日本屈指の歌姫である
戸川純によるバンド形式の単独公演〈jun togawa “summer” live 2025〉が、7月4日に行なわれました。東京キネマ倶楽部という昭和の時代に隆盛を誇ったグランドキャバレーを改装した会場も実にお誂え向きと言えます。
演目に戸川純名義の楽曲もあることから
ヤプーズとは名乗らないものの、
中原信雄(ベース)、
ライオン・メリィ(キーボード)、矢壁アツノブ(ドラムス)、
山口慎一(キーボード)、
ヤマジカズヒデ(ギター)という布陣は紛れもなくヤプーズの最新形。石塚“BERA”伯広の死去に伴いヤマジが加入してから早6年が経ち、コロナ禍においても研鑽を積んできたバンドの一体感は言わずもがな。半世紀近く他の誰にも似ていない、似るはずもない歌を紡いできた戸川の満身創痍の音楽を表現する上でまさに代替不可の5人と言えるでしょう。
戸川純という傑出した表現者の真骨頂はやはりライヴにこそあります。近日開催のライヴで言えば、バンド形式ではないものの、歌とピアノだけを徹頭徹尾聴かせるデュオである戸川純 avec
おおくぼけいのライヴ〈絵恋ちゃんとピアノとパーカッション〉は必見(7月12日[土]東京・渋谷LOFT HEAVEN)。戸川のソロ楽曲、ヤプーズの楽曲という既存曲でどこまで新しい表現ができるか、歌とピアノだけでどこまで表現できるかがこのデュオのコンセプト。それはニュー・ウェイヴの定義を更新し続ける果敢な試みのように思えます。なお、バンド形式のライヴは8月2日(土)に岡山デスペラード、10月2日(木)に大阪・梅田クアトロでの開催が予定されています。
さらに、2009年に戸川純の芸能生活30周年を記念して発売されたBOX作品『
TEICHIKU WORKS JUN TOGAWA 〜30th anniversary〜』(CD6枚 / DVD3枚)のリクエストプレスが決定、テイチクオンラインショップにて注文予約が開始されています。ヤプーズ、再始動した
ゲルニカ、ソロ、
東口トルエンズなどテイチク在籍時の作品を戸川自身が監修し、貴重な未発表音源や映像などが収められたスペシャル・コレクション・ボックス。同作品は現在生産終了となっており、入手が非常に困難となっていましたが、近年、海外でも注目を集めるなど多くのファンからのリクエストに応える形で再プレス受注生産が実現。なお、予約期間内に規定数以上の予約に達した場合のみ生産決定となるので、ぜひこの機会に予約していただきたいところです。
戸川に限らず、サブスクリプションサービスの浸透により、海外の音楽リスナーが日本のアーティストの楽曲を気軽に聴けるようになった昨今。ゲルニカを経たソロ・デビュー以降、愚直なまでに創作活動に心血を注ぎ込んできた戸川の音楽は年月を経ても決して色褪せることなく、普遍性を内包した輝きを常に放ち続け、国内外の新たなファン層を開拓し続けています。こうした充実したライヴ活動や旧作品の再評価などが契機となり、デビュー50周年を迎える4年後の2029年には新たな節目となる作品が生まれることに期待が高まります。
[ライヴ・レポート] かつては開演時間の大幅な遅れがデフォルトだった戸川のライブがほぼ定刻通りに始まったのは意外だった上に、その始まりが他界した盟友へ捧げる楽曲だったことも全くの想定外だった。プノンペンモデルやecho-U-niteなどの活動で知られる谷口マルタ正明が1週間前に死去したことを受け、プノンペンモデルのメンバーだったライオン・メリィと戸川の弾き語りによる「憂悶の戯画」は「さようなら」と惜別の句が最後に織り込まれているため選ばれたと思しい。短くさりげなくも深い愛情を感じさせる鎮魂歌が胸に響く。
平沢進が提供した「ヴィールス」の煌めきとカオスが混在したグルーヴでその場の空気を一変させ、基本的に椅子に座りながら唄う戸川は早くも時折立ち上がって唄う。場内は着席して鑑賞する形だったが、「立ってもいいのか、立つ第一号になる勇気がないのかわかりませんが、立ってもらえると嬉しいです」と観客に語りかけるも「意外と立つのを憚られる曲が今日は多いかもしれない」と笑いを誘う。確かに、続く「諦念プシガンガ」はフォルクローレ調で感極まって立ち上がるタイプの曲ではない。それでも観客は座りながら思い思いに身体を揺らし、その姿を見渡そうとしたのか、戸川はピンクのハートのサングラスを外して「我一介の肉塊なり」と連呼する。中原とメリィのコーラスも朴訥としながら味わい深い。
「次も立ってノリノリみたいな曲ではありませんけど……」と、人気の高い「12階の一番奥」を披露。作曲したメリィがセンシティブなイントロ、主旋律であるアコーディオンの音色、間奏の物憂げなソロを奏でてバンドを牽引する。それに呼応する浮遊感漂うヤマジのギターもただ美しく、幻想的かつ端麗なアンサンブルに恍惚とする。
ステージと客席が近いせいか、戸川と観客の掛け合いもまた面白い。客席からとめどなく湧き上がる「かわいい!」の歓声に照れてうろたえる戸川は、ヤプーズの「いじめ」にある「鏡の中をのぞくと おかしな顔だな」という歌詞を引き合いにしながら「そんなよくできた顔でもないのに」と謙遜するが、歴代のパートナーには「私のどこが好き?」と訊き終わらないうちに「顔!」と食い気味に言われたと話して大いに笑わせる。
緩急のバランスの妙とでも言うのか、こうしたユーモアを交えたMCの後に死線を彷徨う壮絶な歌を唄うのが戸川純が戸川純たる所以なのかもしれない。引き続き『Dadada ism』収録の「Not Dead Luna」では、明朗快活なリズムとメロディとは裏腹に「塩酸も飲んだし 頸静脈も切ったが/私は死ななかった 死にゃしなかった」と不穏な歌を無垢な声で高らかに唄う。椅子から立ち上がり、「私は死なないだろう 死にゃしないだろう」と拳を振りながら勇ましく唄う。当初は「水銀(硫酸)も飲んだし 頸動脈も切ったが」という歌詞だったもののレーベルにNGを出されたというエピソードを唄い終えた後に交え、ウィットに富む姿勢も忘れない。
“普通の”メンバー紹介を挟み、『Dadada ism』の収録曲が続く。「ヴィールス」と同じく平沢進が作曲した、アンデス民謡とテクノポップが融合した「コンドルが飛んでくる」では「今どこに どの方角へ」の部分でフロアの四方八方へ指先を向け、立ち上がらずとも身振り手振りで雄弁に感情を表現する。唄い終え、18歳から睡眠導入剤を服用している話から、あるとき半覚半眠の状態で「コンドルが飛んでくる」の歌詞を書き上げたという逸話を披露するなど、MCでも観客に楽しんでもらいたいという戸川の誠実な心持ちが伝わってくる。唄い終えるたびに深々と頭を下げて感謝の意を伝えるのも誠実さの表れだ。
「次は(席から)立てるかな?」と『HYS』収録の「本能の少女」が披露され、ヤマジの情感豊かなギター・ソロを真横でじっと見つめていたのが印象的だったところで怒涛の平成初期ヤプーズ・パートは終了。
「次も(席から)立てないかも……」と、6歳くらいの時にテレビで初めて観たという好きな邦画の主題曲に自ら歌詞を充てた「吹けば飛ぶよな男だが」(『釣りバカ日誌』にレギュラー出演していたので松竹の許諾を得やすかったという)、唄いながら太鼓を叩く仕草や笛を吹く仕草がチャーミングな「リボンの騎士」と、昭和百年の節目に『昭和享年』の名曲を昭和レトロな空間で体感する共時性を覚える。
また、バンドが構築する分厚い音の壁に拮抗する戸川の声、曲を追うごとに声量を増す喉の丈夫さに驚かされた。ボイストレーニングの先生から腰痛予防にプランクを勧められ、4回で1セットだったのを5回で1セットに増やされたとMCで笑わせていたが、ここまで持久力をつけられたのはまさに努力の賜物だろう。以前は「腰を治して立てるようになったらヤプーズをやる」と話していたように記憶するが、オリエンタルな響きの「ヒト科」で「ヒトは凄いんだよ」と身振り手振りを交えて果敢に唄い上げる姿を見ると、この着席しながらのパフォーマンスだからこそ深く感じ入るものがあることに気づく。
ヤマジ作曲による令和版「バーバラ・セクサロイド」とでも言えそうな「おしゃれババア」をハードボイルドにキメた後、もはやハルメンズのカバーと言うよりヤプーズによるもう一方のオリジナルと言うべき「フリートーキング」で第一部が終了。最後はマイクスタンドを支えにしながら椅子から立ち上がり、前半で唯一、全編起立して熱唱。その熱演に応えるように観客も割れんばかりの拍手喝采を捧げる。
15分の休憩を挟み、第二部へ。個人的にこの日の白眉は最新曲「刀鍛冶」の披露だった。山口が作曲し、山口と戸川が詞を共作したという同曲は、戸川いわく「リハで本番さながらに唄うと高い声域が出なくなるため喉の漢方薬でうがいするのが必須」。
刀鍛冶とは日本刀を鍛造する職人のことだが、以前、私が行なったインタビューで『昭和享年』のジャケット撮影の際に使用した竹光について、「これは忍者の刀で、柄(つか)が四角くて両刃なんです。刃もしならずに真っ直ぐなんです」と戸川が言及していた。それは自身の音楽人生がブレることなく真っ直ぐであることの象徴なのかと尋ねると、「それを言うなら、片刃が女優で、もう片刃が歌手みたいな感じですかね」と機転を利かせて答えてくれたのを思い出す。
閑話休題。「BPMが速くて何を唄っているのかわからないうちに終わってしまうので」と、演奏前に楽曲のテーマを律儀に説明するのがいかにも戸川らしい。さらに、医者の息子として生まれて医大を受験するために上京し、浪人して代ゼミに通っているうちになぜか音楽の道を選んだという山口の人となりを話した上、しっかりと最後まで歌詞を朗読するのだから頭が下がる。そうして披露された「刀鍛冶」は「鋤、ナタ休まず打つ/早起きして早寝して」というリフレインが耳に残る溌剌として爽快な曲調で、これぞ正調ヤプーズ節と呼びたくなる逸曲。「おしゃれババア」と合わせてぜひ早々に音源化してほしいと感じたのは私だけではないだろう。
戸川のライブには決して欠かせない代表曲の「ヒステリヤ」、ヤマジの加入以降、底知れぬ迫力と尋常ならざるパフォーマンスを絶えず更新する「赤い戦車」と続き、そのまま定番のセットリストが続くかと思いきや、平沢進のソロ楽曲「金星」をカバーして場内の馬の骨(平沢ファンの呼称)が大いに沸き立った瞬間もこの日のハイライトの一つ。戸川の歌声はもちろん、装飾過多を避け、音響そのものをありのままに聴かせようとするバンドの合奏もまた素晴らしかった。
その流れで戸川純の看板曲の一つである「蛹化の女」を披露する構成も見事で、メリィの鍵盤と戸川の歌を主軸とした静謐な調べに酔いしれつつ、この曲が40年もの歳月を経て日本のポピュラー音楽史における不朽の古典と化したのはひとえに戸川の美声、明鏡止水の歌声があってこそだと実感。『玉姫様』の時代からこの記名性の高い、圧巻の歌唱力を維持していることにあらためて感嘆する。
「このへんから“根性コーナー”」と戸川がぽつりと呟く。つまりここから急調子の定番曲を畳みかけていくということなのだろうが、それは名曲の金太郎飴とでも言うべきこのライブの終演が近づいていることを感じさせ、若干の寂しさが募る。
「今日はヤプーズの初代ギタリスト(比賀江隆男)が観に来てくれています。そのギタリストが作った曲を」と、ハルメンズのカバーでありシングル「レーダーマン」のカップリング曲だった「母子受精」が唄われる。戸川がサビで手拍子を促し、観客もそれに応える。
極端な恋愛感情を主題にした「肉屋のように」では七色の声を変幻自在に操り、地鳴りのように低い声が混沌としたアンサンブルと相俟って正気の沙汰ではない歪な愛の形が具象化される。そこから継ぎ目なく、初期ヤプーズの代名詞的楽曲である「バーバラ・セクサロイド」へ突入。ここで遂にステージに近い最前列の観客もまばらに立ち上がって踊り出す。続いて「この曲で私を知ってくださった方も多い」と紹介した「好き好き大好き」の頃には下の階のフロアも上の階の手摺り沿いの席もその奥のソファー席も観客は総立ち。サビの俺もー!コール(戸川純 with VampilliaとBiSの対バン以降に広まったものらしい)が場内に響き渡り、戸川は「愛してるって言わなきゃ殺す」という決めの一句を繰り出すタイミングで椅子から立ち上がり、最後に客席へ向けて「アイラブユー!」を連呼。
そして、第一部とは異なるメンバー紹介を戸川が立ち上がったまますることに。ステージ下手から順に、各自を古今東西のミュージシャンに当てはめるなら……というお遊びなのだろう。「直毛のジミヘン(ヤマジ)、原由子さん(山口)、チャーリー・ワッツ(矢壁)、シド・ヴィシャス(中原)、佐村河内守(メリィ)。そして私の名前は……慎ちゃんが考えてくれました。『ギターを弾かない長渕剛』だそうです!」
本編の最後は「レーダーマン」。戸川純名義のファースト・シングルであり、これもまたハルメンズの原曲を戸川が咀嚼したもう一つのオリジナルと言うべきナンバーだ。持てる全ての力を振り絞り、依然立ち上がったままの熱唱、熱演に魂が揺さぶられる。
当然の如くアンコールを求める観客の意気に応え、山口の独演にヤマジが加わり、二人の即興演奏がしばらく続く。遅れてメリィが参加し、さらに中原と矢壁が合流する。混沌の渦と化した重奏が聴き手の覚醒を促す。いつのまにか現れた戸川は「アンコールありがとうございます」と短く挨拶し、「パンク蛹化の女」へとなだれ込む。最初から戸川の椅子はない。下の階も上の階も客席の床が激しく揺れ、老若男女が拳を振り上げてオイ!の掛け声を連呼する。途中でよろけそうになる戸川はメリィの側にあるマイクスタンドやバンマスである中原の肩に寄りかかりながら唄う。その様はこの日最後の渾身の一撃であり、形骸化し様式美と化したパンクとは対極にあるパンク・スピリッツを戸川が未だ身に宿しているのが如実に窺えた。
Text: 椎名宗之
©iwah