6月25日は、世界的なシンガー・ソングライターとして活躍したジョージ・マイケルのバースデーです。トータルセールスは1億枚超を誇り、グラミー賞受賞など華々しい功績を挙げました。レーベル会社とのトラブルやゴシップなどで世間を騒がすこともありましたが、グループ、ソロ含め、数多くのヒット曲でシーンを沸かせました。2016年のクリスマスに53歳の若さでこの世を去りましたが、いまなお愛される存在となっています。
ジョージ・マイケルは、イギリス・ロンドン郊外でギリシャ系キプロス人の父とユダヤ系イギリス人の母との間に、イェオルイオス・キリアコス・パナイオトゥとして1963年6月25日に生まれました。男女共学のセカンダリー・スクールで出会った同級生のアンドリュー・リッジリーやアンドリューの兄でその後バナナラマのドラマーとなるポール・リッジリーらと“エグゼクティブ”を結成しましたが、レコード会社への売り込みは失敗。すぐに解散すると、1981年にジョージ・マイケルとアンドリュー・リッジリーはポップ・ユニット“ワム!”を結成。翌年にシングル「ワム・ラップ!(エンジョイ・ホワット・ユー・ドゥ)」でデビューすると、2ndシングル「ヤング・ガンズ(やりたいことをしようぜ!)」(Young Guns (Go for It!))から次第に人気が高まり、ティーンのカリスマアイドル的な存在へと躍進しました。
「バッド・ボーイズ」「クラブ・トロピカーナ」など立て続けにヒットを送り出すと、1984年に「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」(Wake Me Up Before You Go-Go)で全英・全米ともに1位を獲得。同年にリリースした2ndアルバム『
メイク・イット・ビッグ』からは「ウキウキ・ウェイク・ミー・アップ」のほか、「ケアレス・ウィスパー」「フリーダム」「恋のかけひき」(Everything She Wants)などのヒット曲が生まれ、特に
郷ひろみや
西城秀樹(「抱きしめてジルバ」として)がカヴァーした「ケアレス・ウィスパー」や、ワム!も出演したマクセルのカセットテープのCMソングとして使われた「フリーダム」は、高い人気を博しました。同年には現在もクリスマスソングの定番曲として広く知られている「ラスト・クリスマス」を発表しています。
ワム!の解散を発表した1986年には、
アレサ・フランクリンのアルバムで「愛のおとずれ」(I Knew You Were Waiting (For Me))をデュエット。同曲は翌年にシングルカットされ、全英・全米ともに1位を記録しました。そして、ソロとしての1stアルバム『
フェイス』(写真)をリリース。1988年の全米(ビルボード)アルバム年間チャート1位、白人アーティストとして初のブラックアルバムレギュラーチャート1位、シングルカットされた「フェイス」が全米シングル年間チャート1位となり、グラミー賞の最優秀アルバム賞を受賞するなど、数々の快挙を達成しました。
1990年に2ndアルバム『
リッスン・ウィズアウト・プレジュディス・ヴォリューム・ワン』を発表しましたが、レーベルがプロモーションに精力的でなかったこともあり、全米での売り上げが低迷。レーベルから商業的成功をなさなかったと指摘されると、ジョージ・マイケルは激怒し、裁判沙汰にも発展しました。
とはいえ、同アルバムは全米2位を記録。全英1位をはじめ、ヨーロッパを中心に軒並みトップ5にランクインしたほか、アルバムからの1stシングルとなった「プレイング・フォー・タイム」も全米1位を獲得しており、いかに前作『フェイス』からの期待が高かったことを裏付ける話といえるのではないでしょうか。
泥沼化した法廷闘争を経て、1996年に3rdアルバム『
オールダー』を発表。
アントニオ・カルロス・ジョビンの影響を受けたとされるオーガニックな作風もあって、当時アメリカでは絶賛されませんでしたが、「ジーザス・トゥ・ア・チャイルド」から「ユー・ハヴ・ビーン・ラヴド」までのシングルカット6曲がすべて全英トップ3にランクインという快挙も達成しています。
オリジナル・アルバムとしては、1999年の『
ソングス・フロム・ザ・ラスト・センチュリー』を経て、2004年の『
ペイシェンス』まで5枚をリリース。『ペイシェンス』は法廷闘争を繰り広げていたレーベル「SME」からリリースされ、全米では12位にとどまったものの、イギリス、ドイツ、オランダ、スウェーデンで1位となるなど、ヨーロッパでの人気ぶりを再認識することとなりました。
その後は、25年のキャリアを祝し、ワム!時代の楽曲も収めたコンピレーション・アルバム『
トゥエンティ・ファイヴ』や、2014年にツアーからの音源を収めたライヴ・アルバム『シンフォニカ』を発表。『シンフォニカ』は、2016年に死去したジョージ・マイケルの生前最後のアルバムとなりました。
著名アーティストとのコラボレーションも多く、前述のアレサ・フランクリンとの「愛のおとずれ」をはじめ、
エルトン・ジョンとの「僕の瞳に小さな太陽」(Don't Let the Sun Go Down on Me)、
クイーンとの「サムバディ・トゥ・ラヴ」、
メアリー・J.ブライジとの「アズ」、
ホイットニー・ヒューストンとの「イフ・アイ・トールド・ユー・ザット」、
ポール・マッカートニーとの「ヒール・ザ・ペイン」など、スーパースターたちとの夢の共演も果たしてきました。クイーンには、
フレディ・マーキュリー亡き後に、ジョージ・マイケルをヴォーカルに迎えるのではないかという噂もありました(後にメンバーが否定)。
また、ファンキーなサウンドに乗せて薬物中毒の危険性を歌った「モンキー」(ただ、その後ジョージ・マイケルが薬物所持で逮捕に)、タイトルやミュージック・ビデオが物議を醸した「アイ・ウォント・ユア・セックス」、2003年当時の
ジョージ・W.ブッシュ大統領下のアメリカが主体となったイラク戦争を批判した「シュート・ザ・ドッグ」(そのため、同曲はアルバム『ペイシェンス』アメリカ版には未収録)など、問題作もリリース。とはいえ、いずれもヒットするところがスーパースターたるゆえんでしょうか。
80年代でのソロ・シンガーとしての全米1位シングル数は、
マイケル・ジャクソンの9曲に続いて、
フィル・コリンズと並んで8曲を数えるのをみても、そのキャリアがいかに輝かしいものであったかがわかるかと思います。
ジョージ・マイケルの楽曲は各アルバムなどのほか、『
レディース・アンド・ジェントルマン…ザ・ベスト・オブ・ジョージ・マイケル』や『
トゥエンティ・ファイヴ』といったベスト・アルバムで一気にヒット曲を楽しむことができます。ファンはもちろんのこと、「ラスト・クリスマス」しか知らなかった人も、誕生日を機にジョージ・マイケルのさまざまな楽曲に触れてみてはいかがでしょうか。