甘いマスクの端正な顔立ちで甲子園を沸かせ、高校野球ファンのみならず世に“大ちゃんフィーバー”を巻き起こした荒木大輔は、5月6日がバースデー。
1964年に東京調布市で生まれた荒木は、全日本リトルリーグ野球選手権大会で日本一に輝くと、極東大会の優勝を経て、世界大会のリトルリーグ・ベースボール・ワールドシリーズに出場。準決勝のプエルトリコ戦でノーヒットノーランを達成するなど奮闘し、同大会でも優勝。その後も調布シニアで活躍しました。
早稲田実業へ進学すると、高校1年からベンチ入り。エースの故障もあって投手として起用されると、2年ぶりに早稲田実業を夏の甲子園大会へと導く中心選手として活躍。以来、春と夏の甲子園大会に5季連続で出場。甲子園での優勝は果たせませんでしたが、中高生を中心に、特に女性ファンからの熱烈な人気を集め、荒木が向かうところに大勢の女性ファンが集まる光景が連日メディアでも報道されました。
この“大ちゃんフィーバー”は高校野球ファンにとどまらず、赤ちゃんの名前の人気ランキングでは“大輔”がトップになるなど、社会現象となりました。のちに“平成の怪物”として甲子園優勝を果たし、メジャーリーガーにもなった
松坂大輔は、荒木のファンだった松坂の母が大輔と命名したともいわれています。
1982年のドラフト会議を経て、ヤクルトスワローズに入団。さらに荒木の人気が過熱したため、スワローズの本拠地・神宮球場からクラブハウスへ移動する際に熱狂的なファンからの取り囲みを避けるため、“荒木トンネル”なる専用地下道を作ったという報道もなされました。
ヤクルトの主軸投手として活躍し、1993年には日本一も達成しましたが、けがにも泣かされ、横浜へ移籍後、1996年に現役引退。その後は、解説者や評論家をはじめ、西武やヤクルトのコーチ、日本ハムの二軍監督などを歴任し、2024年より城西国際大学硬式野球部のコーチを務めています。
ところで、プロ野球選手は、自慢の“のど”を披露したり、企画モノとしてレコードやCDをリリースすることも少なくありませんが、荒木も過去に歌を出していたことがあります。とはいえ、ソロ名義ではなく、コーラスとして参加したもの。1984年4月に“プロ野球・セントラル・リーグ賛歌”として企画された、
細川たかしの21枚目のシングル「ビクトリー」(写真)がそれ。セントラル・リーグ発足25周年記念として1976年にリリースされた、細川たかしの4枚目のシングル「六つの星」の続編として、セントラル・リーグ誕生35年を迎えた1984年にリリースされました。
細川をメインヴォーカルに、セ・リーグ各チームの主力選手1名ずつがバックコーラスを務めるというコンセプトで制作され、荒木はヤクルトスワローズの代表として参加。そのほか、読売ジャイアンツからは原辰徳、横浜大洋ホエールズからは遠藤一彦、中日ドラゴンズからは宇野勝、阪神タイガースからは岡田彰布、広島東洋カープからは高橋慶彦がバックコーラスとして名を連ねました。
ちなみに、「六つの星」の時には、巨人から王貞治、ヤクルトから松岡弘、大洋から平松政次、中日から星野仙一、阪神から田淵幸一、広島から山本浩二が参加し、歌唱を披露しています。
「六つの星」「ビクトリー」は、細川たかしの歌手生活20周年記念の5枚組CD『
大全集』や4枚組CD『
芸道生活30年記念アルバム 心のこり〜下北漁歌』といったアルバムに収録されたほか、細川たかしの公式YouTubeチャンネルでも聴くことができます。