが、今思えば、恵まれていましたね」
――先ほどビートルズの名前が出ましたが、当時は、どんな音楽を聴いていたのですか。
「竹内まりやさん。最近まで忘れていたんですが、ここのところ、いろいろなメディアで竹内まりやさんを拝見して、当時、竹内まりやさんの音楽をよく聴いていたことを思い出しました。竹内まりやさんの作品を通して歌い方やこぶしの使い方、歌詞の書き方を勉強していました。それが自分の作品に反映されているかどうかはまた別の話ですが、竹内まりやさんはレコードが擦り切れるくらい聴いていました。私は18歳くらいの時に変声期があって、それまでは幼い声で高いキーを歌うことが出来たのに、急に歌うことが難しくなって、歌い方を変えなければならなくなったんです。その時に竹内まりやさんを参考にしました」
――それにしても、島田さんは多作でしたね。しかもアルバムの数が多い。
「アルバムを3ヵ月に1枚のペースで出していた時もありました。しょっちゅうコロムビアスタジオにいて、コロムビアスタジオの主と言われるくらいでした(笑)」
――だから、今回のようなアルバムが出来たのだと思いますが、アルバムを選曲するにあたり、当時のアルバムは聴き返したのですか。
「はい。1枚の曲数ではとても選べないから、2枚組にしてもらえないかとお願いしたくらいでした。選曲は本当に大変でした」
――どのような基準で、どういう人を対象に選曲されたのですか。
「私の音楽を今でも繰り返し聴いてくれている人は、ダンスミュージックとして気に入ってもらっていると思うんです。でも、私としては、そういう側面もありますが、シティポップみたいな捉え方で聴いてもらいたいと思って、選曲しました。そういう傾向の曲は初期のアルバムに多い気がするので、その辺をミックスした選曲がポイントでしたね。ダンスミュージックとシティポップは近いようで違う音楽なので、曲順に関しても何度もやり直して、決めました」
――今でも気に入っているアルバムはありますか。
「『EVERYTIME I LOOK AT YOU』は別格として、個人的には『SIXTEEN』というアルバムがよくできているのではないかと思っていて、気に入っていますね。曲もいいですし。あのアルバムは、当時私が好きだった落合恵子さんの「白い女」という小説をモチーフにして作ったものでした。ディレクターさんに、「白い女」への思いをお話して、関わっていただく作家さん全員にその小説を配って読んでもらって、曲を作ってもらったんです。小説の内容は、病気で早くしてなくなってしまう男性への思いなので、全体に統一感があるんです。このアルバムに入っている「夢のバルコニー」という曲を今回のベストに入れたかったんですが、収録時間の都合で、なくなく落とさざるをえず、残念でした。この曲は、歌は少し未熟なんですけど、雰囲気がいいなと思っていて。「SUN SHOWER」のLARRY LEVAN’S VOCAL MIXを入れるか入れないかで最後まで迷いまして。最後は、聴く人のことを考えて、それを入れたほうがいいんじゃないかと思いまして。普段は、選曲・監修・プロデュースの仕事をしているので、そういう方面から判断しました」
――ファンからの要望は聞こえてきたりするのでしょうか。
「それはないです。当時のファンの方とそういう昔の話はしませんし、そもそも私がそういう話に乗らないことは分かっている人が多いのかもしれません。当時のことをお話しするのは、今回の取材が初めてなんです」
――ありがとうございます。冒頭にも話されているように、今回のアルバムにはシングル曲は入っていませんが、ファンには嬉しい企画だと思います。選曲・監修・プロデューサーとしての島田さんのセンスが前面に出ていて、全体に統一感があります。
「ありがとうございます。私がプロデューサーだったら、「内気なキューピッド」や「パステル・ブルーのためいき」といったシングル曲を入れておいたほうがいいんじゃないかと思いますが、2枚組はNGということでしたので、その辺のシングル曲を外して選曲を始めていきました」
――自分の作詞曲が多いから統一感が出ているのもありますかね。
「そうかもしれませんが、そこにはこだわらずに選曲しました。いい曲を入れたいという気持ちの方が強かったですね」
――もっと早く聴きたかったアルバムだと思うのですが、今だから機が熟したということなのでしょうかね。
「今はプロデュースや音楽評論の仕事をしているので、自分が未熟だった頃の作品を出すことで、「こんな歌を歌っていたのに、人の評論をしているのか」なんて言われるのが嫌だったんです。だから、今まで、過去のことに触れることを避けてきたと思うんです。そもそも引退した理由も、自分の実力では歌いたい歌が歌えなかったことが大きかったんです。この状況のまま続いていくことに絶えられなくなって、一度リセットしようと思って引退を決めたんです。実は、引退後2年くらいは基礎から歌を学びたいと思って、歌のレッスンに通っていたことがありました。歌うことが好きでしたし、もう1度やりたいという気持ちがあったんです。でも、途中から、洋楽やジャズに興味を持ち、人の音楽を紹介する楽しさに気持ちが切り替わっていきました」
――そうだったんですね。また、島田さんの歌を聴いてみたい気がしますが。
「それはもうないと思います……」
――でも、当時があって今があるわけですよね。当時の活動を振り返って、100点満点として何点くらい付けることが出来ますか。
「70点くらいかな。「EVERYTIME I LOOK AT YOU」あたりは、自分の好きに作らせていただいていましたからね。まわりの人、スタッフやファンの人も含めて、「アーティストっぽくなってほしくない」とよく言われましたが、そこら辺はひとりで頑張っていましたね。とにかく、一つひとつの作品を大事に作っていました」
――当時は、若い女性歌手のセルフプロデュースという形式もまだ珍しい時代でした。時代が早かったと言えますね。
「まわりの人は、反対はするけど守ってもくれる、そんな感じでした。自分の好きなことはやってきたけれど、評価は低かったというイメージがありますね。だから、このように、引退してしばらくしてから、自分の音楽にスポットライトが当たり、ピックアップしてもらえるのはすごく嬉しいです」
――ジャケットのデザインについてもお聞かせください。こちらも印象的な写真です。
「デザイナーさんに何種類かパターンを作っていただいたのを見せてもらって、これじゃないかなと思って選びました。ジャケットはインパクトが大事だと思いますので。『VIA AIR MAIL』というアルバムの中の写真を気に入っていたのを思い出して、田中さんに探していただいて、ジャケットにしてもらったんです。でも、私がいいと言ったのは、違う写真だったのですが(笑)。でも、結果的に、インパクトのある写真を選んでいただいてよかったと思います。田中さんが良いと思うことはだいたい、私も良いと思うので、きっとセンスが似ているんだと思います」
――ところで、島田さんは、ジャズ評論家として知られていますが、どういうきっかけでジャズにはまっていったのでしょうか。
「80年代、UKポップが好きになって、その中のスタイル・カウンシルの『カフェ・ブリュ』というアルバムに興味を持ったんです。メンバーのミック・タルボットという人は、ジャズをやったり、プロデュースをしたりしていて、それをきっかけにジャズの世界に入っていきました。ポール・ウェラーも好きでしたが、ミック・タルボットのセンスに惹かれていきました。次に、ハービー・ハンコックのジャズをミックスしたものを聴くようになり、という具合です。好きになるとハマりやすいタイプなんです」
――師匠のような方はいたんですか。
「沖野修也さん。引退した後、沖野さんのDJイベントに頻繁に通っていたんです。私はお酒が飲めないんですけど、単純に沖野さんの選曲のDJが聞きたくて、毎週のようにThe Roomというクラブに行っていました。沖野さんのDJを見ながら、選んだレコードをメモとって、次の日に中古レコード屋さんに行くと、私と同じような沖野さんのファン人がいて(笑)。当時は、主にアシッド・ジャズでしたね」
――そして、レコードコレクターへの道を歩んでいくわけですね。
「そうですね。引退後、貯金はほとんどレコードに費やした感じですね。中古レコードの値段は今よりも高い時期でしたし、レコードのためにイギリスやフランスにも出かけたりしました。中古レコード屋に行く女性が少ない時代だったので、目立っていたかもしれませんね」
――どのくらいお持ちというのは愚問ですか。
「何枚持っているかは分からないです(笑)。今は倉庫を借りて保管しています。棚を作って、そこにレコードを収納しています。ほかにも洋服や当時のポスターも保管していますが……」
――ポスターと言うのは?
「歌手時代の自分のポスターです(笑)。それもものすごい数のポスターがあるんです。1種類のポスターが何枚も。両親がずっととっておいてくれたのですが、なかなか処分できなくて……」
――それは貴重なものですね。処分せずに、いつか、展覧会を開くのはいかがでしょうか。
「それはいいかもしれない(笑)。ギャラリー借りて」
――ジャズ評論家としての顔もちゃんとフォーカスしたものを企画したら面白いと思いますが。
「いや、その時は、島田奈美ちゃんとして、でいいんじゃないですかね(笑)」
――それは話題になりそうです。
「今まで、「あの人は今」というようなテレビや雑誌の取材はすべて断ってきて、そういう過去に触れることはすべて避けてきたわけですが、いまは少し戸惑っている心境です。パンドラの箱を開けてしまったと言いますか……。でも、今回は、このCDが出ると言う機会だから話す気持ちになったんです。それに、元号が変わって、気持ちも変わったかなって思います。いいタイミングだったんです。でも、やっぱり、今後、そういう取材の依頼が来てもやっぱりやらないかな、と思います」
――いま島田さんの残された音楽がちゃんと再評価されているということが大きいですよね。
「ありがたいことです。そんなに自覚はないですが……。今回の企画は、10年前だったらやらなかったかもしれませんね」
――このアルバムは、歌手時代の島田さんをリアルタイムで知らないファンへのアピールにもなりますね。
「私が、どういう活動をして来たのかという予備知識や先入観なしで、音楽として聴いてもらえたらいいなと思います。クラブでDJをやっていると、DJの人たちから「島田さんですよね? 僕、好きなんです」と言われたことが度々あって、それはきっと『SUN SHOWER』のことを言っていると思うんです。不思議な気がしますよね。当時のファンというよりは、クラブジャズを聴いている人たちからのリアクションが増えているんです。そういう入口が違うところから入ってくる人もいらっしゃるので、今回のアルバムに関してもそういう人たちに聴いてもらえるのではないかと思います。とにかくいろいろな人に聴いていただきたいです」
取材:鈴木啓之
取材・文:竹部吉晃
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