SNSの発達もあり誰もが手軽に発信できるようになってひさしい今、分野を問わずセルフブランディングの必要性が叫ばれている。音楽家にも、日頃から養い続けている感性や技量を“どう見せるか”“どう届けるか”といった、音楽事務所やジャーナリズムなどステージ外の部門が長く引き受けてきた課題が直接ふりかかる。
その意味で、アメリカ留学を経て現在まで広分野にわたる人の縁を着実に築きつつ、ユニークなキャリア形成を続けるヴァイオリニスト廣津留すみれの活躍には目を見開かされる。クラシックにかぎらずタンゴやジャズなど広範な演奏活動もさることながら、『AERA DIGITAL』や『Forbes JAPAN』といった一般媒体のインタビューでは音楽家以外の学生や社会人にも響くであろう彼女の言葉が並ぶ。InstagramやX(旧Twitter)などの当人アカウントもSNSごとに発信傾向がかなり違う。ニューヨークで会社を立ち上げ、音楽家の広報コンサルティングを手がける起業家としてのセンスも垣間見える。
そんな廣津留が、みずからの録音をリリースしてゆくレーベル「HATCH MUSIC」を立ち上げ、クライスラーとその周辺のヴァイオリン独奏曲を集めた最初のアルバムをリリースする。音楽関係者にかぎられない広範な人々との接点を持つ彼女がCD制作に乗り出した企図を、アルバム内容とあわせてうかがってみた。
New Album
廣津留すみれ
『11 STORIES』
HATCHM-001
練習、演奏、講演、執筆、コンサルティング……多くのタスクを回してゆく能力にも驚かされる廣津留だが、当人曰く「ハーバード大在学中がいちばん忙しかったので……」とのこと。そんな彼女があえて自身のレーベルで物理CDを出したことに筆者はまず驚いたが、さまざまな発信方法で他者とのタッチポイントを多く作ってきた一環と思えば不思議はない。
「最初に出たメンデルスゾーンの協奏曲のCDは代演で弾いたライヴでしたし、アルゼンチン・タンゴのCDも自分ではないアメリカ人の方のプロデュースで。自分でこれをやろう! と音盤制作したことがなかったので、せっかくなら自分で選曲やデザインもできる形にしようと。ジュリアード音楽院の先輩たちや仲間にも自分のレーベルを持っている人は多いですね」
平成生まれ世代のプレイヤーがどう個人的に物理CDと関わってきたか、筆者はいつも興味を感じて訊いてしまう。「実家にすごくたくさんCDがあるんですよ! 親がクラシック大好きで。幼い頃は気に入ったジャケットのCDにぷっくりシールを貼って“これわたしの!”と言っていました(笑)。モノとしての魅力をその頃から意識していたなと」。最初に傾倒したのは「〈だんご3兄弟〉のシングルかな……今考えるとあれタンゴだなって思い至ったり」。留学前はまだ大分の街中にCD店があって活気もあり「aikoさんが好きで、よくアルバム発売日前日からフラゲ狙いでお店に行ってましたね」
アルバム制作にあたって家族のCD蒐集が影響源となった面もあるようだ。「イツァーク・パールマンや五嶋みどりさんのヴァイオリン小品集をよく聴いていました。今回のアルバムに続く原体験かもしれません。それから選曲でヒントがほしかったとき、父からギドン・クレーメルのアルバムを紹介されて、ラフマニノフの〈祈り〉はそこで出会った曲です」
アルバム単位でコンセプトが明解に打ち出されている点も、CDなど物理メディアの利点かもしれない。「ヨーヨー・マの(ジャンル越境型カルテットによる)『ゴート・ロデオ・セッションズ』がすごく好きで。そこで弾いているエドガー・メイヤーの息子さんがハーバードにいて、ブルーグラスにも挑戦していて興味をそそられました」ヨーヨー・マは廣津留に音楽家への道を薦めた大きな存在でもあるが、たしかに彼の周囲にはジャンルで区切られない広範な音楽への道が拓けている。「彼と共演してから視野が広がりましたね。ワールド・ミュージック系のアルバムがじつは家にたくさんあったのにも気づきました。バンジョーのベラ・フレックがパートナーのアビゲイル・ウォッシュバーンと弾いているデュオに惹かれたり……」

Photo by クロカワリュート
HATCH MUSICレーベル最初のアルバムは「これまで録音してきたのとは違う、自分のポートフォリオ(自己紹介)となるアルバムを」との思いで生まれた。「子供の頃から弾いてきて思い入れが深い曲を現時点でまとめておくことも、人生の節目として重要と考えています」
当人の思い入れとは別に、本盤では2025年が生誕150周年にあたる名ヴァイオリン奏者 / 作曲家フリッツ・クライスラーの存在が選曲の軸として明確に打ち出されている。「彼の曲と、彼と親しかった作曲家の作品を中心に集めています。編曲作品も彼の敬意のあらわれでしょうから」
冒頭の「ウィーン小行進曲」からして印象的だ。アルバム発売からちょうど100年前の1925年に発表された作品で、第一次大戦後の欧州復興中にありながら来たるべき新たな不安を予告するかのような、独特の凛とした気配が心に残る。「1音目からヴァイオリンで始まる曲を最初に置きたかったんです。この曲はとくにピリッと引き締まる感じがあって、まず気分を高めてからじっくり次へ……という感じですね」散漫にならない入念な曲順も魅力的だ。「曲順はだいぶ悩みました。ゆったりした曲とハイスピードな曲がそれぞれほどよく出揃っていて、後はどう配置するかで苦慮しました」
ともすると過度に主情的にもなりやすい作品が『11 STORIES』には多いが、廣津留の演奏はあくまで冷静な構築美を見失わず、曲そのものに秘められている情感表現が自然に浮かび上がる解釈になっている。「基本的にすっきりしていたいけれど、決めるところは決めて……と、演目の作曲家が誰であれそうなりやすいですね」
自己表現する芸術家としてのクライスラーをどう思うかも聞いてみた。「演奏家としては、人を愉しませたかった人なんだなと感じます。なんでも器用にできるけど、まず聴き手が先。エンターテインメントとしてどれだけ成立するかという発想ですね。クラシックなあり方にもこだわっていない。またプロデューサーとしての才覚も感じます。演奏にかぎらずやれることは何でもやってみて、自分の長所を見つけてゆく活動スタイルは、ひとつのことだけやるよりいろいろ手がけてみたい私自身も共感するところが多いです」

Photo by クロカワリュート
ピアノの河野紘子とは2018年から共演歴がある。「アメリカに留学していたので日本の演奏家にあまり知り合いがいなくて。ジュリアード音楽院ではバッハ・コレギウム・ジャパン(BCJ)の鈴木雅明さんとの出会いもありました。BCJで共演して以来親交の深い鈴木優人さんに相談したところ、すみれちゃんに合うと思うよ! と紹介いただいたのが紘子さんでした」河野は室内楽や歌曲伴奏での広範な活躍もさることながら、実写版『のだめカンタービレ』のピアノ演奏場面の手役や演奏吹替、コロナ禍中の映像制作など、音楽の枠にとどまらない社会との接点の数々でもどこか廣津留と相通じるところのある音楽家だ。
「ジュリアードでは副専攻でバロック・ヴァイオリン奏法を学びました。ヨーロッパからも学生が来ていましたね。大学卒業後にあらためて本格的に歴史的奏法を学びたい、と来ている人も」現代のクラシック・ヴァイオリン奏法と根本的に異なる演奏スタイルを学んだことは、バロックにかぎられない実りとなったという。「バロックの弓遣いはタンゴにも意外に使えるんですよ。バンドネオンの音が綺麗に伸びているときにはヴィブラートをかけない弾き方やバロック風の運弓のほうがうまく合ったり。違うスタイルの奏法を採り入れるという発想自体、現代クラシック奏法だけやっていたらまず思いつかないですよね」
鈴木優人の多忙さについて話題が及ぶ中、廣津留も「じつは私も今夜ヨーロッパに飛ぶんですよ! でも毎金曜日に生放送があるから1週間ないんですが、ベルリンとロンドンに行って……活動範囲も今後アメリカ以外に広げられたらなと思います」と、止まらぬ多忙ぶりに驚かされる。渡航先で開催予定のステージ検索にも余念がなく、ジャンル問わずのインプット欲も旺盛だ。「新しいものを掘り出して日本にも紹介したいですね。今回のアルバムはクラシックですが、こんな面白いものがあるんだよ! と紹介するキュレーション役としてもレーベルを活かしていけたらな、と思います」少し前にCOBAのアコーディオンを交えて加藤登紀子と「百万本のバラ」で共演した折、日本語になっている歌にロシアその他のエッセンスをあらためて感じ「日本の歌として私たちが気づかないうちになじんでいた外来の要素もあるのだな、と。演歌もそうですが、海外ばかりでなく日本のものにも目を向けていきたいですね」
渡米中などに自分のアイデンティティを感じることは? と尋ねると「アメリカ人の中に一人だけ日本人がいるわけではなく、本当にいろんな人がいる中で“自分は日本人だからこう”ということは逆にあまり意識しなかったですね……なにしろ学生がみんなまったく違うので、全員が了解している常識というものがない世界で。“普通”という言葉が意味をなさないので、何でもロジカルに自分の考えを説明する必要に迫られました。その意味で人種や出身とかではないのだな、と思いましたね」とのこと。「でも18年間を大分で過ごしたというのは大きいと感じています。自分は大分県人です、と自己紹介できますしね。ふるさとは温泉が有名で……とか。海外から戻ってきたときにも、大分の人の温かさを感じたり、九州という単位で自分を同朋として応援してくださる方々がいたり。そういうのはありがたいですね」
世界のどこにいてもジャンル越境型の活動が目立つ廣津留。アメリカ滞在期は自身のカルテット活動などもあり、今後の室内楽での演奏展開にも期待したい。HATCH MUSICが折々にその足跡を形にして示してくれるはず。早くも期待が募るばかりだ。
取材・文/白沢達生
〈廣津留すみれ『11 STORIES』発売記念コンサート〉9月19日(金) 東京・代々木 ハクジュホール(共演:河野紘子 / p)
問:ハクジュホール
https://hakujuhall.jp/concerts/event/4266〈廣津留すみれ『11 STORIES』発売記念イベント〉10月10日(金) 東京・タワーレコード渋谷店8F(共演:河野紘子 / p)
問:タワーレコード渋谷店
https://towershibuya.jp/2025/08/24/218168〈廣津留すみれ コンサート情報〉9月21日(日)静岡・藤枝市民会館(共演:河野紘子 / p)
9月23日(火・祝)愛媛・しこちゅ〜ホール(共演:河野紘子 / p)
9月28日(日)山梨・東京エレクトロン韮崎文化ホール(共演:河野紘子 / p)
10月4日(土)宮城・太白区文化センター(共演:神田 将 / エレクトーン)
10月5日(日)宮城・太白区文化センター(共演:吉武 優 / p)
10月26日(日)福岡・八女おりなすホール(共演:河野紘子 / p)
11月8日(土)・9日(日)長野・八ヶ岳高原音楽堂(共演:J.P.ホフレ / バンドネオン)
11月27日(木) 富山・オーバード・ホール(共演:河野紘子 / p)
11月29日(土) 滋賀・ルッチプラザ ベルホール310(共演:河野紘子 / p)
公演の詳細は廣津留すみれ オフィシャル・サイトをご覧ください。
https://sumirehirotsuru.com/