ホセ・ジェイムズが新レーベル「レインボー・ブロンド」を始動――第一弾アーティスト・ターリがデビュー・アルバムをリリース

ターリ   2019/03/20掲載
はてなブックマークに追加
 ホセ・ジェイムズが“レインボー・ブロンド”というレーベルを立ち上げた。その第1弾となるリリースが、彼のデビュー・アルバム『ザ・ドリーマー』の10周年記念盤だった。そして、第2弾となるリリースがターリのデビュー・アルバム『アイ・アム・ヒア』である。ターリことタリア・ビリグは、ニューヨーク出身で現在はロサンゼルスで活動するシンガー・ソングライター。彼女はホセの『ホワイル・ユー・ワー・スリーピング』に曲を提供し、ツアーにも同行した。『アイ・アム・ヒア』は彼女のデビュー・アルバムで、レインボー・ブロンドが初めてリリースするオリジナル作品となる。レインボー・ブロンドは、ホセとターリ、それにホセのアルバムをはじめ様々な作品を手掛けてきたプロデューサー / エンジニアのブライアン・ベンダーが運営に関わっている。昨年、ビル・ウィザーズのトリビュート作『リーン・オン・ミー』をリリースしたホセが来日した際に、ターリとベンダーも同行したので、レインボー・ブロンドや『アイ・アム・ヒア』のこと、それぞれのキャリアについても話を訊いた。
ホセ・ジェイムズ
ホセ・ジェイムズ
Photo by cherry chill will
――まず、レーベルを始めたきっかけから教えてください。
ホセ「ターリとはレーベルをやりたいねってずっと話していたんだけど、2018年初頭に『ザ・ドリーマー』の権利がブラウンズウッドから戻ったので、タイミング的に今がいちばんいいんじゃないかと思ったんだ。(ブライアン・)ベンダーのリミックスで『ザ・ドリーマー』の10周年記念盤を第1弾として出したら、あっという間にレーベルとして機能し始めたんだ。レインボー・ブロンドのちゃんとした一作目は、ターリがLAでプロジェクトを始めていたので、彼女がいいと思った。ベンダーの手がけているプロジェクトもあったし、そんな感じで転がるように有機的に始まったんだ。レーベルを思いついてからわずか数ヵ月だったね」
――レインボー・ブロンドのウェブ・サイト(https://www.rainbowblonderecords.com/)には、コレクティヴということでフィルム・メイカーやディレクターなども紹介されています。すでにチームが結成されてるんでしょうか?
ターリ「私はもともとブルーノート・レコードで働いていて、その頃からレコードは一人で作るものではなくて、裏方を含めた全員で作るものだと思ってたの。自分のビデオ・シリーズ、“オーチャード・セッション(注)”をやったときにも、関わった人すべてのページを立ち上げたくらいだし。だから、このコミュニティをセレブレイトしたいの」

(注:オーチャード・セッションは、マンハッタンにあるアパートでターリが開いていたミュージック・サロンで、ホセやベッカ・スティーヴンスらいろいろなアーティストとのセッションを映像で配信していた。http://www.orchardsessions.com/

ターリ
ターリ
――レーベルは始まったばかりですが、どういう方向に持っていきたいですか?
ホセ「今のところ、この3人とベン・ウイリアムズの4名がアーティストとして所属している。ベンは市民権運動をテーマにした『I Am A Man』という作品を作っているよ。ほかのアーティストもやっていきたいけど、増やしたにしても、一人ひとりのヴィジョンを明確にして、リリースだけでなくアーティストに力を与えるレーベルでありたい。昨日もベンと話したんだけど、どういうことをやりたいのか、どんなことを考え、どう表現したいかというアーティストの気持ちを分かったうえで進めていきたい。今はファレルカニエ(・ウエスト)のように、文化的アンバサダーというか、ビートメイカーやパフォーマーとしてだけじゃなく、ファッション面でも影響を持つアーティストがいるし、活動の幅も広くなっている。僕らもそういったことを取り入れたい。いわば“アーティストによるアーティストのためのレーベル”。契約も透明性を持ち、アーティストによってトラップになるようなことは避けたい。スタイルもいろいろあって、ターリやブライアンはポップ・サイド、ベンと僕はジャズやR&Bというように、表現には幅の広さがあっていい。スフィアン・スティーヴンスフライング・ロータスみたいにね。自分はこのレーベルのスポークスマンだけど、まわりにいるみんなが上がっていけるレーベルにしたいと思っている」
――フライング・ロータスはWARPと契約しつつ、ブレインフィーダーを主宰しています。ホセもブルーノートの契約とレインボー・ブロンドを両立させるのですか?
ホセ「僕は自分の作品もレインボー・ブロンドからリリースする予定だよ」
――そのリリースの線引きは?
ホセ「今とても野心的なプロジェクトを考えていて、“1978年”をテーマにした4枚組作品をリリースしようと計画中なんだ。こういったものはなかなかブルーノートからは出せないし、シングルやEP、コラボもアイディアがいろいろあるので、ドレイクみたいに出したいときに出すようにしたい。マーケットの動きはとても速いから、若いうちにやりたいことをやっておきたいと思ってるんだ。これまで出せなかったものもあるし、新しいものだけじゃなくて、8年ぐらい遡ったライヴ・アルバムや、セカンドの『ブラックマジック』の新装版とか古い音源も出せるように、自分にとってホームのような場所にしたいね」
――以前、『ラヴ・イン・ア・タイム・オブ・マッドネス』は自分にとってジャズのキャリアの終わりを告げるアルバムだと話していたのが印象的でした。それもあって、その延長でレーベルを始めたんでしょうか?
ホセ「うーん、そうかもね。僕はあまり考えてやるんじゃなくて、インスピレーションを受けてやるタイプなんだよね。ジャズは自分の中で大きいもので、自分やベンのようにジャズから出てきた若い世代は、ジャズをやったらあとは何をやってもいいって許可証をもらったようなものだと思う。クリスチャン・スコットロバート・グラスパーエスペランサ・スポルディングなんかもそうだよね。『ホワイル・ユー・ワー・スリーピング』みたいなロック色の強いアルバムを出すと、日本ではそんなことなかったけど、なんでこれをブルーノートから出すんだっていう人もいる。ドン・ウォズはいつでもサポートしてくれるけど、みんなラーメン屋にいけばラーメンが出てくるのを期待する。そういう気持ちもわからないではないので、レインボー・ブロンドはなんでもありの、“ドン・キホーテ”みたいなレーベルにすればいいんじゃないかなと思ってるんだ(笑)」
* * *
――では、ターリの『アイ・アム・ヒア』の話を。アルバムはヴォーカルとシンセサイザーがメインのエレクトロニックな作品でしたが、これは一人で作ったのでしょうか?
ターリ「ジョサイア・コーシアとの共同プロデュースで、全部自分でシンセを使ってプログラムしてトラックを作ったの。生楽器は入ってないわ」
――オーチャード・セッションの頃は生楽器主体でしたよね。そもそも音楽を始めたきっかけは?
ターリ「私の家族は音楽をやっていなかったんだけど、隣の人がピアノを習っていて、いつもそこでピアノを弾かせてもらっていたの。それで父がピアノを買ってくれて、それから一日中ずっと弾いてたわね。大学はニュースクール大学に行ったんだけど、作曲を本格的にやったのはホセの『ホワイル〜』に書いた曲が最初。私のライヴにホセが来てくれたのがきっかけ。『ホワイル〜』のツアーには2年間参加し、それからLAに移り、ほかのアーティストに曲を書くことがしばらく自分の活動のメインだった。その時にミュージシャンとして、曲がいかに重要な手段か理解したの」
――アルバムには中近東っぽいフレーズがあります。それにプロフィールのフェイヴァリットにオフラ・ハザの名前も見つけました。
ターリ「オフラ・ハザは大好きなアーティスト! 私のルーツはイスラエルなの。家族はジューイッシュで、遡ればパレスチナの頃からの移民。イスラエルはアラブから避難してきた移民が多いので、中近東のメロディがある。母はアシュケナジー・ジューイッシュという民族で、この民族音楽はハーモニックでマイナー・スケールが多いわね。だから、アルバムは自分の中にある祖先へのトリビュートでもあるの」
――なぜLAに移ったんですか?
ターリ「私はNY生まれで、家族はマンハッタンの典型的ジューイッシュ・ニューヨーカー。NYは大好きだし、イスラエルに1年間留学したのを除いては、ずっとロウアー・イースト・サイドのアパートに住んでた。オーチャード・セッションもそこでやったわ。ライヴ・ミュージシャンということであればNY以上の場所はない。でもソングライティングだとLAには映画ビジネスもあるし、機会が多い。今はLAに移るミュージシャンも多いしね。私は3ヵ月の予定が2年も居てしまった。それから冬がないのもいいわね(笑)」
――アルバム最後の曲に日本人アーティストのstarRoが入ってますね。
ターリ「彼とはLAで知り合ったの。リミックスするなら、ぜひ彼にと思ってお願いしたら、夢が叶ったわ。出来上がった曲を聴いて思わず叫んじゃった! 私のヴァージョンとどっちが上とは言えないけど、すばらしい才能よね。
* * *
――では、次はブライアンに。ホセとはもともとどういう繋がりですか?
ブライアン・ベンダー
ブライアン・ベンダー
ブライアン「僕のメンターともいえるラッセル・エレバード(ディアンジェロやエリカ・バトゥらのプロデューサー / エンジニア)がホセの『ノー・ビギニング・ノー・エンド』をやってるときに共通の友人を介して知り合った。アルバム全曲は彼ができないというので、僕も入ったんだ。ホセとは出会った瞬間に気が合った。コーヒーを飲みながら夢を語り合ったよ。午後3時から朝4時くらいまでスタジオに入ってたよね」
――エレクトリック・レディ・スタジオでも仕事されていましたが、ディアンジェロからの繋がりですか?
ブライアンディアンジェロはレコーディングに入るとすごく長いんだよね。彼もそうだし、キザイア・ジョーンズや、アル・グリーンがブルーノートから出した最後のアルバム(『Lay It Down』)もラッセルがやっていたので、たくさんの人に会うことができた。ジェイムズ・ポイザーとかね。僕はもともとインディアナ出身でダブルベースを弾いていたんだけど、手首を痛めてあきらめてしまったんだ。学校を卒業するのにインターンシップでスタジオ研修をやって、その時に90年代にデヴィッド・ボウイの仕事をしていたマーク・プラティとラッキーなことに知り合えたんだ。彼がフィリップ・グラスに紹介してくれて、その経緯でグラスと5年くらい一緒に仕事していた。それからエレクトリック・レディに移って、その後がヒット・ファクトリー。閉鎖する前の最後に雇われたのが自分だった。フリーランスになって8年くらいかな」
――ホセはブライアンの仕事のどこを評価していますか?
ホセ「やっぱりミュージシャンであるってところかな。僕が信頼する人ってみんなそうなんだよ、ドン・ウォズもそうだし。サウンド面でもそうだけど、スタジオで作業しているときは、“これだ”って言ってくれる人間が必要になるときがあって、しかもそれをどこでどう言うかミュージシャンだからよくわかっている。それが基盤になって物ごとが動いたりするしね。たとえば、ここでドラム・ビートが一つあるといいってことをはっと気づかせてくれたりしてね。『ホワイル〜』のレコーディングでベッカ・スティーヴンスが来たとき、あまりにも長い時間をかけて複雑なヴォーカル・トラックをやっていて、どれがいいのかだんだんわからなくなってきたんだけど、彼はトラックも手がけるし、信頼できる耳を持っているので、これだって言ってくれる。朝2時くらいに、バンドのみんなもいなくなった後、ヴォーカル・パートをふたりだけでやっているときには、コーチになり、セラピストになり、自分を力づけてくれた。『ザ・ドリーマー』のリマスターのときは、僕はNY、彼はLAと離れて作業したけど、信頼があるから安心できたよ」
――ぼくはあなたの仕事でBing & Ruthもすごく好きなんです。
ブライアン「Bing & Ruth!?(日本語で)アリガトウゴザイマス!」
――フィリップ・グラスのミニマル・ミュージックに近い感じですよね。
ブライアン「この話をしたら何時間でもしゃべっちゃうよ(笑)。今の時代、ジャズもそうだけど、ジャンルとしてそれだけを守っていったら、死んだもののようになる。音楽は守るだけじゃなくて、それ以上のものを作っていかなければいけない。Bing & Ruthはデヴィッド(・ムーア)が友人だったってところが大きいけれど、先に進めていくという感覚だった。もともと1枚目(『City Lake』)は自分がミックスして、デヴィッドはニュースクール時代の仲間を集めて、自費でレコーディングしたんだ。僕はLAに移る前、10年くらいNYにいて、Brooklynphonoっていうレコード・カッティング・スタジオのエンジニアが知り合いだったので、やってもらったんだ。それをRVNG Intl.に渡したら、そこから4ADのエド・バラックの手にも渡った。いい作品は自然と伝わっていくんだよ」
――今日は面白い話をいろいろありがとうございました。最後にこれからのプランを教えてもらえますか?
ブライアン「レインボー・ブロンドもあるんだけど、直近ではデニス・ジュリアナと映画の音楽をやっているんだ。そのデニスと一緒にやってるブラインド・ギルティっていうプロジェクトをレインボー・ブロンドの次回作として予定している。ビート・インフルエンスのエレクトリック・ミュージックなんだ。デニスはトルコ出身のプロデューサーで、そこにバスタ・ライムスなども入る予定。ジャンルの線引きがない、アンビエントもエレクトロもジャズも影響しあって、それでいて多くの人に聴いてもらえるポップなものを目指していくよ」
ホセ「うーん、もう全部言ったかな(笑)。とにかく、それぞれのアーティストに十分な時間をかけて、リリースされたら全力でサポートするかたちでやっていきたい。ターリのアルバムは3月にリリースだね。自分は契約アーティストとして10周年を祝うことができたし、レーベルをやるチャレンジのたいへんさはわかっている。タレント・エージェンシーのように多くをかかえるんじゃなくて、それぞれのストーリーに自分たちがフォーカスできるように、リリースだけじゃなくアフターケアも考えてやっていきたい。あと、ポッドキャストのシリーズ(https://www.rainbowblonderecords.com/podcast/)を始めるよ。
ターリ「ポッドキャストはミュージシャンだけでなく、ディレクターやシェフ、ファッション関係者とかいろんなジャンルの人たちに同じ質問をして紹介しようと思ってるの。楽しみにしててね」
取材・文/原 雅明(2018年11月)
Live Schedule
ターリ with special guest ホセ・ジェイムズ

2019年5月15日(水)
東京 六本木 Billboard Live TOKYO
1st 開場 17:30 / 開演 18:30
2nd 開場 20:30 / 開演 21:30
チャージ: サービスエリア 6,900円 / カジュアルエリア 5,900円(1ドリンク付)

[予約・お問い合せ]
Billboard Live TOKYO 03-3405-1133


2019年5月17日(金)
大阪 梅田 Billboard Live OSAKA
1st 開場 17:30 / 開演 18:30
2nd 開場 20:30 / 開演 21:30
チャージ: サービスエリア 6,900円 / カジュアルエリア 5,900円(1ドリンク付)

[予約・お問い合せ]
Billboard Live OSAKA 06-6342-7722


※お問い合わせ: Billboard Live
www.billboard-live.com

※ 掲載情報に間違い、不足がございますか?
└ 間違い、不足等がございましたら、こちらからお知らせください。
※ 当サイトに掲載している記事や情報はご提供可能です。
└ ニュースやレビュー等の記事、あるいはCD・DVD等のカタログ情報、いずれもご提供可能です。
   詳しくはこちらをご覧ください。
[インタビュー] 不安や焦りや苦しみをポジティヴに変換していく 杏沙子、初のシングルを発表[インタビュー] 赤頬思春期 アコースティックでファッショナブル 噂の2人組が日本デビュー
[インタビュー] 聴く人を架空のリゾートにご案内――Pictured Resortの新作が誘う日常からのエスケープ[インタビュー] THA BLUE HERB、全30曲入り2枚組の大作でたどり着いた孤高の境地
[インタビュー] Moonの待望の新作『Tenderly』は、スタンダードからグリーン・デイまで歌うカヴァー集[インタビュー] 小坂忠、再発された70年代のアルバム『CHEW KOSAKA SINGS』と『モーニング』を語る
[インタビュー] Suchmos、WONKなどのコーラスを手がけてきた大坂朋子がSolmana名義でデビュー[インタビュー] 話題の公演“100チェロ”を東京で行なうジョヴァンニ・ソッリマが代表作を語る
[インタビュー] 山中千尋、ブルーノートとペトルチアーニへの思いを胸に、新作でジャズのキラキラした魅力を伝える[インタビュー] ハロプロ スッペシャ〜ル特別版 卒業直前! 宮崎由加(Juice=Juice)ロング・インタビュー
[インタビュー] “シティ”から“タウン”へ “けもの”のユニークな創作のひみつ[インタビュー] 音楽史上初めて登場した“ミニマル・ネイティヴ”のヴァイオリニスト、マリ・サムエルセンのDG専属契約第1弾ソロ・アルバム『マリ』
https://www.cdjournal.com/main/special/showa_shonen/798/f
e-onkyo musicではじめる ハイカラ ハイレゾ生活
新譜情報
弊社サイトでは、CD、DVD、楽曲ダウンロード、グッズの販売は行っておりません。
JASRAC許諾番号:9009376005Y31015