作曲家としてのトータルセールスが歴代1位を誇り、昭和中期から平成にかけて数多のヒット曲を世に放った稀代のヒットメイカー、
筒美京平は、5月28日がバースデー。1940年に東京府東京市牛込区(現在の東京都新宿区)にて渡辺栄吉として生まれた筒美は、青山学院大学卒業後、青山学院大学の先輩でもあった作詞家の
橋本淳を通して、作・編曲を
すぎやまこういちに師事。1966年の「黄色いレモン」で作曲家デビューを果たしました。
1968年に橋本が作詞を担当した
いしだあゆみ「ブルー・ライト・ヨコハマ」が、作・編曲家として自身初の1位となり、日本レコード大賞を受賞。同年に
ジャッキー吉川とブルーコメッツ「さよならのあとで」、
オックス「ガールフレンド」といったグループ・サウンズの楽曲を橋本とのコンビでヒットさせると、70年代に入ってからは、
尾崎紀世彦「また逢う日まで」(作詞・
阿久悠)、
ジュディ・オング「魅せられて」(作詞・
阿木燿子)といった日本レコード大賞受賞曲や、
岩崎宏美「ロマンス」(作詞・阿久悠)を手掛け、80年代には
松本隆が作詞した「スニーカーぶる〜す」「ブルージーンズ メモリー」、伊達歩が作詞した「ギンギラギンにさりげなく」という“マッチ”こと近藤真彦のナンバーがチャートを席巻しました。
平成に入ってもその勢いは加速し、90年代には
レベッカ解散後の
NOKKOがソロとして発表した「人魚」(作詞・NOKKO)や
内田有紀のデビュー・シングル「TENCAを取ろう! -内田の野望-」(作詞・川咲そら、広瀬香美)、KinKi Kidsの「やめないで,PURE」(作詞・伊達歩)、2000年代にはイラストレーター / 詩人の
326(ミツル)が作詞した
安倍麻美「理由」、新幹線のキャンペーンソングやJR東海の新幹線の車内チャイムとして2023年夏まで長きにわたって親しまれた
TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」(作詞・
なかにし礼)、auのCMソングに起用され、着うたフルからメジャー・デビューしたことでも話題を集めた
仲間由紀恵 with ダウンローズ「恋のダウンロード」(作詞・松尾潔)などのシングルがヒットしています。
そのなかで、筒美京平で最も売り上げたシングルといえば、
ジュディ・オングの「魅せられて」です。サビの“Wind is blowing from the Aegean”(風はエーゲ海から吹いている)のフレーズに合わせて、鳥の翼のように扇状に広がる白のドレスの袖を広げて歌うシーンは、大きな反響を呼びました。上記に挙げた以外では、
太田裕美「木綿のハンカチーフ」(作詞・松本隆)も高いセールスを記録しています。
何しろ歌謡シーンに数多の楽曲を送り込んでいる筒美ですから、ここではヒット曲すべてを挙げることはできませんが、上述以外の代表曲の一部を年代順に挙げていきましょう。
60年代は、「ブルー・ライト・ヨコハマ」でブレイクしたこともあり、いしだあゆみのシングルをヒットさせたほか、国民的アニメ『サザエさん』の主題歌として
宇野ゆう子が歌った「サザエさん」「サザエさん一家」の作曲を手掛けています。
70年代に入ると、いしだあゆみ「あなたならどうする」を皮切りに、
堺正章「さらば恋人」、
南沙織「17才」、
浅田美代子「赤い風船」、
麻丘めぐみ「わたしの彼は左きき」、
郷ひろみ「よろしく哀愁」など、ミドル世代以上はTVやカラオケなどで良く耳にすると思われる楽曲をシーンに送り込みました。70年代後半には
庄野真代「飛んでイスタンブール」、
大橋純子「たそがれマイ・ラブ」、
桑名正博「セクシャルバイオレットNo.1」といった楽曲を提供し、お茶の間を賑わせました。
80年代は、アイドルを中心に多くのヒットをもたらして、黄金期といえる時代となりました。特に近藤真彦へは「ふられてBANZAI」「ホレたぜ!乾杯」をはじめとする提供曲が軒並み1位を獲得。同じく“たのきんトリオ”の
田原俊彦の「原宿キッス」「シャワーな気分」「抱きしめてTONIGHT」などや、
少年隊の「仮面舞踏会」「君だけに」「ABC」、
小泉今日子の「迷宮のアンドローラ」「ヤマトナデシコ七変化」「なんてったってアイドル」、
C-C-Bの「Romanticが止まらない」「ないものねだりのI Want You」など、ランキングや音楽番組の常連となる楽曲を次々と生み出していきました。そのほかにも、
荻野目洋子「さよならの果実たち」、
松本伊代「センチメンタル・ジャーニー」、
稲垣潤一「ドラマティック・レイン」、
早見優「夏色のナンシー」、
河合奈保子「エスカレーション」、
斉藤由貴「卒業」、
薬師丸ひろ子「あなたを・もっと・知りたくて」、
本田美奈子「1986年のマリリン」、
中山美穂「WAKU WAKUさせて」など、いまでもTVやラジオの番組やCMなどで耳にすることも少なくないヒット曲を放ち、その不動の地位を確立します。
90年代は、シングル1位曲数は減少したものの、コンスタントにヒットを連発。まだ本格的なブレイクを果たす前の
SMAPにシングル曲「心の鏡」「負けるなBaby! 〜Never give up」のほか、
小沢健二「強い気持ち・強い愛」、
藤井フミヤ「タイムマシーン」、
ピチカート・ファイヴ「恋のルール・新しいルール」、
DOUBLEのデビュー・シングル「For me」といったアーティストから、キッズ番組『ポンキッキーズ』にて
安室奈美恵とのユニット“
シスターラビッツ”でブレイクし、バラエティでも活躍した
鈴木蘭々のデビュー曲「泣かないぞェ」などまで、幅広い作品を手掛けていきます。
2000年以降は、TOKIO「AMBITIOUS JAPAN!」に並ぶトップ1ヒットは出せなかったものの、
MISIA「Sweet pain」や
及川光博「CRAZY A GO GO!!」、
中川翔子「綺麗ア・ラ・モード」、
パク・ヨンハ「最愛のひと」、
竹達彩奈「時空ツアーズ」など、さまざまなアーティストへも楽曲を提供。1960年代より6年代連続でトップ10に自身が手掛けた楽曲をチャートインさせる偉業を成し遂げています。
2020年10月7日に80歳でこの世を去りましたが、生み出した数多の楽曲は今なお日本の音楽シーンを中心に大きな影響を与えています。一挙にその足跡をたどるには楽曲数が膨大すぎますが、『
筒美京平ソロ・ワークス・コレクション』『
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筒美京平 History Ultimate Collection』『
筒美京平自選作品集 アイドル・クラシックス』(写真)などのコンピレーション・シリーズや、アーティストによるトリビュート・アルバムなどで、日本歌謡シーンを牽引した筒美京平ワークスを楽しむことができます。