片想いロング・インタビュー

片想い   2013/08/08掲載
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噂の8人組バンド片想いのファースト・アルバム『片想インダハウス』、ついに発売! ほとんど謎の存在であったにもかかわらずYouTubeの視聴回数は数万回を超え、昨春発売されたアナログ7インチ「踊る理由」は瞬く間に完売し、昨夏の〈FUJI ROCK FESTIVAL〉では4万人を集めたレディオヘッドの真裏の苗場食堂で感動的なライヴを繰り広げた片想い。歌と踊りと笑いと涙と汗と無謀と孤独と信念がごちゃ混ぜになったまま炸裂するファンキーなグルーヴは、どんなジャンルとも表現できないけれど、どんなバンドにも負けないほど人間そのもののエネルギーにあふれている。片想いの結成メンバーである片岡シン、MC.sirafu、そして、sirafuと同様にceroのサポートなど東京のインディ・シーンの重要人物として活動するドラマー、あだち麗三郎が、片想いの歴史と真実、そして、長い活動を経てようやくリリースしたファースト・アルバムを語るロング・インタビュー!
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それこそ数年後にフジロックに出られるとか思いもしなかったし。
年齢的なものもありましたしね。初ライヴが僕が26、7歳ぐらいですから。
(左より) 伴瀬朝彦、遠藤里美、大河原明子、片岡シン、
オラリー、あだち麗三郎、MC.sirafu、Issy
――そもそも片想いはいつどこで始まったんですか?
片岡シン(以下、シン) 「10年くらい前?」
MC.sirafu(以下、sirafu) 「そう」
シン 「MC.sirafu、Issy、シンで結成しました。僕とIssyはそれまで東京を離れて石垣島にいたんですが、東京に帰ってきて“バンドをやってみたいな”と思ったんです。それで、音楽ができる人をまわりで探したら大学時代の知り合いだったこの人(sirafu)しかいなかったので声をかけたんです」
sirafu 「シンには“Issyっていう音楽ができるいいやつがいる”って言われたんですよ。僕はIssyとは会ったことがなくて。Issyがどういう音楽ができるのかとか何にも知らなくて、“とりあえず顔合わせをしよう、せっかくだから降りたことのない駅で顔合わせしよう”って」
シン 「“したらもうあの駅しかないよね”って」
sirafu 「“田端しかない!”(笑)」
シン 「そして伝説の喫茶店に行くわけです(笑)」
sirafu 「どっかいいとこないかなって歩いたら『談話室 竹』って店があって。そこに入ったら、スナックぐらいの広さでカウンターのある店をおっちゃんがひとりでやってて。そのカウンターに3人並んで座ったら、おっちゃんが話しかけてくるんですよ。“あ、談話室って、このおじさんと話す店だったのか!”って(笑)。だから、一向にバンドの話はできなかった(笑)」
シン 「あのおっちゃん、完全にヅラだった(笑)」
sirafu 「あれは忘れられないな」
シン 「なんかお水出してきたときにこっち向いてニコニコしてるんですよ。何かなと思ったら、柿の種とピーナッツも一緒に出してて。“珍しいでしょ、名古屋式”って(笑)」
sirafu 「“名古屋は全部これだから”って(笑)」
シン 「突っ込みどころだらけだったね」
sirafu 「ライヴで名古屋に結構行くけど、あんな店一軒もないよね(笑)」
――そんなおっちゃんの介入を受けつつも「談話室 竹」で片想いは結成されたわけですか。
シン 「でも結局、そのときはバンドの話はしてないです。まあ何となく一緒にやれるかなという感触にはなりましたけど」
sirafu 「僕はすごく不安でしたよ。Issyの作ってた打ち込みの曲があって、それが超絶ダサかったから(笑)」
シン 「それがもうね、ど真ん中でダサい(笑)!」
sirafu 「Issyの家に行って聴いたんだよね。部屋にアップライトのピアノがあって、そこでIssyの曲を聴かされたらすごいダサかった(笑)」
――どういうバンドにしようというイメージはその時点でははっきりとはしてなかった?
シン 「僕とsirafuは聴いてきた音楽が結構似てたんですよ。共通項としてスティーヴィー・ワンダースライ・ストーン小沢健二とかポップなものが好きで。でも、Issyはもっと黒人音楽方面担当という感じでしたね。でも、バンドを結成しても、ライヴハウスでやるにはオーディションを受けなくちゃいけないというのがわかって、それでもうビビっちゃって」
sirafu 「もう25、6歳だったし」
シン 「それでオーディションとか受けられないし、“どーすればいいんだ! 俺たちゃ何もできねえじゃないか!”って落ち込んで(笑)」
sirafu 「それで超悩んだ結果、デモCDを作ることにしたんです。とにかく“まずは音源を作ろう”と。3人の力を合わせて音源作って成り上がるしかないと思ってたから。それを一回、いろんなレーベルに送ったんですよ。EMI、OZ disc、UKプロジェクト、バンブルビー・レコード……(笑)。名鑑みたいなのを見てあちこちに送りましたね。EMIは返事をくれましたよ」
――へえ! 何て書いてありました?
sirafu 「“今回は……”」
シン 「“今回だけは勘弁してください”ってね(笑)」
――でも、その時点で、今もライヴでやっている曲がもうできてるんですよね。
シン 「〈すべてを〉〈片想い両想い〉〈すきま風ビバップ〉〈ドーンソング〉とか……もうそのへんはこのときにできていた曲ですね」
――その音源ができて、ようやくライヴ?
シン 「sirafuの仲間にベース、僕の大学時代の知り合いにドラムを頼んで、バンドっぽくなってきて。最初のライヴはひどかったですよ」
sirafu 「初期のライヴでは僕はあらゆるパートをやってましたよ。ドラム叩きながら歌ったり。〈パンクロッカー〉って曲では、今までに全部のパートでライヴをやりました。それくらい試行錯誤をしてましたね」
シン 「結成2回目のライヴで下北沢のmona recordsに出て、そこからコンスタントにmonaでやらせてもらうようになったんです。それが結構大きかった。ホライズン山下宅配便やceroともmonaの対バンで出会ったし」
――当時のお客さんはどういう人たちでした?
sirafu 「当時、シンは会社員をやってたから、その会社のOL人気がすごかったんです。OLが40人くらい来たり(笑)。ホライズンと初めて対バンしたときがその状況で、トリがホライズンだったんですよ。でも、うちらが終わった瞬間にOLが一斉に帰り出した(笑)。そしたら、ホライズンの黒岡(まさひろ)と伴瀬(朝彦)があせり出して、伴瀬がセッティングの最中に物真似を始めたんですよ(笑)」
シン 「“アントニオ猪木をやります”とか言ってね(笑)」
sirafu 「そのときに“すげえバンドだな”って思いました」
シン 「結局OLは全員帰っちゃいましたけど(笑)」
――片想いのお客さんがすごく少ない時期も長かったそうですけど。
シン 「もちろん、最初の頃は付き合いでみんな来てくれるけど、2年ぐらい経つとOLも来なくなって。客2人、片想い6人みたいな状況もありましたね」
――よくそんな状況でも変わらずに片想いのまま続けられたなと思うんです。
sirafu 「そうですね」
シン 「でもお客さんが来てた頃も、僕の友達だから来てただけで、人気があるという自覚はなかったし。だからお客さんが来なくなっても落ちぶれた感じはしなかった。ま、こんなもんだろう、と」
――その状況をどうにかして打開しようとか思いませんでした?
シン 「だって、どうしようもないですもんね(笑)」
sirafu 「良い曲を作ればどうにかなると思ってたから、曲を作ることしか考えてなかった。でも、ホライズンと片想いで〈とんちれこーど〉というレーベルを始めてからは、すごくおもしろい企画を思いついて、いろいろやってたことが原動力になってたかもしれないですね」
シン 「それで人が来たらそれはそれでうれしい。でも、その先にある何かを目指してという感じではなかったですね」
――そこが気になるところで、最初にバンドをやろうと決めたときも、ヒットを出していろんな人に聴かれたい、という考え方とは違ったんですよね。
シン 「まあ、無理だろというか(笑)。そういう状況は想像したこともなかったから。それこそ数年後にフジロックに出られるとか思いもしなかったし。年齢的なものもありましたしね。初ライヴが僕が26、7歳ぐらいですから。そんなに望めないんじゃないかとは思ってました」
sirafu 「でも、僕と伴瀬がアナホールクラブバンドというのを始めたり、とんちれこーどでやっていることがすごくおもしろかった。そこは超自信があったんですよ。周囲を見回しても自分たちぐらいおもしろいことをやってる連中はあんまりいなかったし、これを続けていくことは間違いじゃないなとは思ってました。何の根拠もないんですけど、そこは確かだった」
いろんな人に“ライヴ盤出せ”とも言われたしね。
だから“絶対出さない!”って意地になってた(笑)。
――その状況が徐々に変化し始めたのは、いつぐらいから?
sirafu 「2008年にceroと出会って、彼らが片想いに興味を持ち始めて、いろんな人たちに“すげえいいバンドがいる”って言ってくれたんですよ」
シン 「ceroの橋本(翼)くんが撮ってた映像をYouTubeに上げてくれたりしてね」
――その時点ではあだちくんはまだメンバーではなかったんですけど、当時、片想いをどう見てました?
あだち麗三郎(以下、あだち) 「すごくおもしろいバンドだなって思ってましたよ。初めて見たときは、シンさんの眼鏡がすごく印象的だったんですよ。当時、下北では眼鏡かけてライヴやってるようなロック・バンドがいっぱいいて。だから片想いも下北系のバンドなのかなと思って見てたら、全然そうじゃなかった。しかもシンさんは下北系の象徴であるあの眼鏡をステージでいじくりまくっていて、そんなふうに眼鏡を扱ってしまうことにすごい衝撃を受けました」
sirafu 「すごい視点だ……。音楽が関係ない(笑)」
あだち 「この人たちはまったく違う方向を向いてるんだと思いました」
sirafu 「僕もあだっちゃんの存在は知ってました。〈三輪二郎といまから山登り〉でドラムを叩いてた頃に2回くらい対バンしてたから。“あのドラムの人、すげえストレッチとかしてて気持ち悪いね”とかIssyと言ってた(笑)。ちょうどその頃、初代のドラマーが仕事が忙しくてあんまりライヴにも出られなくなっていて、バンドのかたちが結構流動的になってたんですよ。やっぱりドラムをちゃんと入れたいなと思ったときに、あだちくんがいいなと思ったんです。それで、09年にmona recordsでceroと片想いで対バンしたときにライヴを見てもらって、サポートをお願いしたのが始まり。当時、あだっちゃんはそれまでやってたバンドを全部やめて、自分で歌うソロでやるという時期だったから、片想いに入ってくれたのはうれしかった」
あだち 「何か、見てて楽しかったし(笑)。それまでやってた音楽の感じとは全然違ってたから。でも最初は、ceroのみんなも片想いを大絶賛してたから“そんなにみんなが言うんだったら観にいきたくないな”ってへそ曲がりに思ってたんですよ。それが、観にいったら“ドラム募集してます!”って言われて」
sirafu 「あだちくんが当時、四谷の某公共施設でやっていたイベントというのも結構重要だったんですよ。ライヴハウスではない場所でやる、場所を大切にして、その空間を自由にするということをあだっちゃんはすごくやっていた人だから。音楽をメディアに載せるとか、お客をたくさん呼ぶとか、そういうところではないベクトルでやっていた。そのことが音楽自体の良さにも作用してくる感じがあった。あれはマジックだったよね」
あだち 「そうだね。僕も、片想いの音楽的なかっこよさを求めないというか、形式的にあるかっこよさをまったく放棄していた感じがすごく斬新だなと思ったし」
sirafu 「片想いには生活と音楽の境目がない。それがかなり重要だったんです」
――でも、そうやって生まれていった曲は膨大な数になっていたのに、この長い歴史のどこかでちゃんとアルバムを作ろうという流れにならなかったのも不思議なんです。とんちれこーどという自分たちの基地となるレーベルも持っていたのに。
シン 「たぶん、自分たちのなかで、片想いの音源化は難しいだろうなという認識はあったんですよ」
あだち 「そうだね」
シン 「自分たちの空気を録音するとしても“どうやってやる?”みたいな。“一発録りで、マイク一本で”みたいな意見は出るものの、でもそれは無理だろうとも思うし」
sirafu 「いろんな人に“ライヴ盤出せ”とも言われたしね。だから“絶対出さない!”って意地になってた(笑)」
――それで名曲だけがどんどん溜まっていった、と。なにしろレパートリーは60曲ぐらいあるって聞くし。あと、大ちゃん(大河原明子)、えんちゃん(遠藤里美)、オラリーと女性メンバーも加わって今の8人編成になって3年くらいになるんですが、やっぱりこの8人になったことで、落ち着いた部分はありますか?
sirafu 「役割がはっきりしました。空間のなかでの居場所というか。バンドとしてライヴがうまく回るようになったかな。最後にオラリーが入ったことがすごいよかったんですよ」
あだち 「あれは即決だったよね。一回オラリーとライヴを一緒にやったときの安定感が半端なくて、これはもうずっと一緒にやる感じだなって思ってた」
sirafu 「オラリー本人は、何で呼ばれたのかよくわからない戸惑いもあったみたいだけど」
――そこがひとつのターニングポイントですよね。ちょうどその時期に〈踊る理由〉という曲ができているし。
sirafu 「〈踊る理由〉はオラリーが入ったときに作った曲ですから。女の人が歌うパートを作りたいという動機もあって、パッと作りました」
――オラリーのソロ・パート「僕が泣いている理由なんてわからないだろう」に奇跡的な響きがあるんですよね。歌詞としてのストーリーラインとかではなく、誰の胸にも思いあたるフシを持たせるというか。
sirafu 「あそこだけ歌詞が先に浮かんだんですよ。それで、ここは女の人が歌うところだなと」
――ある意味、片想いのたくさんあるレパートリーのなかで、あれが初めて外側に転がり出た曲だと思うんです。知らないところで知らない人たちが話題にし始めた。片想いがずっとやってきたことが初めてポップにまとまった曲とも言えるし。
シン 「そうですね。それは間違いないですね。九龍ジョーさんが撮った〈踊る理由〉のYouTubeの視聴回数が1万回を越えたとかね、そういうのはそれまでの片想いにはあり得ないことだったし」
sirafu 「反応もよかったですね。当時、ceroの荒内くんが“あの新曲、すごくいいね”ってすぐに言ってきたのを覚えてる」
――でも、それがもっと具体的なかたちで実感できはじめたのは、ceroがカクバリズムに入って、ファースト・アルバム『WORLD RECORD』のレコ発ライヴ(2011年4月2日)の対バンに片想いが登場したときじゃないですか? あのときは、最初は“カタオモロ”(片想いから派生した沖縄出身を騙る爆笑ユニット)で出るという告知だったし。
シン 「お客さんからしたら、片想いを知らないのにカタオモロのこと知るわけない(笑)。でも、あのレコ発は3・11の直後だったでしょ? 震災では僕らもへこんだし、“このタイミングでやるべきはカタオモロじゃないかもしれない、片想いでやろう”って僕の意見を通したんですよ」
――あの日見た人たちはみな衝撃を受けていて、うわごとみたいに“片想いが”“片想いが”って言ってたのを覚えてます。
シン 「僕たちだってあんなにたくさんのお客さんを前に演奏したことなかったし」
――そして、それから約1年後の3月11日の神戸の旧グッゲンハイム邸でのライヴのときに、カクバリズムから「踊る理由」のアナログ7インチ・シングルがリリースされます。売れそうな曲であると同時に、片想いでやってきたことを集約したようなところもあって。
sirafu 「最初は自主で出そうと思ってレコーディングしたんですよ。8人になったときに、結構『アストロ球団』的な気持ちになったんですよ。勇者が揃ったというか」
あだち 「『水滸伝』みたいな(笑)」
sirafu 「“これで試合ができる! やった!”みたいな喜びがあった。その勢いでレコーディングしたのかな。出来上がった音源を角張さんに相談して、カクバリズムから7インチで出そうって」
――あの7インチ・シングルは、ものすごい勢いで売れましたよね。あっという間に市場から消えちゃった。
sirafu 「音楽をめぐる雰囲気やメディアの状況がこの10年くらいで変わってきたなかで、〈踊る理由〉って“曲を売った”という感触がすごくありましたね。良い曲はあっても人に届きにくい時代じゃないですか。オラリーが参加したことや、カクバリズムから出したこととか、いろんな要因があってこうなったと思うんですけど、この時代に、無名のよくわからないバンドの曲がひとり歩きして売れたんです。そのことには達成感がありましたよ」
シン 「すぐ売り切れて無くなったから、角張さんが本当は50枚くらいしか作らなかったんじゃないかと思ったけど(笑)」
――記録で残らずに曲の記憶だけ残したというのも、片想いというバンドのマジックをすごく象徴していた気がします。ライヴを見ていても毎回やる曲はもちろん、Issyコーナーみたいなコントも内容が違うし。
sirafu 「そうなんですよ。片想いを何度も観てる人って、その日観たライヴを認めたがらないんです。“もっと片想いにはいいライヴがある”って」
シン 「そうそうそう(笑)。その場のマジックが毎回ある」
あだち 「僕、初めて片想いを見て“すげえかっこいい”と思って、スタジオ入ったときに超衝撃だったんですよ。“なんでみんな、こんなにヘタクソなんだ?”って(笑)」
sirafu 「“あれ?”みたいな(爆笑)」
シン 「魔法が醒めた(笑)?」
あだち 「でもライヴをやると魔法が戻ってるんですよ。そういうところも含めて、片想いって、やっぱり謎なバンドだって改めて思いました」
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フジロック苗場食堂でのライヴ (20120729) / カクバリズム10周年ライヴ @新木場スタジオコースト (20121028)
――でも、そんな謎の集団が去年のフジロックではレディオヘッドが隣のグリーンステージでやってる状況で素晴らしいライヴをしたし、スタジオコーストでは超満員を相手にしたし。
sirafu 「楽しませてなんぼというのが原点なんで。でも、ひとつだけ言うとしたら、〈踊る理由〉のシングルを出したあたりから、ライヴに関しては期待に応えなきゃいけない部分があるとか考えてますけどね」
シン 「その割には今でもIssyコーナーやってるけど(笑)」
sirafu 「Issyコーナーがすごいのは、絶対に洗練されないところなんです(笑)」
笑いと涙は表裏一体というか、そこで大笑いしたことが感動する事実だったりする。
そういうことを昔からすごくやりたかった。
――そして、片想いがついにようやくアルバム『片想インダハウス』を作りました。
シン 「このような満足のいくかたちで出せたことがうれしい」
sirafu 「本当にこの8人でできるのかな? って思ってました。曲者が揃ってますから。でも、長くやってるから出たグルーヴ感というのはあるかなと。曲順も含めてアルバムとしての流れは完璧ですね」
シン 「一番最初にsirafuと2人で曲を出し合って並べたときは17曲ぐらいあって(笑)。それだと多いし、そこから絞って、聞きやすい時間にして、それが今回のアルバムになりました」
――1曲目の〈管によせて〉から、何かただならないことが始まる感じがあります。
sirafu 「アレステッド・ディベロップメントのセカンド・アルバム『Zingalamaduni』の一曲目が、インストに乗せて偉大な黒人たちの名を言っていくすごくかっこいい曲(〈WMFW(We Must Fight & Win)FM〉)で、ああいうのをやりたいとずっと思ってたんですよ。それと、トム・ウェイツ『ブラック・ライダー』の1曲目〈ラッキー・デイ・オーヴァーチュアー〉の雰囲気。このふたつを混ぜて、偉大なリスペクトしている人たちの名を呼ぶというのをやってみたんですけど、そこでシンが“オーリトーリ”という単語を出してきて」
シン 「八重山の神事の言葉で“ようこそ”という意味の言葉なんです。偉大な人々を呼びよせて、勇気をもらって我々もやろうと(笑)」
――あの曲で連呼されるアーティストたちの名前はライヴによって変わったりもするし、聴いているお客さんたちにとっても、それぞれの思いのなかでいろんなバンドや音楽体験に置き換えられるものだと思うんです。そこにもすごく不思議な感動があって。そこからアルバム前半のハイライトと言える「踊る理由」までのグルーヴィーな流れも最高だし、「すべてを」「ひかりの中からこんにちわ」「ユニバース」と続くドラマチックな展開には、“え? まさか、俺が片想いに感動させられるなんて?”って思ったくらいで。
sirafu 「片想いはライヴでもくだらないことやるじゃないですか。でも、僕はそれは結果的に感動させたくてやってるんですよ。笑いと涙は表裏一体というか、そこで大笑いしたことが感動する事実だったりする。そういうことを昔からすごくやりたかった。ある角度から見たらそれはくだらないことでも、だれかにとってはそれが忘れられない思い出になったりもするんです」
――片想いって、笑いと涙、おもしろいとせつない、善と悪とか、価値の判断というのは絶対的なものじゃなくて、人間が生きていくうえでどうとでも揺れるものなんだってのを結果的に歌っていると思うんです。ただ単に楽しいだけとか、多幸感を売りにしたパーティ・バンドだったらこんなにたくさんの人が惹き付けられないと思う。歌詞を見ると、裏切られたり、ひとりぼっちだったり、そういうシチュエーションを題材にしている場面も多いし。
sirafu 「うちら、別にそんなハッピーなバンドじゃないですもん(笑)」
シン 「そうですよ、暗いし(笑)。僕がFacebookに“アルバム出します”って書いたら、だれも“いいね”を押してくれなかった(笑)。それぐらい孤独ですよ(笑)」
sirafu 「〈レクリエーション・ソング〉も一見楽しそうですけど、一番毒を入れた曲で、“僕たちは勝手におもしろいことをやるから、ついてきたい人はついてきてください”というメッセージを込めた曲で。みんながわかることだけをやっても楽しくないじゃないですか」
――最後が「国境」という長尺のドラマチックな曲で終わるアルバムの展開も、意味深に思います。まさに喜怒哀楽が渦巻いたままのフィナーレというか。
sirafu 「あれは初期のメンバーだった井手リョウくんがバンドを辞めて東京を離れるときに作ったお別れの歌だったんですよ。アルバムの最後を〈踊れ!洗濯機〉で終わると、“すごく楽しいバンドです”みたいな感じで終わっちゃうなと思ったから、何かそうじゃない曲を入れたかったんです」
――これから音楽をやっていこうという人たちにとっても、生活と一緒にバンドがあるというひとつの理想に、片想いはなりえるんじゃないかと思うんです。人生と一緒にバンドがあってどちらかを選択するんじゃなくて、その両方がごちゃ混ぜになってこんなにおもしろくなるっていうひとつの指針を示してくれているような。
sirafu 「今回、特典のDVDとか〈Daily Disco〉のPVの映像をやってくれた山岸聖太さんとおもしろいことができて、僕たちがふざけられる方法をまた新たに手にした感じがあるので、そういうアプローチは今後もしていくと思います」
あだち 「こうやって取材を受けていても、片想いってかたちや言葉にしづらいことをやってるんだなって思うんです。僕らにとってはとんちれこーど周辺とかで当然のようにやっていたことを、こうやってかたちにしていかなくちゃいけないのは難しいなって、レコーディングのときも実感してました」
sirafu 「かたちにしちゃうことで削がれちゃうものはあるんですよ。そこを喪失しないようにするのはすごく気をつけてます」
――でも、このCDが出ることで片想いの曲を知り、ライヴも今よりたくさんの人が見るようになって、片想いの音楽とは何なのかを説明しなくていい社会をだんだん作っていくきっかけになるんじゃないかと思いますよ。
sirafu 「そうですね。“片想いを聞けば世界はみんな片想いになって平和になるんじゃないか”っていう発言があって。そうなりそうな気がします」
取材・文 / 松永良平(2013年7月)
撮影 / 相澤心也
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