ビートたけし、
明石家さんまをはじめ、事務所の枠を越えて豪華お笑いタレントが一堂に会し、1980年代を代表するお笑いバラエティ番組となった『オレたちひょうきん族』。1981年5月16日に『決定!土曜特集・オレたちひょうきん族』の番組名で放送を開始しましたが、当初はナイター中継が中止になった際に放送される、いわゆる“雨傘番組”でした。放送回数を7回目にして視聴率が13%を越えると、同年10月10日より『決定!土曜特集』の特集番組の冠を外した単独レギュラー番組『オレたちひょうきん族』となりました。
ビートたけし扮する“タケちゃんマン”や“鬼瓦権造”、明石家さんま扮する“ブラックデビル”“アミダばばあ”、
島崎俊郎による“アダモステ”、
安岡力也が演じた“ホタテマン”などさまざまな人気キャラクターを生み、出演者のみならずスタッフまでを巻き込んだ内輪ウケやアドリブも取り込んだ、当時のフジテレビのキャッチコピー「楽しくなければテレビじゃない」を地で行くような、次々と企画が飛び出すジェットコースター的な内容で、一躍バラエティ番組の代表格へと成長。
最高視聴率は29%超(スペシャル番組)、平均視聴率は17.8%を記録しました。
当時の放送時間の土曜20時は、
ザ・ドリフターズが出演する国民的人気番組『8時だョ!全員集合』が裏番組として放送されていたため、メディアはこぞって“土曜8時戦争”と称した視聴率競争を煽り、同時間帯において15年以上“無敵”だった『8時だョ!全員集合』を1985年に『オレたちひょうきん族』が打ち切りに追いやったなどと報道していました。
そんな強烈なインパクトを残した『ひょうきん族』では、オープニングやエンディング、劇中コーナーなどでさまざまな楽曲が起用されました。オープニングでは、運動会をはじめ、TV番組のBGMやCMなどでよく用いられるロッシーニの歌劇『ウィリアム・テル』の序曲「アレグロ・ヴィヴァーチェ(スイス軍隊の行進)」で幕を開け、人気音楽番組『ザ・ベストテン』を模した「ひょうきんベストテン」などのコーナーでは、
内田裕也プロデュースによる安岡力也の「ホタテのロックンロール」や、
大瀧詠一プロデュースのうなずきトリオによる「うなずきマーチ」などが歌われました。
エンディングでは、ネタ満載の劇中コーナーとは打って変わって、アーティストの楽曲を採用。
EPOの「DOWN TOWN」「土曜の夜はパラダイス」「涙のクラウン」のほか、
山下達郎の「パレード」「土曜日の恋人」、
松任谷由実の「土曜日は大キライ」「SATURDAY NIGHT ZOMBIES」「恋はNo-return」など、当時で言うところの“ニューミュージック”勢の楽曲が用いられました。番組が土曜夜の放送ということもあり、曲名や歌詞(EPO「DOWN TOWN」では“土曜日の夜は賑やか”、「涙のクラウン」では“星影瞬く土曜日の街角へ”など)に“土曜”のフレーズが含まれる曲が多かったのも印象的でした。
そのほかでは、短期間ではありましたが、
フィンガー5を模した
鈴木邦彦プロデュースのキッズ・グループ“クリケッツ”のヨッコが解散後に麻香ヨーコ名義で発表した「グラマー・ボーイ」なども使われました。
(写真は、EPOの1stアルバム『
DOWN TOWN』)