ある意味ニセモノ──半田健人が構築した“メタ・フォーク”アルバム『生活』

半田健人   2018/06/19掲載
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 昨年リリースされた『HOMEMADE』が、かねてから定評高かった“遅れてきた昭和歌謡”感満載。かつ凝り性なサウンドメイカー魂が炸裂したアルバムだったから、半田健人新作が“フォーク・アルバム”。それも往年のURCやベルウッド・レーベルの“あの感じ”にこだわった……と聞いた時には、半分納得しつつ、けど、やっぱり驚いた。“職人性”の極地とも言える70年代歌謡への偏愛から一転。一見対極と思える世界の再現に取り組んだ。そこに一切迷いは感じられないけれど、にしても、酔狂な人ですなあ。84年生まれ。『仮面ライダー555』主演歴を持つ人気俳優でもある彼が、なにがどうしてこうなった?という来し方を含め、ついつい訊いてみたくなる。
『生活』
――今回のテーマである“フォーク”にたどり着く以前、そもそも半田さんが愛してやまない70年代歌謡曲自体、リアルタイムで体験されたものでは、なかったわけですよね。
 「ヒットチャートを意識するようになった頃、たとえば10歳当時に流行ってた音楽に、心打たれなかったってだけの話なんですけどね、言ってしまえば」
――換算して94〜5年頃というと……小室(哲哉)サウンドの全盛期(笑)ですね。
 「まさにそうです。織田哲郎さんは好きだったんですけど。TUBEさんとか。最後の歌謡曲の匂いがあるから、そういうのはいいなと思ってたんだけど、TKサウンドは“ワシにはわからん”(笑)」
――子どもごころに。
 「最近の若いの、っていうか、僕から見るとにいちゃんねえちゃんですけど(笑)。“これがいい”と言ってるらしいけど、ワシにはわからんと。だったらわからないまま、音楽なんて聴かないでいいやと思ってた。マンガとかサッカーのほうが楽しくて、小学校時代は、音楽にほとんど興味がなかったんです。“B'zって何人組?”って言ってたレベルで(笑)」
――日本人として、かなりヤバい。
 「いったん“歌謡曲”ってものに触れて、音楽に対する消化機能を獲得してからは、B'zも聴けたし、小室さんがなんでああいう音楽を作ったのか、分析的な目線で聴けるようにもなったんですけど」
――歌謡曲には、どうやって接していったんですか。
 「マンガが好きだったと言いましたけど、リアルタイムで連載されているものを毎週楽しみに読むというよりは、やっぱり70年代の古い作品が好きだったんです。そうすると、そのマンガが描かれた時代の背景に、興味が向くようになって」
――ある意味、考古学的な。
 「ちょっとそうですね。90年代に読んでるわけだから、だいたい20年前。それが、こんなに自分から遠い世界なの?って、疑問が湧いてきたんです。スポ根もの中心に読んでいたせいで、ずいぶんとこう、貧乏くさいなと。そこから当時の世相とか生活環境へと興味が移っていって……。歌謡曲も、最初はそうした情報のひとつ。音楽って、写真とか文章とは違った意味で“雰囲気”が伝わるんですよね」
――ちなみに、お好きだったスポ根マンガというのは。
 「『がんばれ元気』でした。『明日のジョー』とか、梶原一騎先生の作品まではいかない」
――スポ根とはいえ、生活水準は多少上がっている(笑)。
 「小学館ですよね、要するに。あと、スポ根じゃないですけど、楳図かずお先生の『漂流教室』。73年に描かれた作品で、当時から見た近未来という設定。ということは、たぶん2000年代くらいですよね。僕、高層ビルも好きなんですけど、それも『漂流教室』に、当時としては最もモダンな建築だった京王プラザホテルが出てきたから。“この建物は実在するのか?”というところから、取り調べが始まったんです(笑)。関連して、西新宿の街の変化が見えてきたりね。マンガっていうのは、僕の人格形成を司ってる要素ですね、そう思うと」
――一種、タイムマシン的でもある。
 「うん。一方で、たとえば『宇宙戦艦ヤマト』みたいに実際に宇宙に行っちゃうのは、僕にはおもしろくないんですよ。『漂流教室』自体SFですけど、環境汚染が騒がれていた時代に、これから日本もこうなるんじゃないかって危機感が、ヒントになってたんじゃないか。そういう生活感がキーになってる作品が好き、というのはありました」
――地続き感というか。
 「そうですそうです。歌謡曲やフォークにあるのもそれ。そこが共通する要素なのかもしれない」
『HOMEMADE』
――一方で、たとえば『HOMEMADE』を聴くと、情報量がハンパなく多いですよね。
 「オタクですからね(笑)」
――しかも、70年代歌謡の単なるレプリカではないな、と思わせるところがある。上もの、特にパーカッションの入れ方とかに、80年代以降の洋楽に通じるセンスを感じたりします。
 「それはおそらく、洋楽を聴いてきた僕の先生たちからの盗作です(笑)。僕自身は、洋楽をまったく聴いてきていないから」
――ここにも、めちゃくちゃレイヤーが(笑)。
 「作曲家で言えば、都倉俊一先生であったり、川口 真先生。アレンジャーであれば、馬飼野康二先生であるとか。洋楽の影響を本当に受けていらして、それを当時の日本人が食べやすいアレンジにしていた」
――カレーパンのように。
 「そうなんです。“和”の要素を入れておかないと、まんま洋楽だと聴けないだろうと。アレンジというのは自由が利く部分で、主メロさえ歌謡曲的な親しみやすいメロディであれば、聴けてしまえるところがある。歌謡曲しか聴いてない僕からすれば、その向こうにイギリスの音楽からの影響があるとか、関係ないわけですよ。“これは都倉俊一だ”と信じて聴いてるわけですから。そのベースがビートルズだろうがビーチ・ボーイズだろうが、僕には関係ない(笑)。僕が好きなのはあくまで都倉先生であって、“都倉先生が好きな音楽”じゃないわけですから」
――徹底してますね〜。
 「本当に、邦楽しか聴いてないんです。英語力のなさってこともあると思うんですけど、言葉がわからない音楽が、どうも居心地が悪い」
――そこが分かれ道になりますよね。言語をある種の“楽器”として捉える聴き方もありますから。
 「そういうやつが“サウンド志向”だというのも、矛盾してますよね(笑)。洋楽特有のコード進行の“そこが気持ち悪い”って回路も、僕の中にはあるんです。よくあるでしょ。“次こっちだろ”と思って聴いていたら裏切られる、っていうのが。それが僕には耐えられない。そこを裏切るのがモダンなんじゃん。そうしないのはイモだよ、っていうのが洋楽の美意識なんだろうけど、僕はそのままベタで行ってほしいんです。イタリアやフランスのポップスは、そのまま進む場合が多いので、まだ聴けるんですけど」
――邦楽だけ聴いていて、そこまで突き抜けられるのも、すごいです。
 「1950〜60年代だったらいざ知らず、70年代以降の日本の音楽が、海外と比べて“劣ってる”という意識自体、僕にはないんです。曲やアレンジこそ、向こうにインスパイアされた部分はありますけど、録音技術なんて、おそらく日本が世界一ですよ。日本のミキサーの音の調整のセンシティヴさは、世界一だと思う。なのに“海外のほうがいい”って言うのって、むしろダサくね?(笑)」
――そんな邦楽を聴くだけに飽き足らず、自分でも再生産してしまったという。
 「そうですね」
――それも、誰に頼まれてもいないのに(笑)。というのが、2014年に出た『せんちめんたる』を聴いた時の驚きでした。
 「あれは頼まれていないどころか、僕が会社に頼んで作らせてもらった。基本、俳優一本でやってたんですけど、なんとか20代のうちに、音楽作品を発表しておきたいという思いがあって。29歳の時発表できた。自分にとって、人生単位で“必要”なアルバムでした」
『せんちめんたる』
――驚いたのは、歌詞もご自分で書いてらっしゃるでしょ。そこでの世界観が“見てきたようなウソをつく”じゃないですけど……。
 「実を言うと、『せんちめんたる』には私小説的な側面がけっこうあるんですよ。『HOMEMADE』のほうが“見てきたような〜”な要素が強いです。ただ、やっぱり“歌”ですからね。ブログみたいに“今日はこれを食べました”みたいに書くのは、それこそ芸がない。そこは比喩に置き換えるとか、最低のルールみたいなものが、あると思うんです。自分がリスナーとして曲と対峙する時、芸能人なのに私服でステージに上がる芸能人がキライ、というがあって(笑)。人前に出る以上は、身だしなみは整えてくる。それがいわゆるエンターテイナーのマナーじゃないかと。そのマナーに違反してる曲が、昨今は多いです(笑)。それはイヤなんです。一応身だしなみは整えてステージに上がる。それと同じ感覚で歌詞も作ろうよと」
――歌詞もまた、身だしなみであると。
 「『せんちめんたる』の時、特にそれがありました。『HOMEMADE』のほうが、架空のオムニバスの要素が強いですね。とはいえ、僕は職業作家じゃないので、自分が見てきたものが、どこかしらヒントにはなってる。それは事実だと思います」
――『HOMEMADE』収録の「どすこい超特急」を聴いた時は、“お相撲さんを見たんだろうな”と思いました(笑)。
 「あれは見たまんまを書きましたから」
――解説でも、“見たものをふくらませるのは、たしなみ”といった意味合いのことを書いてらっしゃいました。
 「新幹線に相撲取りが乗っていたこと自体、そこまでおもしろいことではないですから(笑)。そこは、曲調なりアレンジでバランスを取る。担当ディレクターに、イントロをほめていただいたんです。超特急感とどすこい感が同居してるって」
――形容矛盾してますが(笑)。
 「相撲取りも瞬発力はある方々ですから(笑)。ほら、相撲の稽古で、土俵の回りで輪になって回ってることがあるでしょ。あれに、イントロのチャカチャカした感じをリンクさせてみたんです」
――ヴィジュアルがアレンジと直結しているケースって、少なからずあるものですか。
 「あります。要は、歌が持つ風景。かっこつけて言うなら、作った時、自分が漠然と思い浮かべていた街や部屋、天気ですよね。それを歌詞に落とし込めない場合は、音で雰囲気を出していく。作詞作曲編曲を自分でやってる利便性ですよね」
――分業だと、お願いしないといけないところが。
 「差し引きが自分でできる。あるんですよ、他人の曲をずっと昼間の感じで聴いていたら、最後の最後に“♪そんな夜〜”とか出てきて、ぎゃふんとなることが(笑)。そういう話は、僕が師事する馬飼野先生ともよくさせていただいてます。馬飼野先生、あれだけ量産されてる職業編曲家でありながら、70年代当時から、歌詞、そうでなくてもせめて曲名くらいはあらかじめもらえないか、常に訊いていたんだそうです。でないと、とんちんかんなアレンジをしてしまうからって。そういう感覚が、僕にもしっくり来るところなんです」
――もっと歌に集中されている方なのかと思っていたので、ある意味うれしい驚きがあります。
 「そうですか」
――すごくトータルに音楽を見ていらっしゃるんですね。
 「トータルに見ますね。特に『せんちめんたる』と『HOMEMADE』まではそうだった」
――なかなか『生活』にたどり着けませんでしたが(笑)、そろそろURCとの出会いについても。歌謡曲と並行して親しんでいたのでしょうか。
 「全然通ってきてないんです。そもそも、“フォーク・ソング”というものの位置づけにしてからが、違ってたものを“フォーク”だと思ってきた気がします。僕が思っていたフォークとは、かぐや姫であり、さだまさしさんであり、松山千春さんであり、アリスであり……。それが違ってたというのが“今”ですよね(笑)。レコード売り上げは、今名前を挙げた方々のほうが圧倒的なので、大衆性ということで言えばすごい存在。否定するつもりはないんだけど、その“大衆性”を否定するところから出てきたのが、本来の“フォーク”だった」
――芸能界的なものに対する“アンチ”として出てきたものですからね。
 「きっかけはギターだったんです。ギターが好きなので、常日頃から弾いていたんだけどエレキが中心。アコースティックも持ってはいたけど、そんなに重要視はしていなかった。それがある時、なぎら健壱さんがギターの名手であることを知りまして。僕、何度か共演させていただいていたのに、なぎらさんのことも誤解していたんですよ。“下町おもしろおじさん”だとばかり思ってた」
――あくまでTV的イメージで。
 「インチキ臭さがなにより売りの人だと思っていた。それが実はすごくギターがうまいという情報を得て、ライヴを観に行き、ものすごく感銘を受けたんです。なぎらさんがやってた音楽ってカントリーだったんですけど、実は僕が洋楽で唯一好きと言えるジャンルが、カントリーだった」
――それはまた、なぜに。
 「父親が好きだったんです。ニッティ・グリッティ・ダート・バンドとか、幼稚園の頃から好きでした。当然“カントリー”と認識していたわけではなくて、ニッティ・グリッティの〈アメリカン・ドリーム〉とか〈永遠の絆〉とかを、単純にいい曲として好きだっただけなんですけど」
――やっぱり、曲志向なんですね。
 「尾崎紀世彦さん経由で好きになった、エンゲルベルト・フンパーティンクがカヴァーしていた〈リリース・ミー〉を好きになったり(笑)。とにかくカントリーに好きな曲がたくさんあった。で、なぎらさんの曲聴くと、全部好きなんです。“なるほど、僕はカントリーが好きなんだ”と。それと同時に、やっぱりなぎらさんがカヴァーしていた曲の中に、高田 渡さんの曲が混じっていた」
――ようやく本題に近づいてきました(笑)。
 「なぎらさんの師匠格だった人だけに、なぎらさんの“高田押し”もすごかったんですよね。なぎらさんだけでも十分いいのに、そのなぎらさんが押す高田さん、どんだけすごいんだろうと思って。900円で買った『』が、まあ衝撃的だった。ポイントはやっぱりヴォーカル。で、ここから今までの話と矛盾してくるんですが、高田さんって、さっき僕が言ってたような“タキシード感”が皆無の歌い方をする人なんですよね」
――(笑)。
 「“部屋着でステージに上がるなよ”と言ってた僕が、ところが高田さんの自然体に衝撃を受けてしまった」
――“事件”ですね。半田さんが、構築されたパフォーマンスを評価してきただけに。
 「そうなんです。僕自身、アレンジにしても演奏にしても重箱の隅をつつくタイプなんで、リリース作品もそうあらねばならぬ、というところがあったんですけど、渡さんの歌を聴いていると、“これでOKテイクなんだ”と(笑)。でも、音質の悪さとかミスタッチを乗り越えて、“歌”が飛び込んでくるんです。歌いたいメッセージというものがあって、それを伝えるために今世この世に降りてきました、そういう感じがあって、“高田 渡はこういう人間なんだ。わかったか”的な自己主張は、みじんも感じられない。自己主張がないがゆえに、ものすごく素朴に歌が飛び込んでくる。こういうパターンもあるんだと、ものすごく衝撃を受けました。そこから高田さん(の音源)を見つけられる限り買って、聴き漁りまして、さらには同時期の同系列のもの。URCがひとつのキーになったんです。あと、ベルウッド。ちなみに、はっぴいえんどには行かないんですけど(笑)」
――そこがおもしろい。あがた森魚さんとか、はまってもおかしくない気がしますが。
 「一応、『乙女の儚夢』は買いました。でも、ちゃんとし過ぎ(笑)。もう少し、ちゃんとしてないのがいい」
――勝手だなあ(笑)。
 「URCっていうレーベル・コンセプト自体、当時のメジャーなレコード会社の真逆を行っていた。とにかくディレクションはしない。演歌や歌謡曲みたいにはおカネがかけられないから、プロモーションもできない分、アーティストの持つ音楽性は否定しなかった。売れないから出さないというんじゃなく、お前が持っているものを出すんだと。それゆえ発禁も多いんですけど(笑)。まさに元祖インディーズ・レーベルですよね。ほんとにミュージシャンズ・レーベルだったんだなと、すっかりはまってしまった。今まで歌謡曲をサウンド志向で研究していたからこそ、見落としていたゾーンだった。ほんと、足元をすくわれた気分でした」
――歌謡曲をサウンド面で捉えていた一方、フォークを“歌”で評価するという視点も、興味深いです。
 「大事なものを忘れていたなって。かと言って、歌謡曲を嫌いになったわけじゃないんですけど」
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――歌詞については、どうですか。
 「あえて分析的に語るのであれば、それこそ『HOMEMADE』までは、1番でこう言ったから、2番では反対のことを言ってみようとか、歌謡曲の作詞術をちりばめていたんですけど、『生活』ではいったんそれを捨ててみた。字余りも多いですし、字数を揃えなくてもいい。僕、基本的に歌詞から書くんですけど、合わないところは歌いながら修正していけばいい。足りなければ同じことを歌えばいいやって。そういう方法があるということを、URCの人たちから学びました。以前は、だめだと思ってたんですよ。でも、歌さえしっかりしていて、アーティストの指針が揺るぎないものであれば、作詞術なんてカタいこと言わなくても音楽の表現として成り立つ。そういう意識を、あらたに植えつけられましたね」
――逆に、ざっくり歌う上での苦労はありませんでしたか。
 「前より簡単です(笑)。しかもギター弾きながら歌ってますから、部分的に録り直すのがむずかしい。よけい“一発で決めます”って心構えになりますよね」
――結果的に、URCのレコーディングに近くなっている。
 「そういうことをやりたかったからこそ、プロデュース兼監修で、柳田ヒロさんに来ていただいた。当時の現場にいらした方ですからね。譜面も書かないで、口で言うやつをプレイヤーが聴いて、“こんな感じ?”てやっちゃってたとか。その場のノリで、おもしろいと思うなりに、演奏していったとか。あと、ライヴ録音がけっこう入ってる。高田さんのファーストなんか、録音されてたのをご本人が知らない音源が、盤になってますからね。そういうところにもインスパイアされて、あえて音質をばらばらにしていることも含め、“再現性”にはこだわってます」
――楽器編成は、カントリーのそれに則ってますよね。
 「その通りです。今回必須だったのが、ペダル・スチールとヴァイオリン。曲によってはラグタイム感を出したかったので、クラリネットを加えてます。ただ、本物のカントリーを聴き込んでやってるわけじゃないんです。そこは歌謡曲と一緒。なぎらさんからは“カーター・ファミリーを聴きなさい”とか言われたんですが、いや、なぎらさんでいいんですけどって(笑)。パーソネルのわからない外国人の歌を聴くよりも、身近な日本人の人を聴いたほうがいい。歌謡曲を聴く時と、そこは変わらない。だから“ニセモノ”なんですよね、変な話」
――“メタ・フォーク”なんですね。ある種の客観性を持って“フォーク”という表現に相対している、という観点から見ると。
 「メタ・フォークです(笑)。いや、僕は『生活』をみなさんに聴いていただきたいですし、一定の評価もいただきたいんですけど、聴かせるのが一番恥ずかしい相手がなぎらさんなんです。半年間のネタが凝縮されているので」
――全部バレてる。
 「バレてるどころか、若干間違ってるところもありますから(笑)。“聴かないでください”って言いながら、渡そうかと思ってます。ただ、このジャンルを開拓したことによって、今後やる音楽にも絶対プラスの変化がある。そんな予感はしているんです。今までとは明らかにカラーの違うものを作りたい、作れちゃうんじゃないかっていうところから始まったアルバムだったので。ライヴをやるんでも、今までだったらバック・バンドをつけたいとか、カラオケで歌うのはあまり好ましくないとか、いろいろわがままを言っていた。けど、弾き語りというやり方をおぼえてしまうと、あとは自分のギターの腕を上げるだけ。以前は、あくまで楽譜を演奏するためのツールとして、エレキ・ギターを弾いていた。アコースティック・ギターを弾くようになって、ギターが“歌うための道具”になりましたね」
取材・文 / 真保みゆき(2018年5月)
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