リサイタルや録音で、美しく華麗で繊細なコロラトゥーラを披露し、日本のみならず欧米でも高い人気を誇るソプラノの田中彩子が、「コロラトゥーラ・ファンタジー」と題するリサイタル・ツアーを行なう。9月19日(金)から12月7日(日)までまで全国8公演が組まれ、長野、福岡、岐阜、埼玉、大阪、愛知、東京で開催される。プログラムはメシアン、オッフェンバックのクラシックから映画音楽のルグランまで幅広く、ファンタジーの世界を描き出す。

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――今回のツアーは「コロラトゥーラ・ファンタジー」と銘打たれていますが、選曲はどんなイメージを抱きながら行なわれたのですか。
「私は子どものころから本を読むのが大好きで、『クレヨン王国』(福永令三著作の児童文学作品シリーズ)の大ファンでした。小学生のころですが、毎日読みながらさまざまなことを連想し、自分でも物語を作り、フワーっとした雰囲気を醸し出す内容にドキドキワクワクしていたものです。そのころ抱いていたそういう気持ちを大切にしたいと思い、透明感あふれるピュアな音楽を集めてうたいたいと考えるようになったのです。プログラムはフランス作品やユーロ・ポップス、そしてなつかしい映画音楽などを組み入れ、多種多様な色彩感が生まれるように工夫しています。みなさんもそうでしょうが、私も子ども時代に読んだ本、そして聴いた音楽、観た映画というものはかなり印象深く、大人になってからも忘れられない作品が多いのです。とくに映画は大好きで、とりわけ60年代の傑作と称される映画には引き付けられています」
――今回は映画音楽でもとくに有名な曲、多くの人たちがたくさんの思い出を抱いているであろう曲が選ばれていますね。
「ミシェル・ローランの〈シバの女王〉は、ぜったいにうたいたいと思っていた曲です。多くの人がこの曲のすばらしさをご存じでしょうし、私も大好きな曲ですから。日本ではレイモン・ルフェーヴル・グランド・オーケストラの演奏で有名になりましたが、その後ローラン名義でなかにし礼訳詞の日本語ヴァージョンが生まれ、いろいろな歌手がうたうようになりました。私はフランス出身のダニエル・リカーリの歌が好きで、コロラトゥーラに近い感じがするのです」
――ミシェル・ルグランの有名な「シェルブールの雨傘」も、同時期のフランスを代表する映画音楽ですね。
「この曲はぜったいにはずせないでしょうね(笑)。メロディが美しいですし、音楽を聴くと映画のシーンが連想でき、ほんのり温かな気持ちになると思います。私はこの曲をうたうときには、とても繊細でこわれやすいイメージを抱き、その空気感を大切にしています。今回のプログラムは、全体的にこの繊細さ、美しさ、ピュアな雰囲気、透明感あふれる感覚、ワクワクドキドキしながら夢の世界へといざなわれる雰囲気を大事にしたいと考えて組み立てています。聴いていただく人が、それぞれの思い出を辿りながら、自分の世界へと入り込んでいく。この曲は大切な人と一緒に聴いたなとか、この映画は家族が涙していたっけとか、この曲を聴くと自分のなかであるストーリーが湧き上がってくるなとか、いろいろなことに考えを巡らしてほしいのです」
――メシアンの「ヴォカリーズ・エチュード」は、どんな出会いがあった曲ですか。
「メシアンの〈ヴォカリーズ・エチュード〉は歌詞をもたない小さな曲で、そのなかにメシアンらしい音の絵が感じられます。メシアンは軽井沢を訪れたことがあり、そこで鳥の鳴き声を聞いて、『7つの俳諧』という作品のなかに〈軽井沢の鳥たち〉という曲を入れています。今回のシリーズの前のリサイタルで、8月9日に軽井沢の大賀ホールでうたう機会があり、ここでもメシアンの〈ヴォカリーズ・エチュード〉をうたいました」

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――田中彩子さんはウィーンを活動の拠点とし、オペラ、歌曲などを幅広くうたっていますが、ウィーンに長く住んでいらして、もっとも魅了される点はどこですか。
「季節の移り変わりをとても身近に感じられることでしょうか。いまや日本は季節を問わずどんな野菜や果物でも、多くの食材を自由にいつでも買うことができますが、ウィーンはホワイトアスパラガスやかぼちゃなど、その季節でしか味わえないものがたくさんあります。ホワイトアスパラガスがお店に並ぶと、ああ、今年も春が訪れたとその幸せ感を味わうことができますし、ウィーンはあんずがとても大切で、あんずジャムがないとスイーツが成り立ちません。ザッハトルテは、あんずジャム以外の果物のジャムでは考えられないんですよ(笑)。ぶどうもそうですね、ワインの新酒の季節がありますし。そうした季節の訪れは、人生の歓びに通じ、生きる幸せにつながります。そうした感覚を、つねに歌に盛り込みたいと考えています。ウィーンに住んでから、もう23年目になります。あるときには、どこかほかの都市に移ろうかと考えたこともあり、アメリカに来ないかという誘いを受けたこともあります。暮らす場所が変わると、また自分がどう変わるのか、歌にどんな影響があるのかとずいぶん考えたこともありますが、私はちょっとだけ住むということができない性格ですので、やはりウィーンに根を張ったほうが自分に向いているなと思っています」
――60年代の古い映画が大好きとのことですが、今後はどんな曲をうたっていきたいと考えていらっしゃいますか。
「本当にこの時代の名画にまつわる思い出はつきません。大好きな映画音楽は『いそしぎ』『風と共に去りぬ』『シェルブールの雨傘』『ニュー・シネマ・パラダイス』『ゴッドファーザー』『ミッション』『ティファニーで朝食を』など、挙げたらきりがないくらいです。『ひまわり』や『第三の男』『鉄道員』などの音楽も大好きです。そういう曲をうたうと、自然に自分の脳裏にその映画を観たときの様子が思い浮かび、えもいわれぬなつかしい気分になり、夢の世界へと誘われる感覚になります。私はピアソラの〈天使のミロンガ〉が大好きなのですが、『ゴッドファーザー』の男性的な美しさを描き出す映画の場合は、私なりの考えで、その曲の上方を天使が飛んでいるような雰囲気でうたいたいなと考えます。映画音楽も自分のなかでじっくり咀嚼し、映画と音楽のイメージを大切にしながら私ならではのイメージを描き出したいのです。自分なりの新たなストーリーを編み出すような形で、新鮮な歌をうたいたいと考えています。その場合に、本から得るものはとても大きいですね。自分の想像力と創造力を喚起してくれますので。私は昔からファンタジーあふれる本やミステリーをたくさん読んできましたが、友人がまったく異なる視点で薦めてくれる本も貴重です。新たな世界を知ることにつながりますから。いまは薦められた、杉井光の『世界でいちばん透きとおった物語』を読んでいます」
取材・文/伊熊よし子
〈田中彩子 ソプラノ・リサイタル 2025 コロラトゥーラ・ファンタジー〉出演:田中彩子(ソプラノ)、佐藤卓史(p)
9月19日(金)長野・木曽文化公園 文化ホール
9月27日(土)福岡・福岡シンフォニーホール(アクロス福岡)
10月12日(日)岐阜・サラマンカホール
10月26日(日)長野・八ヶ岳高原音楽堂
11月2日(日)埼玉・所沢市民文化センター ミューズ マーキーホール
11月8日(土)大阪・住友生命いずみホール
11月15日(土)愛知・豊田市コンサートホール
12月7日(日)東京・第一生命ホール
詳細は田中彩子 オフィシャル・サイトをご覧ください。
https://www.ayakotanakaofficial.com/