2022年5月22日に永眠した
石井隆監督の没後3年に合わせ、特集上映「石井隆Returns」が6月6日(金)より全国順次公開されます。上映作品は、『
死んでもいい』(92年)、『
ヌードの夜』(93年)、『
夜がまた来る』(94年)、『
天使のはらわた 赤い閃光』(94年)の4本。公開に先駆け、アザー・ヴィジュアルと本予告映像が公開。そして
町山智浩や
宇多丸(
RHYMESTER)ら石井隆監督を愛した著名人からのコメントも到着しています。
石井隆は、1970年代より、名美と村木の悲しい愛を描いた『天使のはらわた』の劇画家として人気を博し、日活ロマンポルノでは『赤い教室』(79年 / 監督:
曽根中生)、『ラブホテル』(85年 / 監督:
相米慎二)などの脚本も担当。『天使のはらわた 赤い眩暈(めまい)』(88年)で映画監督デビューを果たしました。その後も、『死んでもいい』(92年)、『ヌードの夜』(93年)などを脚本・監督し、[名美と村木]という女と男の愛の姿を、性愛と暴力を通して、叙情的に、かつ情熱的に描き上げました。『死んでもいい』は、第33回ギリシア「テッサロニキ国際映画祭」で最優秀監督賞を受賞しています。また『GONIN』(95年)では、これまでの男女の物語を抑え、社会で行き詰った5人の男たちが仕組んだ強盗計画の顛末を、壮絶なバイオレンス・アクションで描き新境地を開拓。その後も『
黒の天使』シリーズ、『
花と蛇』シリーズ、遺作となる『
GONINサーガ』まで、唯一無二の美学、世界観でファンを魅了し続けています。
上映作品は、『死んでもいい』(92年)、『ヌードの夜』(93年)、『夜がまた来る』(94年)、『天使のはらわた 赤い閃光』(94年)。88年の監督デビュー作の『天使のはらわた 赤い眩暈(めまい)』から3本目が『死んでもいい』となるため、映画監督としては初期にもかかわらず、すでに映画監督の成熟期と言っても過言ではない傑作ばかり。これまで複雑な権利関係により、まとめて上映される機会が少なかった4作品が、初のHDリマスター版でスクリーンに甦ります。石井隆が愛し、描き続けてきた“運命の女(ファム・ファタール)”名美を、
大竹しのぶ(『死んでもいい』)、
余貴美子(『ヌードの夜』)、
夏川結衣(『夜がまた来る』)、
川上麻衣子(『天使のはらわた 赤い閃光』)が、それぞれどのように演じているのか、すでに見ている人も、初めて石井隆監督に触れる人も大きなスクリーンで確かめてみてほしいところです。
そして、今回公開されたアザー・ヴィジュアルは、すでに解禁しているメイン・ヴィジュアルが名美“運命の女(ファム・ファタール)”にスポットを当てた[女性バージョン]であったのに対し、
竹中直人、
根津甚八、
永瀬正敏、
椎名桔平などが演じた、愛情深く一途で、ときに破滅的な行動をもいとわない、(村木とも呼ばれる)男たちを切り取った[男性バージョン]。[名美と村木]という女と男の愛の姿を、性愛と暴力を通して、叙情的に、かつ情熱的に描き上げた石井隆の世界感を、この2つのヴィジュアルのシンメトリーで表現しています。
また、本予告映像はHDリマスター版の4作品の映像を使用。冒頭、石井隆ファンを公言している宇多丸からのコメントが映し出されます。それぞれの映画で、大竹しのぶ、余貴美子、夏川結衣、川上麻衣子の4人がそれぞれ名美を演じる場面が切り取られ、『死んでもいい』の挿入歌である
ちあきなおみの「黄昏ビギン」とともに、石井隆が、幾度となく描き続けてきた男と女の純愛、その行きつく先に待つ愛のどうしようもない世界の一端が伝わる映像となっています。
なお、特集上映の開催を記念し、開催期間中の6月14日(土)にオールナイトの開催が、シネマート新宿にて決定。上映作品は『GONIN』(95年 / 松竹)、『
月下の蘭』(91年 / 日活)、『
フリーズ・ミー』(2000年 / 日活)の3本立て。上映前には、石井隆監督にゆかりのあるゲストを呼んだトークショーも実施予定です。チケット発売は、5月22日(木)18:00より。詳細はシネマート新宿のホームページをご確認ください。
[コメント]『ヌードの夜』は自分がいちばん好きな石井隆作品で、いまも繰り返し観ています。これは竹中直人さんの最高傑作ではないでしょうか。余貴美子さんのはかなげな美しさもみんなに見てほしいです。そして自動車転落シーンは映画史に残るものすごい撮影です。
この映画、胸が締め付けられるような切ないラブストーリーであるとともに「○○映画」です。それは最後の瞬間にわかります。最後の最後の最後のショットに映るものに注目してください!――町山智浩(映画評論家)「死んでもいい」のオープニングタイトルに脳髄を掴まれ、「ヌードの夜」のラストカットに戦慄した僕の石井隆組への初参戦現場は「天使のはらわた 赤い閃光」だった。
「夜がまた来る」のクランクアップの朝焼けは今も脳裏に鮮明に焼き付いている。
雨と血糊と汗に塗れたカチンコ叩きの記憶は僕の全身に宿り続ける財産だ。
威力ある石井隆作品に再び心を揺さぶられる映画体験が待ち遠しい。――武正晴(映画監督)名美に出会う人生と、出会わない人生があったとして。どんなに悪夢のように息が苦しくても、痛みで涙が滲んでも、私はやっぱり、何度でも名美に出会いたい。それはきっと、生きる喜びでもあるのだ。――睡蓮みどり(文筆家・俳優)石井隆監督がいなくなってもう3年とは。
現場が過酷で過酷で、本番中でも「もっと何か無いの!?何か無いの!?」と煽られて「もうイヤだ!」なんて思うのに撮影が終わって暫くすると「またあそこに行きてぇなぁ」なんて思うって事は石井隆という人は究極的に人たらしなんだと思います。
怒っている事も、嬉しい事も子供の様に表出される石井監督は寂しさだけは胸のうちに秘めていた様に思います。だから映画の中に寂しさが漂っているんだと思います。
石井隆映画の雨、歌、男と女、そして寂しさを是非映画館で観て下さい。――柄本佑(俳優)潔癖な現代では生まれなかったであろう
“人”という不器用な愛おしさが、
“愛”という不完全な美しさが、
“映画”という素晴らしさが、
「石井隆世界」には詰まってる。
石井さんと出会えて私は幸せ者でした。
あなたがいなかったら今の私はいない。
スクリーンで堪能したら、また、会いたくなるんだと思います。――佐々木心音(俳優/『フィギュアなあなた』ヒロインココネ役)石井隆の劇画を教えてくれたのは女性の先輩だった。
「天使のはらわた」のVHSをドサッと貸してくれたのも取材で現場に行くきっかけを作ってくれたのも女性だった。
蹂躙され地獄巡りを経てときに怪物化すらする「名美」の物語に女性たちはなぜこれほどのめりこめたのか。
ある人は「そこに私がいた」と言った。自分も見るたびにそう思っていた。
名美は決して「夢の」ではない、絶対的に「生きた」女性だったから。
そうして今も、石井隆が残した紙やフィルムのなかで、名美は依然として生きている。――塚田泉(映画ライター)『死んでもいい』の風呂場のシーンを見たときは衝撃でした。
画面の湿度のあまりの高さに「あ、テレビ濡れてるわ」と本気で勘違いして拭こうとしたくらい、衝撃でした。
石井監督の作品群に出会って、僕は梅雨が好きになりました。
同郷出身の作家の端くれとして、永遠のリスペクトを誓います。
全作がマスターピース。――鈴木竜也(『無名の人生』監督)石井隆の映画とスクリーンで出逢うことは、この上ない幸運であり、哀れなほど不幸だ。降りしきる雨、濡れた夜に輝くネオン…村木と名美の物語をただの一度でも体験したら、あなたを取り巻く世界は一変する。
そして、映画で感じた“あの手触り”を永遠に求め続けてしまうだろう。
石井隆亡き、この虚しい日々に。――屋敷紘子(女優)石井隆監督作品はいつも濡れている。そして朽ちている。やるせなくはかなく残酷でかなしい。そしてなんとも言えない毒がある。決して誰もが観る映画ではない。好きな人はめちゃくちゃ好き。嫌いな人は全く嫌い…。こりゃ一体どう言う事だ…。どう言う事でもない。石井隆監督は永遠って事なんだ。――竹中直人途轍もなく恐ろしく(なんなら“リアルに”!)おぞましいのに、まるで昔から馴染んだ悪夢のように、なぜか繰り返しそこに戻りたくもなる……私にとって石井隆ノワールは、そんな言わば「夢幻的修羅場」に満ちた、魔の時空だ。そしてそれは言うまでもなく、劇場の暗がりに身を潜め、息を殺して、目撃すべきものなのだ。――宇多丸(RHYMESTER)©サントリー/日活/ムービー・アクト・プロジェク
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