再始動DOOM、藤田タカシが語る“STILL CAN

DOOM(JP)   2016/03/04掲載
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遂に再始動を果たしたジャパニーズ・プログレッシヴ・ハードコア / メタル・バンド、DOOM。ディスクユニオン内に自らのレーベル「13th REAL RECORDINGS」を設立するや、リリース第1弾として当時モノ音源をたっぷりと追加し1stフル・アルバム『NO MORE PAIN』を再発。往年のファンを喜ばせると、さらなる期待の声に応えるかのように約16年ぶりとなるフル・アルバム『Still Can't The Dead』を発表。混沌と渦巻く、格段にアップデートされた“らしさ”を披露しているバンドから、オリジナル・メンバーの藤田タカシ(vo, g)を迎えインタビューを行なった。
DOOM: PAZZ(ds), 藤田タカシ(vo, g), 古平(b)
――このインタビューを読もうとしている人なら、DOOMが個性的なバンドであることぐらいの予備知識はあると思いますが、初めて知る人に向けて、まずDOOMはどのように結成されたのか、そこから簡単にお話をお願いします。
藤田 「かれこれ30〜40年ぐらい前の話になってしまいますけど(笑)、自分でやってたバンドが宙ぶらりんの状態になったんですよ。個人的には3ピース・バンドっていうものを求めていたんですけど、以前、マネージャーをやってくれてた人に相談したりしてたんですね。そんな中で、神楽坂エクスプロージョンに出ているZADKIELというバンドがいいよと。ただ、解散するみたいなので、そこのベースを誘ってはどうかって話をされたんですよ。そこで観に行ってみたら、諸田コウが弾いてたんです。ご存じの通り、フレットレスなんだけどアームがついているという、はちゃめちゃなベースを使ってて、やることなすこと、ちょっとイッちゃってるなぁと思いながら観てたんですよね。最終的にはそのベースも壊すし、ギターの方もギターを壊すし、ドラマーもキース・ムーンみたいにやっぱり壊し(笑)。これは何か自分と共通点があるなぁと思って、ライヴが終わった後に声をかけたんですよね。そこでバンドを組もうぜって盛り上がった頃、エクスプロージョン自体もアルバイト、従業員を募集してて、俺と諸田はそこで一緒に働くことにもなったんですよ」
――その後、ドラマーはどのように決まったんですか?
藤田 「なんだかんだ、ずっとドラマーがいない状態だったんですよね。でも、ちょうどエクスプロージョンの社長が、“シングルを作ろうぜ”って話もしてきてて。まだインディーズという言葉が走り始めたような時期ですよね。僕らの先輩にはSABBRABELLSANTHEMとかが出してましたけど、俺らが作った音楽が売れるわけがねぇなぁとは思いながら(笑)、ドラム・マシーンでリズムを打ち込みながら、ベースとギターのフレーズを作って……それを1年ぐらいやってたのかなぁ。ドラマーを探しつつですけどね。ライヴハウスで働いてたから、いろんなバンドが観れるじゃないですか。そこで気に入ったドラマーに声をかけたりしてたんですね。そのうちに初ライヴが決まっちゃったので、これはもう急がなきゃいけないということで、現X JAPANYOSHIKIに声をかけて、顔見せをしたんですよ。まぁ、持ち時間は30〜40分あったんですけど、案の定、はちゃめちゃでしたね(笑)」
――それはどういう「はちゃめちゃ」だったんですか?(笑)
藤田 「破天荒な人間しかいないじゃないですか、この3人ですから(笑)。いろんなことを考えながらも、やっぱりインパクトは与えたいねぇなんて言って、斧やチェーンソーを持ったり、もちろんメイクもしたりして。盛り上がったんですけどね。ただ、YOSHIKIはXをそのまま続けたいということだったので、またドラム探しが始まるんですけど、一時、ZADKIELにも参加してた広川錠一に諸田が声をかけたんですよ。それがDOOMの始まりです。1984年ぐらいの話ですね」
――音楽的にはどんなことをやりたいなと思っていたんですか?
藤田 「N.W.O.B.H.M.があったり、LAメタルが流行り始めていたときでしたけど、僕らはそっちじゃなくて(笑)、VENOMとかMOTORHEADとかの方面で、なおかつ、お互いが培ってきたジャズとか、僕が好きだったプログレ的なものだったり、広川だったらKISSとかTHE POLICEとか、それぞれ好きなものを好きなように表現しあおうという話で、楽曲は作り始めたんですよ。3人の個性はとりあえず出していこうということでね。ただ、先が見えてしまうものはあまり面白くないし、オマケに人と同じことをやるのは嫌いな3人が集まったので、結果、ああなってしまったというか(笑)」
――初めて聴いたときは、どのように曲を作るのか、とても不思議でしたね。
藤田 「他のバンドがどう作っていたのかわからないですけど、ジャムることが第一で、その中でお互いがどんな表現をできるか。それがバンドとしての根本的なものだと、自分では思ってるんですけどね。それは今でもそうですよ。Protoolsやパソコンで音を作ったりとかも一切しないですから」
――今もそうなんですね。藤田さん自身がギターを始めたキッカケは何だったんですか?
藤田 「俺が小学校4〜5年のときに、8つ上の姉が井上陽水とかカルロス・サンタナにハマってたんですよ。それを同じ屋根の下で聴いてたのがキッカケですね。初めて観に行ったライヴも姉に連れて行かれたんですけど、内田裕也さんがやってたワールド・ロック・フェス(後楽園球場)だったんですね。それがまず衝撃的でしたね。SANTANAとかジェフ・ベックとかGRAND FUNK RAILROADとかが出てて。今となっては、すごく貴重な経験でしたね。NEW YORK DOLLSも観れたし。その頃にアコースティック・ギターで井上陽水さんの〈氷の世界〉のコピーから始めたんですよ。もちろん、譜面も読めなかったから、姉が弾くコードを観ながら、自分も押さえ……押さえようと思っても押さえられないんですけどね、やっぱりF(のコード・フォーム)で断念したりとか(笑)。エレキ・ギターを手にしたのは、中学生になってからですね。新聞配達の手伝いをしてお金を貯めて、足りない分は親に頼ったりして。当時、姉と新宿まで来て、楽器屋さん巡りをして、あれがいい、これがいいって話しながら、6万5千円ぐらいのものを買ったんですよ。それが初めてのエレキ・ギターです」
――エレキに移行した理由は何だったんですか?
藤田 「やっぱ、中学生になると、周りにTHE BEATLESが好きだとか、THE ROLLING STONESが好きだとか、いや、DEEP PURPLEだ、LED ZEPPELINだなんて人も出てくるわけですよね。不良仲間は、CAROLに行ったりしてたんだけど、僕はLED ZEPPELINだったんですよ。でも、LED ZEPPELINがいいと思える仲間はホントに少なくて、しょうがないから、バンドではCAROLをやったりTHE BEATLESをやったりという結果にはなったんだけど。そういえば、中学校の文化祭のときに、アンプを借りようって話になって、新宿御苑スタジオでアンプを借りて、マーシャルを荷台に載せて、電車で小平まで運んだなんてことがありましたね(笑)。そう考えると、その頃から破天荒なことをやってるんですよ。学校では、後にエレキ・ギター禁止になったんですけど、じゃあ、どうしようかって、アコースティック・ギターにピックアップをつけて、アンプに挿してやったことがありますね。“これはエレキじゃありません”って言って(笑)」
――でも、ピックアップをつければいいんだという知識はあったんですね。それもいかに一所懸命やっていたかという証だと思いますが、LED ZEPPELINはどこに惹かれたんでしょう?
藤田 「やっぱ単純にカッコいいと思えたんだと思いますよ。今もそうだけど、様式美的なものはあまり好きじゃなくて。LED ZEPPELINはわりとナチュラルで、ナチュラルなまま演奏して、ステージをやってるように思えたんで。ただ、DOORSもよかったんだけど、難しすぎた、当時はね」
――でも、その頃には、将来、プロ・ミュージシャンとしてやっていきたいんだという思いは芽生えていたんですか?
藤田 「いや、プロというよりも……その頃から、“セックス、ドラッグ、ロックンロール”という言葉は耳にしてて、キレイなお姉ちゃんがそばにいて、オープンカーに乗れて、お酒を浴びるように飲めて、持ち上げられていい思いができるんだと思ってたのが……それがプロじゃないと思うんだけど(笑)、そうなろうとは思ってましたよ。だから、単純にモテたいとかは思ってましたね。ライヴハウス・デビューが16歳だったんですよ、高1の夏。福生のチキンシャックってところだったんですけど、(東京西部の)三多摩地区の高校の中で作ったバンドで出演したんですね」
――そのときにはすでにオリジナル曲を演奏して?
藤田 「オリジナル曲とコピーですね」
――後のDOOMにつながってくるような曲も書いていたんですか?
藤田 「まぁ、活かされているかどうかは、わからないですけどね。それがあったから、DOOMができたというのも、もちろんあるでしょうけど。ただ、福生は遊ぶ場所になってたし、リハーサルをする場所でもあったんですけど、当時はまだベトナム戦争が終結していないような状況だったので、危ないところでもあったし、面白いところでもあったんですよ。ライヴハウス、ライヴ喫茶もいっぱいあったし。その頃の横須賀とかもわりとそうだったんじゃないかな。そのうちに横田基地内のフェスティヴァルとかでもライヴができるようになったりして。あの頃は自分が欲しい音楽の情報を得るには、FEN(米軍基地関係者向けのエンターテインメント系ラジオ局)ぐらいしかなかったんですよね。だから、情報をいち早く手に入れるには、基地の中に潜り込むしかないってことで、輸入盤もそこで買ったり、仲良くなった外人と物々交換したりしてたんですよ」
――環境が与えたものは大きいですね。
藤田 「そうだと思いますよ。先にバンドをやってた姉の仲間とかが、情報を持ってきてくれたりもしたし。付き合ってる先輩方がいたのも、すごく大きかったですね。まぁ、悪いこともしましたけど(笑)。高校のときには、バンドをやりながら、ギターも勉強したいという欲が出てきたんですけど、実家の近所の八百屋さんに、ジャズをやっている人がいて、休み時間に公園でギターを弾いてたんですよ。それをずっと見てたら、“自分のギターを持ってこいよ”って誘われて、ちょっとずつ教わったこともありましたね」
――いろんな音楽的要素を、自然に自分の中に取り入れていく日々だったですね。
藤田 「そうだね。だから、今みたいに情報過多ではなかったから、自分で探すしかなかったというのが、一番大きかったのかもしれない。今の同年代の人たちと比べると、もっともっと貪欲だったんじゃないかなぁって思えますよね」
Photo By Miki Matsushima
――それから時を経て、DOOMが始動するわけですが、まずこのバンド名が印象的でしたよね。
藤田 「“裁判長”というか、“最後に審判を下す人”という意味があるんですけど、高校のときに組んでたバンドがBUDDAって名前だったりして、簡単でインパクトがあって、意味深いものってことで考えたんですよ。DOOMという言葉は知ってたんですけどね。それが23〜24歳ですけど、そのときに“ロゴを作らなきゃいけないな”と思って、手書きで書いてたのが、今のロゴなんですよ」
――当時のファンは、みんなノートなどにロゴを真似て書いてましたね(笑)。DOOMの初期は、スラッシュ・メタルと言われるバンドと一緒にライヴをすることが多かったですよね。
藤田 「スラッシュ・メタルという言葉自体も走り始めた時期でしたけど、なぜかわからないけど、エクスプロージョンという小屋には、後にスラッシュ・メタル・バンドと呼ばれるバンドが集まるようになっていたんですよね。自分はPAをやってて、諸田はブッキングとか照明をやってたんですけど、何かこれでシーンが作れそうだなって予感があって。そこで立ち上げたのが、〈SKULL SMASH〉という企画だったんですよ。そしたら思っていた以上にシーンとして盛り上がっていって、後にビクターからオムニバス(『SKULL THRASH ZONE volume1』 / 1987年)がリリースされることにもなったり。別に僕らはスラッシュ・メタルって名乗った覚えもないし、メタルだと言った覚えもないんだけど(笑)、その中でやる機会は確かに多かったですね」
――あの当時、音楽雑誌を読んでいると、UNITEDJURASSIC JADECASBAHSHELL SHOCKといったバンドと並んで、DOOMも一緒に名前が出てくることが多かったですが、音楽性で言えば、明らかに違っていましたよね。その頃は「こういうものもスラッシュ・メタルというのか」と思い込んでいましたが。
藤田 「だから、ある意味、DOOMはズルかったのかもしれないね(笑)。最終的にビクター / インビテーションと契約してデビューしたのも、そのシーンがなかったら、できなかったことだと思うんですよ。でも、それを支えてくれていたのも、〈SKULL SMASH〉に出ていたバンド、仲間だったとは言い切れるし」
――しかし、その後、アルバムなどのリリースも続ける中、1990年代半ばには活動休止という状態になりました。それはなぜだったんですか?
藤田 「これは諸田コウの体調不良がキッカケではありましたね。最終的にビクターと契約して6年目ぐらいかな。3ピースという最小人数でやってるので、一つコマを失うと活動ができなくなりますからね」
――1999年に諸田さんが急逝した後、藤田さんのプロジェクトのような形でDOOMを復活させ、アルバム『WHERE YOU LIFE LIES!?』を発表しましたよね。
藤田 「ずっと何かやらなくちゃとは思ってたんですよ。そんなときに“じゃあ出そうよ”って、手を挙げてくれたスタッフの方がいて、DEF.MASTERのYOU-MIも、“手伝いますよ”って感じで参加してくれたんですね。当時、インダストリアルみたいなものが盛り上がってて、それにちょっと近いニュアンスで、DOOMの要素も加えながらやってみようかというのがキッカケではありましたね。セールス的にも思うようなところまではいかなかったし、ディストリビューションの問題も抱えながらではあったので、ちょっと残念な結果には終わったんですけどね。そういえば、当時、確かNINE INCH NAILSが来日してたんだけど、“一緒にやればいいのに”なんて軽く言われたりもしましたね(笑)。ただ、別にインダストリアルの方向に行きたいと思っていたわけでもないんですよ」
――たまたまそういうコラボレーションだったということなんですね。そして、ついに本格的な再始動が実現しました。
藤田 「それについては、この人に聞いていただいたほうがよいかと(笑)」(revontulet recordsの上原英人氏に話を振る)
上原 「だいぶ前から言ってたんですよね。2009年にSHELL SHOCKが復活したとき、PAZZさんがドラムを叩いてたじゃないですか。そのときに“DOOMやらないですかね、DOOM”って、ひたすら言ってたんですよ(笑)そんな中で、アルバム(『肆 -SHI-』 / 2013年)のジャケットの打ち合わせの後で、一緒にDOOMのマネージメントを手伝ってる元クラブチッタの藤本と飲んだ時に、クラブチッタで何かイベントやろうって話になったんですね。そこでもう、DOOM復活だって勝手に段取りして(笑)」
藤田 「全然俺の知らないところでね(笑)」
上原 「UNITEDのベースの横ちゃん(横山明博)が亡くなっちゃって、その通夜のときに、“藤田さん、とりあえずチッタを押さえてるんですけど”って」
藤田 「そう、不謹慎ですよね。横ちゃん、残念だよねぇなんて話してたら、“DOOM復活ですよ”とか何とかって話し始めて(笑)。そんなこんなで、冗談なのか本気なのか、よくわからないぐらいの感じで捉えていたものが……もちろん、自分でもやらなきゃとは思ってたんですよ。この歳になると、身近なところで亡くなる方が多いじゃないですか。自分も死ぬ前に何か残さなきゃっていうのは常に思ってたし、だったらこの機会なのかなと思ったんですよね。だから、ある意味、それがいいタイミングだったんでしょうね」
Photo By Miki Matsushima
――次はDOOMでしょうみたいな待望論は常にありましたけどね。
藤田 「うん。ただ、周りで再結成、復活ブームというのがチラチラ見える中、ちょっと他と同じような復活の仕方……にはならないだろうけど、違う見せ方、また1から地に足がついた状態でやりたいとは思っていたんですよ。まぁ、実際には、〈YOKO FEST THE FINAL〉(UNITEDの横山明博への追悼イベント / 2014年9月)への出演が急遽決まったりとかはあったけど、去年の1月のイベントが、現実的には顔見せみたいな感じだったのかな」
――いつかDOOMをまたやってもいい気持ちではいたんですね。
藤田 「うん。自分で他の名前でバンドを組んだとしても、結局、DOOMになっちゃうんだろうなと思ってたし(笑)。DOOMという言葉をずっと背負わなきゃいけないのだとしたら、やっぱりDOOMでやるべきだと思ったし。それを望んでいるファンの方がいるんだったら、それに応えるものをやるべきだと思ってたんで」
――先ほど〈SKULL SMASH〉という話が出ましたが、それこそ現メンバーの古平さんも参加していた、DOOMのトリビュート・バンドのSKULL SMASHもありましたよね。そのステージ(2006年1月=目黒ライブステーション)に藤田さんも出演したことがあったじゃないですか。傍から見ると、これは重大な事件のようにも思えたんです。DOOMをやることへの拒絶はないんだなと。
藤田 「結構、お客さんも入ってましたよね。あの日に出ていたのも知ってる連中ばかりだったから、懐かしいのも反面、自分のケツを叩かれてるような感覚もあったし。もちろん、SKULL SMASHというバンドに対しても、以前からありがたいなとは思ってましたから、ああいう機会を作ってもらえたのは、自分に対しても励みにはなりましたね」
――当時はJさん(LUNA SEA)のツアーにも参加されていましたよね。思い起こせば、こちらも再び始動したSCHAFT藤井麻輝さんのSOFT BALLETの作品などでも藤田さんはプレイしていた。つまり、メタル界隈ではないところからもオファーが寄せられる音楽家、その魅力がDOOMにはあるのだろうなと改めて思ったんですよ。
藤田 「どうなんですかねぇ……何か求められてるんだったら、自分を活かそうと思うし、自分の音で呼ばれて、自分の音を表現できるのであれば、行くべきだと思うし。呼ばれて弾くことは、すごくありがたいし、勉強にもなってると思うんですよ。THE MAD CAPSULE MARKETSにしろ、SOFT BALLETにしろ、Jにしろ、いろんなことを経験しましたね。ただ、この20〜30年って、サポートの仕事ばかりやってきましたけど、自分に対しての修行期間、いろんな意味での下積みだったんじゃないかなと思うんですよ。それを今のDOOMに活かせるんだったら、いいんじゃないかなと思ってるんですね」
――その一つの結実と言える、DOOMの復活アルバム『STILL CAN'T THE DEAD』が完成しましたが、曲作りもかつてとはまた違ったと思うんですね。
藤田 「すごく大変だったというか、ぶっちゃけ言ってしまうと、曲はなかなか完全にはできなくて、プリプロで固めて持っていったレコーディングじゃなかったんですね。だから、現場処理。もちろん、大枠ができたものをレコーディング・スタジオに持っていったわけだけど、歌が入るまでは、他のメンバーは完成形が全然わからなかったし。僕がフレーズをほとんど持っていってるから、僕の頭の中では想像できていても、他の二人はなかなかできないわけですよ。とにかく、自分のプレイに必死になってもらうことが最優先でしたね。とはいえ、だいたいいつもそうなんだけど(笑)。だから、今回のアルバムに関しても、メンバーにとっては、結構、サプライズですよ(笑)」
――フレージングにしても、一筋縄ではいかない構成にしても、やはりDOOMのアルバムだなって印象を強く受けるんですよ。
藤田 「ははは(笑)。自分ではわからないんですよね。とりあえず、毎回、自分の好きなようにはやってるだけなので。ただ、今回のアルバムって、今までで最も藤田色が強いのかもなって感触はあるし、自分でも驚いてるんだけど、出来上がってからも、何回も毎日のように聴き直してるんですよ」
――それは単純に自分たちの新しい音が気になるということなんですか?
藤田 「気になるのもあるし、このアルバムをキッカケにライヴをやらなきゃいけないというのもあるんだけど……何だろう? どうしてかわからないです。ある意味、それだけ自信があるのかもしれないし。もちろん、反省点もあるんですよ。それがなくなったらおしまいだなと思うし。だけど、今回みたいに何回も聞き直すというのは、今までのアルバムではほとんどなかったですから」
――聴き手それぞれが感じるDOOMらしさは違うとは思うんですが、アコースティック・ギターの音色なのかインストゥルメンタルそのものなのか、複雑怪奇さに頷かされる一方で、聴き入ってしまう場面も多いんですよね。
藤田 「あぁ。懐かしいなって思えると思うんですよね。たとえば、インストの曲とかも、クサいと思われそうな下りのコード展開をループしているだけなんだけど、そのクサさを感じないというか、DOOMなりのことができてるのかなとか。まぁ、自画自賛するわけじゃないですけど」
――コンセプト・アルバムではないとは思うんですが、一つのストーリーのようにも感じられるんですよ。それは歌詞によるところも大きいかもしれませんが、すべてがつながっているような。
藤田 「感性の中でストーリー性はできているのかもしれない。ただ、それを客観的に自分で言葉にできるということは、多分ないんですよね。でも、テーマにしたかったのは、“STILL CAN'T(BE)THE DEAD”なんです。まだ死ぬ訳にはいかない。それはさっき話したように、自分が今回のDOOMを始めるキッカケにもなったことでもある。そういうものが感性的に働いて、ストーリー性が生まれたのかもしれないです。とはいえ、他のメンバーは知らないんですけどね(笑)。別にわからなくてもいいなと思ってて。でも、演奏の面でも人間的にも信頼してる。信頼したがゆえに大変なこともあるけどね、イチかバチかで演奏してきたりして。でも、それが3ピースの面白さなんですよ。それもリアルに表現したかったから、今回もProtoolsというものの縦線には頼ってないし、常にクリックが鳴ってたわけでもないんです」
――ええ。すべて一発録りしたのかなと思うぐらいの生々しい音像ですよね。
藤田 「3テイク以上はやってないですね。3テイクやってダメならもうダメだとプレッシャーを与えて……それは自分にも当てはまるんだけど(笑)。PAZZが一番ナーバスになってたかな。でも、それがいい方向に、グルーヴ感として出れば、多少、間違ったプレイをしていたとしても、俺は大事だと思うんですよね」
――DOOMの場合、一風変わった音の外し方が聞こえてきても、あえてやっているとしか思えないところがあるので……。
藤田 「それってズルいですよね(笑)」
――SKULL SMASHの方々も、よくコピーしたなと思います(笑)。さて、新作に伴うツアーも決定してはいますが、DOOMについては、今後、どのように動かしていこうと考えているのでしょう?
藤田 「まぁ、演歌じゃないですけど、ステージに立ってナンボなんで、ライヴ中心だとは思うんですよね。作品を出しても売れない世の中になっているのは確かだろうけど、インディーズの走りの頃は、盤を持って会場で手売りをしたり、Tシャツを作ったり、いろいろ四苦八苦しながらやってたじゃないですか。単純ですけど、それが基本でいいんじゃないかな」
――40〜50代のミュージシャンが大活躍している昨今ですから、若い世代がDOOMからいい刺激を受けてくれたらいいなとも思いますね。
藤田 「俺らが若いときには、四人囃子とか、クリエイションとか、カルメン・マキ&OZとか、こちらは頑張って欲しいと思っていても、頑張れない状況もあったと思うんですよ。だからこそ、今のオッサン世代は頑張らなきゃいけないなと思いますよ。そして若い人には、もっと頑張ってもらわないとね(笑)」
取材・文 / 土屋京輔(2016年1月)
DOOM///S/C/T/D TOUR 2016
www.doom-real.com/
※全箇所、前売チケット購入者特典でリ・レコーディングした「NO MORE PAIN」のセルフカヴァー収録のフリーサンプラーCD(1曲入)をもれなくプレゼント。フリーサンプラーCDは入場時にお渡し致します。

2016年3月6日(日)
千葉 LOOK
開場 18:30 / 開演 19:00
出演: DOOM / HELLCHILD
前売 3,000円 / 当日 3,500円(+ ドリンク別)

inochigake.com/



2016年3月20日 (日)
北海道 札幌 KLUB COUNTER ACTION
開場 18:30 / 開演 19:30
出演: DOOM / BAKI(MOSQUITO SPIRAL / GASTUNK) / SILVERBACK
前売 3,000円 / 当日 3,500円(+ ドリンク別)

www.klubcounteraction.com/



2016年4月3日(日)
宮城 仙台 BIRDLAND
開場 18:30 / 開演 19:00
出演: DOOM / COCOBAT / EXORGRINDST
開場 18:30 / 開演 19:00
前売 3,000円 / 当日 3,500円(+ ドリンク別)

sendai-birdland.com/



2016年5月1日(日)
愛知 名古屋 APOLLO BASE
開場 18:30 / 開演 19:00
出演: DOOM(※ゲストバンド有)
前売 3,000円 / 当日 3,500円(+ ドリンク別)

apollo.sflag.co.jp/



2016年5月3日(火・祝)
「TWEAK FREAKS」
福岡 KIETH FLACK
開場 19:00 / 開演 19:30
出演: DOOM / ミミレミミ
前売 3,000円 / 当日 3,500円(+ ドリンク別)

www.kiethflack.net/



2016年5月4日(水・祝)
diskshop misery 23th anniversary
「HOWLING COMUNICATION special」
広島 CLUB MUGEN 5610
開場 18:30 / 開演 19:00
出演: DOOM / ORIGIN OF M / GODDAMN DAHAA / SPIRITUAL GAME / DJ 鉄太
前売 2,300円 / 当日 2,800円(+ ドリンク別)

www.diskshop-misery.com



2016年5月5日(木・祝)
大阪 KING COBRA
開場 18:30 / 開演 19:00
出演: DOOM(※ゲストバンド有)
前売 3,000円 / 当日 3,500円(+ ドリンク別)

king-cobra.net/



2016年5月29日(日)
東京 新代田 FEVER
開場 18:30 / 開演 19:00
出演: DOOM(ワンマン)
前売 3,500円 / 当日 4,000円(+ ドリンク別)

※チケット一般発売: 2016年3月5日(土)
www.fever-popo.com/




J Birthday LIVE 2016
-Special 2 Nights-

2016年8月11日(木・祝)
東京 赤坂 BLITZ
Special Guest: DOOM
開場 17:00 / 開演 18:00
5,300円(税込 / ドリンク代別)

※チケット一般発売: 2016年5月28日(土)
※お問い合わせ SOGO TOKYO 03-3405-9999

www.j-wumf.com

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