歌手や女優として世界的に名を馳せ、実業家としても活躍した
オリヴィア・ニュートン=ジョンは、9月26日がバースデー。1948年にイギリス・ケンブリッジで生まれ、5歳でオーストラリアへ移住。1965年にオーディション番組で優勝した懸賞でイギリスへ戻り、翌年の1966年にシングル「ティル・ユー・セイ・ユール・ビー・マイン」(Till You Say You'll Be Mine)でデビューしました。
70年にイギリスのミュージカル映画『オリビア・ニュートン・ジョンのトゥモロー』のサウンドトラックにて、バンド・プロジェクト“トゥモロー”のヴォーカルとしてメジャー・デビューしますが、ほどなく解散。翌年の再デビュー・シングル「イフ・ノット・フォー・ユー」がヒットし、キュートなルックスとともに人気を博していきます。
74年に「愛しい貴方」(If You Love Me (Let Me Know))が全米5位となった後、「愛の告白」(I Honestly Love You)が全米1位となり、グラミー賞の最優秀レコード賞と最優秀女性歌唱賞を受賞。翌75年にアメリカへ拠点を移すと、「そよ風の誘惑」(Have You Never Been Mellow)も全米1位に。
歌手として成功を収めると、78年にはミュージカル映画『グリース』で
ジョン・トラボルタと共演。同映画のサウンドトラックからジョン・トラボルタとの「愛のデュエット」(You're The One That I Want)と「想い出のサマー・ナイツ」(Summer Nights)、「愛すれど悲し」(Hopelessly Devoted To You)と立て続けにヒット。
80年の主演映画『ザナドゥ』はふるわなかったものの、サウンドトラックから「マジック」が全米1位、
ELOとの「ザナドゥ」が全英1位を獲得すると、翌81年には「フィジカル」がメガヒット。同曲は10週連続全米1位と当時の最長記録を打ち立てたほか、82年度の年間チャートも1位となりました。当初はカントリー系ポップスを歌ってきたオリヴィアですが、次第にAORやコンテンポラリーへ色合いを強め、「フィジカル」ではデビュー当初からは思いもよらなかったディスコ / ダンスポップ路線へ。ミュージック・ビデオでは、当時のフィットネスブームを意識して、レオタード姿でエアロビクスを踊るという斬新かつ大胆な映像が強烈なインパクトを与え、80年代の全米チャートで最もヒットした楽曲として、広く知れ渡ることになりました。
「フィジカル」で世界的なスーパーアイドルとなり、全盛期を迎えたオリヴィアは、82年のツアー後は15年にもわたってツアーを行なわなくなりましたが、その間、ブランド事業のほか、乳がんを患い、闘病しながらがん治療の啓発活動などに尽力。94年に自主制作アルバム『ガイア〜新たなる旅立ち〜』で音楽シーンへの復帰を果たすと、同作が全豪7位とヒット。デビュー以来のレコード・CD売上枚数が5000万枚超という快挙をなし遂げるほか、98年には映画『グリース』がリヴァイヴァルヒットとなり、以降もコンスタントにアルバムを発表しました。
オリヴィアは、長い闘病生活を経て、2022年8月に73歳でこの世を去りましたが、死後にはコンピレーション・アルバムなども発表。いまなお永遠のポップスターとして広くその活躍が記憶にも記録にも刻まれています。
全米1位に輝いたのは、「愛の告白」「そよ風の誘惑」「愛のデュエット」「マジック」「フィジカル」の5曲で、なかでも「フィジカル」がオリヴィア最大のヒットとなりました。また、76年に発表したジョン・デンバー代表曲のカヴァー「カントリー・ロード(故郷へ帰りたい)」(Take Me Home, Country Roads)は日本でもヒットし、ジブリ映画『
耳をすませば』のオープニング・テーマにも起用されました(エンディングテーマは
本名陽子が歌う日本語詞カヴァー版「カントリー・ロード」)。
そのほか、アルバム『
水のなかの妖精』に収録され、オーストラリアや日本などでシングル化された
ドリー・パートンのカヴァー「ジョリーン」や、、
尾崎亜美が手掛けた
杏里の代表曲のひとつ「オリビアを聴きながら」の歌詞にも引用された77年発表の「きらめく光のように」(Making a Good Thing Better)など、数多くの名曲を遺しています。
(写真は、2022年10月リリースのオリヴィア・ニュートン・ジョンのベスト・アルバム『
グレイテスト・ヒッツ 〈ジャパン・デラックス・エディション〉』)