1999年、細野晴臣に見出されて「環太平洋モンゴロイドユニット」のヴォーカルに抜擢された高遠彩子。山下洋輔、村上ポンタ秀一など多くのアーティストとコラボし、サポートの経験も豊かな彼女が、初のフル・アルバム『触れもせで』を発表した。細野に「鳥のように自由自在」と称賛される変幻自在な声の持ち主。だが、本作の手触りはどこまでも簡素で滋味深く、そしてやさしい。
――キャリア25年以上にして初のフル・アルバム。しかも12曲の収録ナンバーはすべて、高遠さんのオリジナルですね。なぜこのタイミングでリリースすることに?
「一つのきっかけになったのは、コロナ禍だったかもしれません。きっかけというより、反動といったほうがいいのかな? あの時期、歌い手はみんなライヴができなかったでしょう。私も、コロナ前から活動していたユニットを解消することになって。何だかんだで4年くらいステージから遠ざかっていたんです。それが、去年の春前くらいかな。歌から遠ざかってる自分に耐えられなくなって、“またライヴをやってみよう”と腰を上げたんですね。そのとたん歌が一気にあふれてきた」
――プレス資料には「作詞・作曲が突然しゃっくりのように止まらなくなった」とありました。
「まさにその感じ(笑)。というのも私は、小さい頃からとにかく歌ってさえいれば幸せで。ソングライティングの経験はほぼなかったんですね。でも、ありとあらゆる音楽を山ほど聴いて育ったので。無意識のうちにメロディはいっぱい蓄積されていたんでしょう。それが、コロナ禍のインターバルを挟んで吹き出したんだと思う。で、昔から知っている三田(晴夫)プロデューサーがライヴを観てくださって。“こんなに新曲があるならアルバムにしよう”と、気付けばレコーディングが決まっていた。すごくうれしかったけど、私自身がいちばんびっくりしています」
――全12曲。どれも着慣れたシャツのように、歌い手の身体になじんでいる印象でした。技巧をひけらかす感じはまったくないのに、情感はしっかり伝わってきます。作曲はどういう手順が多いですか?
「楽器に向かって作ることはまずなくて、最初に浮かんでくるのはほぼ、鼻歌みたいなメロディです。ちょっと話が飛びますが、私、歌以外にも登山が大好きなんですね。山道を歩いているとつい楽しくなって、デタラメなスキャットを歌っちゃったりする。それで山頂に着く頃にはそれが、何となく曲っぽくなってたりするんですけど(笑)。感覚的にはそれに近い気がする。あとはそのメロディが持っている色調とか匂いに合わせて、ストーリーを付けていく感じかな。ビギナーだからやり方とかまったく固まってないんですけど。少なくとも今は、曲を書くのがとても楽しい」
――曲調もバラエティ豊かですね。たとえば、1曲目の「夜空飛行」はフォーキーでノスタルジックな雰囲気。続く「いつか懐かしい月で」はトロンボーンをフィーチャーしたラテン調。ミュージカルの挿入歌を思わせるジャジーな「Mr.Tokyo」もあれば、「愛は愛より出でて愛より淡し」はサンバっぽい躍動感も伝わってきます。曲作りやアレンジで、あえていろんなテイストを採り入れた部分もあったりしますか?
「今回、サウンド面については三田さんのアイディアをベースに話し合って決めました。曲ごとにアレンジの方向性を決め、入ってもらうミュージシャンを決める作業もそう。アーティストの好みや音楽の価値観自体に近いものを感じていたので、そこは安心してましたね。実際、どの楽曲もあまり要素を詰め込んでないというか……。心地よい余白のある作りに仕上げてもらえたと思う。“これ本当に私の曲ですか?”という(笑)。ちょっと不思議な感じがありました。メロディのバラエティも、自分ではほとんど意識してません。そう感じてもらえたとしたら、たぶん幼少時から親しんできた音楽が自然に滲んだんじゃないかな」
――子どもの頃、たとえばどんな音楽をよく聴いていましたか?
「母がアメリカの高校を出てまして。そのとき集めた古いレコードが、実家にたくさんあったんですね。覚えているのは、トリオ・ロスパンチョスなど50年代のラテン音楽。あとは初期ロス・インカスみたいな南米フォルクローレ。いわゆるオールド・ジャズや映画音楽のLPもたくさんありましたし、もちろんテレビで流れる歌謡曲も大好きでした。ミッション系の中学・高校では、コーラス部と聖歌隊を掛け持ちしていて。音大ではいちおう、クラシックの声楽専攻だったんですね。こんなふうに分野はバラバラだけど、気に入った旋律を片っ端から覚え、再現するのはずっと好きだった。完コピしてはうっとりしてました(笑)。その記憶が、ミルフィーユ状になった無意識の層に織り込まれているんだと思います」
――個別の曲についても質問させてください。まず先ほども話に出た「夜空飛行」。シンプルなアコギと温かみのあるクラリネットが歌のよさを引き立てる、まさに本作を象徴するナンバーですね。
「そう言っていただけるとうれしいです。これはかなり最初期にできた曲で、メロディと言葉がするっと出てきた。たぶん30分くらいで書いたんじゃないかな。ギターは、このところライヴでもお世話になっている福島久雄さん。いつも思うんですけど、福島さんは音を間引くのがすごくうまい。歌メロに寄り添い、しっかりリズムもキープしつつ、空間そのものを聴かせてくれるんです。今回も基本アレンジはそのデュオ形式のものに近い。ただ三田さんの提案で、そこに宮崎佳彦さんのクラリネットが入って。よりせつなくて、ふくよかな音になった気がしています」
――見上げた夜空に、大切な誰かへの想いを託す。そういう情景が浮かぶ歌詞も素敵でした。この曲にかぎらず高遠さんのリリックには“月”がよく登場しますが、ご自分でも意識されていますか?
「たしかに(笑)。私、俳句を20年近くやってるんですけど、そっちのほうも月だらけなんですよ。たぶん気づかないうちに月ばっかり見てるんだと思う」
――アルバムに収められた12曲のうち、福島さんは6曲でギターを弾いています。そしてもう半分の6曲では、林正樹さんのピアノを中心にアレンジが組み立てられている。このコントラストよかったです。
「福島さん主導の曲と、林さん主導の曲。すごく対照的な色合いですよね。ギターの曲はやっぱりリズムが立っているというか。あくまで私の勝手なイメージですけど、スリムなエスニック衣装を着て歌ってる感じがあります。対してピアノは、柔らかいドレスのイメージかな。とくに林さんの演奏は、歌をふわっと包みこんでくれるような心地よさがありますね」
――タイトル曲「触れもせで」はまさに、歌とピアノだけの静謐なナンバー。ゆったりしたリズムと物憂げなヴォーカル、リリカルなピアノの音色が、古風な恋歌を思わせる内容によく合っています。この曲はどういうシチュエーションから生まれたんですか?
「この曲は写実的というか。メロディに合わせて、かつて見た風景が浮かんできたんですね。千鳥ヶ淵、ボート、水に浮かんだ桜の花びら。そういったイメージを素直に言葉にしてみました。私、普段けっこうネアカな性格なんですが、だからこそ暗い世界に惹かれる部分もあって。〈触れもせで〉はそれがいちばん顕著に出た曲かもしれませんね。ただ仕上がりは重くならないよう、体重2gのつもりで歌ってます」
――感情に流されない、淡々とした歌い方ですね。「触れもせで」にかぎらず、今回のヴォーカル全般で意識したことってありますか?
「とにかく余計な力を入れないことかな。じつは私、ものすごいあがり症なんですね。とくに敬愛するミュージシャンのサポートになるほど、身体も心もガチガチになってしまって。本番ではなかなか、思うようなパフォーマンスができない。周囲の方々が評価してくださっても、自己嫌悪で消えてしまいたくなる経験もたくさんしてきました。だから今回は自由に、好きに歌いたかった。変に頑張りすぎないで、聴いてくださる方の生活に心地よく溶け込む音楽にすること。それだけを思って歌っていました」
――あまり音を詰め込みすぎず、いい意味で力を抜くこと。5日間のレコーディングではそれも大事なテーマだったと。
「はい。そこをいちばん大事にしましたし、今回のレコーディングで感覚をつかめた部分もあった気がする。このアルバムを通して、ちょっと歌がうまくなった気がします(笑)。今後ライヴでも、この経験を生かしていければいいなと」
――9曲目の「ピンチのテーマ」は対象的なホンキートンク調というか、ちょっと投げやりでブルージーなフィーリングが可愛らしく、印象的でした。
「ノラ・ジョーンズみたいに洗練された曲を書くつもりだったのに、気付けばこうなっていたという。“ままま間に合わない / なんでこうなっちゃうのかな”というフレーズも含め、完全に自分の話ですね。ちょっと気恥ずかしいし、もともとは発表せずお蔵入りにするつもりでした。でも仮音源を聴いてくださった細野(晴臣)さんが“この曲はモノになります”と細野さんらしい面白い言葉でいちばん気に入ってくださったので。これはもう収録するしかないと(笑)」
――林さんのピアノと和田充弘さんのトロンボーンが、何とも言えずユーモラスな雰囲気を醸し出しています。最後から2曲目の「レッドカーペット」はアルバムでもっとも力強く響く。歌詞も身近な人をストレートに励ますような内容です。どんな想いを込めたのでしょう?
「これはまさに、大事な親友のことを考えて書いた曲です。長い間苦しんできた彼女に、私がしてあげられたのは、どんなに頑張っても何の役にも立たないことがほとんどだった。誰しも経験があることかもしれませんが、頑張れない人に頑張ってと伝えることはとても難しい。だから私はただ、頑張ってきた彼女に花束をあげたかったんです。あまりにも生な感情なので、この曲も最初、人前で歌うのは恥ずかしかった。でも、ちゃんとレコーディングできてよかったと今は思います。〈レッドカーペット〉だけじゃない。たぶんこのアルバム全体に、自分にとっての気付きみたいなものがあって」
――といいますと?
「もしかすると今までの自分は、歌手として、カメレオンのように周囲に合わせて色を変えようとしてたのかもしれない。とくにサポートの場合、相手の音楽にいちばん合った歌を歌うことが大事で。自分というものはなくても構わなかった。それはそれで、大事な経験だったとは思うんです。でも今回いろんな曲を書いてみて“あ、自分ってこういう人だったんだ”と腑に落ちる瞬間がいっぱいあった。母のレコード棚で見つけた昔の曲たちが、今もちゃんと身体の奥で鳴ってることにも気付けたし。自分で言うのも変ですが、歌っていて本当に幸せなんですよね。だから今はもっと曲を書きたい。ずっと知らなかった景色を見てみたいなと思っています」
取材・文/大谷隆之