[注目タイトル Pick Up] 再演と新曲で構成するホレス・アンディの新作はON-Uから / 内田光子が10年かけて積み上げてきた「ディアベッリ変奏曲」
掲載日:2022年4月26日
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注目タイトル Pick Up
再演と新曲で構成するホレス・アンディの新作はON-Uから
文/國枝志郎

 レゲエ・シンガー、ホレス・アンディは1951年、ジャマイカのキングストン生まれ。ルーツ・レゲエのシンガー・ソングライターとしてもう50年におよぶキャリアの持ち主である。その特徴的な声、ときには“ghostly(幽霊のような、ぼんやりした)”とすら表現される繊細でなおかつ説得力のある声は、数多いレゲエ・シンガーの中でも唯一無二の宝物のようなものだ。70年代から80年代にかけて、ホレスは多くのジャマイカのプロデューサーやレーベル(コクソン・ドッドのスタジオ・ワン、バニー・リー、キース・ハドソン、オーガスタス・クラーク、ロイド・バーンズなど)と輝かしいヒット曲を含む名盤を数多く生み出したけれど、その彼がより幅広いフィールドで認められる転機となったのは、90年代に入ってUKはブリストルのマッシヴ・アタックとのコラボレーションだった。91年のマッシヴ・アタックの名盤『ブルー・ラインズ』への参加によって、ホレス・アンディというシンガーは新たに若いファンにも認知されるようになったのである。
 その後もマッド・プロフェッサーやジャー・シャカ、スライ&ロビーなどと組んで順調にリリースを続けてきたホレス・アンディの最新作『Midnight Rocker』は、UKレゲエ / ダブ・シーンの最重要レーベルON-Uからのリリースとなった。もちろんプロデューサーはON-Uのボスであるエイドリアン・シャーウッド。ホレスの奥様はON-UからリリースしていたAKABUの元メンバーであるにもかかわらず(結婚を機にホレスはUKに移住している)、このアルバムがホレスにとってON-U / シャーウッドとの初邂逅であることはちょっと意外でもあったけれど、本作はそんな両者の幸せな出会いを証明するような素晴らしくディープで多幸感あふれる作品となった。アルバムはホレスがキャリア初期に録音した曲の再演と新曲で構成されているが、まず耳を引くのはマッシヴ・アタックの「Safe From Harm」のカヴァー。名作『ブルー・ラインズ』に収録されたこの曲のオリジナル・ヴァージョンで歌っていたのはホレスではなく、女性シンガー、シャラ・ネルソンだったのだが、ここではカヴァーというより新しい作品のように聴こえて新鮮だ。シャーウッドの控えめだが個性的なプロダクションは素晴らしく、ハイレゾ(44.1kHz/24bit)で聴くにふさわしいクオリティだが、やはりその中心にあるのはまぎれもないホレスの“声”の力。彼の歌声の静かな強さ、超自然的なコントロール、そして不穏なキャラクターが全面に押し出された『Midnight Rocker』は、間違いなく彼の最高傑作だ。


 スーサイドonハイレゾ(44.1kHz/24bit)! と聞いて色めきたつ輩がどのくらいいるのかはわからないけれど、やはりこれはおおごとであると言わざるを得ないだろう。1970年にニューヨークで結成されたスーサイドはアラン・ヴェガ(vo)とマーティン・レヴ(ドラムマシン、シンセサイザー)のふたりからなるデュオ形態のユニット。結成直後のライヴの広告で“パンク・ミュージック”というフレーズを使用したことでも知られているとおり、彼らの音楽はいわゆる“プレ・パンク”で、レヴのシンプルなキーボード・リフとドラムマシンに、ヴェガのつぶやきと時折神経質な“ヒェッ”という叫びが合わさった脈打つミニマルな電子音響である。その音楽はその後のニューヨーク・パンク、ひいてはその後のロンドン・パンク、ポストパンクにも多大な影響を与えたことでも知られている。バンドは21世紀に入ってからも活動を続け、2002年にはイギリスのMuteレーベルから5作目のアルバム『American Supreme』をリリースして気を吐いていたのだが、2016年にヴェガが亡くなったことでバンドは残念ながら終焉を迎えたのだった。だがその後もこのユニットを称賛する声は止むことなく、ここにそのデビュー・アルバム『Suicide』から5作目にしてラスト・アルバムとなった『American Supreme』までのアルバムからのセレクション14曲に、未発表曲2曲(「Girl〈unreleased Version〉」「Frankie Teardrop〈First Version〉」を加えた全16曲のベスト・アルバム『Surrender』が登場したのである。ちなみにファースト・アルバムのプロデュースはクレイグ・レオンだが、セカンドから4作目まではカーズのリック・オケイセックがプロデュースを手がけているといえば、スーサイドを聴いたことがない人でも興味を持つかもしれない。
 もとより最小人数のユニットであり、聞こえてくるのはミニマルなキーボード(オルガン、シンセサイザー)とチープなリズムマシンのパルス音、そして引き攣ったようなヴォーカルだけである。リマスターの効果はそんなにあるのか? と思って聴き始めてびっくり。とくにヴォーカルの過剰とも言えるリヴァーブ感が整理され、名曲「Dream Baby Dream」はその全貌を今回のリマスターで初めて露わにしたと言っても過言ではないくらいだ。これまた名曲「Frankie Teardrop」のオリジナル・ヴァージョンが入っていないのはちょっと残念だが、オリジナルより3分近く長くなった同曲のFirst Version(歌詞がオリジナルと違う)はやはり聴きもの。なお、フィジカル盤のライナーはレコード・コレクターとしても知られるブラック・フラッグ(ロリンズ・バンド)のヘンリー・ロリンズ、「Frankie Teadrop(First Version)」のショート・フィルムの監督が元ジーザス&メリーチェインのベーシスト、ダグラス・ハートであることも追記しておきたい。



 西アフリカのマリを拠点に、サハラ砂漠のトゥアレグ族のメンバーによって1979年に結成されたティナリウェンは、大人数のギター(6人ものギタリストを擁する)を中心としたマリの音楽“ティシュマレン(Tishoumaren / 無職の人の音楽、の意)を演奏し、高い評価を受けているグループだ。彼らの音楽は、パーカッシヴでロックな“砂漠のブルース(デザート・ブルース)”と呼ばれ、しばしば社会問題や政治問題を取り上げている。アルジェリアとリビアの難民キャンプから生まれたこのグループは当初、地域市場向けにカセットテープでアルバムを発表していたが、2001年にイギリスのギタリスト、ジャスティン・アダムス(元ジャー・ウォブル&インヴェイダーズ・オブ・ザ・ハートのメンバーでもあり、ピーター・ガブリエルやナターシャ・アトラス、シネイド・オコナーなどとの仕事でも知られている)とLo’Joのプロデュースで制作したアルバム『The Radio Tisdas Sessions』で世界的に知られるようになった。その後ティナリウェンはWOMAD、グラストンベリー、コーチェラなどの主要フェスティヴァルで演奏する国際的なツアー・アクトとして注目を集め、2011年のアルバム『Tassili』でグラミー賞を受賞し、西洋のミュージシャンと多くのコラボレーションをおこなって人気を博したのである。
 ティナリウェンの音楽はアフリカン・ミュージックをロック的なリズム、ギター、声という基本的な構成にうまく落とし込んでいる。マリの“デザート・ブルース”が出自ではあるが、ギター・リフやリックでリスナーを魅了するローリング・ストーンズと同じレベルのロック・バンドと言ってもいいという声さえある。ロック・ファンにファンが多いのも頷けるのだ。
 そんな彼らの世界流通第1作『The Radio Tisdas Sessions』と第2作『Amasskoul』の2枚が相次いでリマスターされ、ハイレゾ化(88.2kHz/24bit)された。いずれもハイレゾにふさわしいサウンドで、世界進出をかけた彼らの名刺がわりとも言える第1作、より複雑化し、サイケデリックな感覚やドローン的な瞑想感をも醸し出す第2作、どちらもすばらしい。第3作以降のハイレゾ・リマスターも待ち遠しい!

内田光子が10年かけて積み上げてきた「ディアベッリ変奏曲」
文/長谷川教通

 内田光子がついに「ディアベッリ変奏曲」を収録した。誰もが認めるベートーヴェン後期の傑作ではあるけれど、とにかくピアニストにとっては休むことなく弾き続けて1時間近くもかかる大作であり、作曲技法のすべてを注ぎ込んだ複雑で精巧に組み上げられた33の変奏をどう読み解くのか、肉体的な体力はもちろん精神体力や経験のすべてを問われる作品だけに、ピアニストにとって究極の挑戦だろうと思う。内田光子にとっても「弾かないわけにはいかない」作品に違いない。2013年からコンサートで弾き始め、コンサートのたびに圧倒的な評価を得てきた内田が、およそ10年をかけて積み上げてきた成果を録音してくれた。2021年10月、サフォーク、スネイプ・モルティングス・コンサートホールでの収録だ。
 1819年に出版業を営んていたアントン・ディアベッリが自身で作曲したテーマを使った変奏を、当時の売れっ子作曲家50人に依頼して、それを集めて曲集にしようと考えたらしい。ベートーヴェンは“ヘンテコなワルツだな”と思ったらしいが、それを契機に世紀の大傑作が生まれたのだから面白い。内田の弾く冒頭のテーマ。「うわー巧い! ちっともヘンテコじゃない」と言いたくなるほど優雅で心地よいテンポで聴かせる。第1変奏はスケールが大きく堂々と進行するが、猛々しさとは無縁の優しさがにじみ出す。それぞれの変奏で浮き沈みさせる旋律線は多様で、とくにピアニシモとメゾピアノの間で変化させる表情がすばらしい。しかも和音の響かせ方がみごとで、第12、13変奏あたりで高く低く飛躍する和音が強弱自在に展開する。すでに聴覚を失っていたベートーヴェンの脳内では、こんな和音が鳴っていたんだと、思わず胸が熱くなる。これはオーディオ的にも聴きもので、小レベルでの反応の良さやリニアリティと解像感がわかる。内田は33の変奏というより、人生のさまざまな変化や精神的な苦しみや哀しみといった心の変容を、わずかな音量や響き、微妙なタッチのコントロールで表現しているし、それが克明に録音されている。これこそハイレゾ音源ならではの良さ。音楽ファンにもオーディオ・ファンにも、ぜひハイレゾで聴いてほしい。必携のアルバムだ

トリオ・クロノス
『Späte Liebe』


(2017年、2019年録音)

 演奏の善し悪しって、優れた演奏、立派な演奏、好きな演奏……ほんとにさまざまだ。とくに室内楽の場合は、ビックネームが集まったからといってうまくいくとはかぎらない。『Späte Liebe』というアルバムを聴いて、そんなことを考えてしまった。直訳すれば“遅い愛”。うん? と思ってプログラムを見ると、そうかブラームス晩年の「クラリネット三重奏曲」と「クラリネット五重奏曲」を収録している。作品114と作品115、どちらも1891年夏に作曲された姉妹作と言える作品だ。晩年といっても60歳前だから、現代ならまだまだの年齢なのだが……。初演当時は五重奏曲の評価があまりに高かったのに比べれば三重奏曲はイマイチだったようで、ブルームス自身は「三重奏曲のほうが好きだ」と少々不満に思っていたらしい。それなら、まず三重奏曲を聴くことにしよう。トリオ・クロノスはケルンのWDR交響楽団のメンバーが中心になって活動している。このオケ、かつては若杉弘が指揮していたり、オーボエの宮本文昭も在籍していたし、このアルバムで五重奏曲のヴィオラで加わっている村上淳一郎も首席奏者をつとめていた。ちなみに彼は現在はNHK交響楽団に在籍している。クラリネットはアンドレアス・ランゲンブッフ。ピアノはゴットリープ・ウォリッシュ。日頃からいっしょに音楽作りを行なっている仲間ならではの親密さがあって、しみじみとした情感が伝わってくる。名人芸とか、そういう尺度では測れないアンサンブルの妙味。ブラームスらしく渋い響きなのだが、重すぎることなくどこか淡いながら差し込む光や透明感が感じられて「五重奏曲に劣らずいい曲だな」と聴き入ってしまう。ピアノもガンガンと弾いてしまうことがなく、互いの呼吸を感じながらバランスをとっている。その協調性がとても好ましい。五重奏のほうもメンバー同士の相通じる美意識で、楽器間の会話のやりとりが親しく交わされる。クラリネットの聴かせどころで有名な第2楽章でも、あざとく才気を見せたり、あるいは自己主張することなく、しっとりとした旋律を奏でて、それが弦の音色と穏やかに調和している。こういうブラームスって好きだな。



 現役最高のモーツァルト・テノールとも評されるドイツのダニエル・べーレ。1974年、ハンブルク生まれというから、40歳代の後半。歌手としては絶頂期と言えるかもしれない。バロックからモーツァルトのオペラ、さらにはリート歌手としても評価は高い。ウィーンやフランクフルトで活躍し、2017年にはバイロイトに初登場。ドイツの正統派テノールとして人気も急上昇だ。今回はシューベルトの「冬の旅」と「白鳥の歌」を聴こう。どちらの曲集もバリトンやバスバリトンの低い声で深々とした寂寥感や屈折した情感を表現することも多いけれど、ベーレのような艶と伸びのあるテノールで聴くと、歌に込められた哀しみも希望も聴き手にまっすぐに伝わってくる。「影法師」などもう聴き手の心にグイグイと浸透してくる。切り詰められた音符による歌の訴求力の強さにうろたえてしまう。
 興味深いのが伴奏で、「冬の旅」ではベーレ自身の編曲によるピアノ三重奏との協演ヴァージョンに加え、オリジナルのピアノ・ヴァージョンの2種類が収録されている。ピアノ三重奏にすることで、音色の多様性と弦の響きが加わることで一曲一曲に内包する多彩な心の移ろいを描き出せるという意図だろう。ベーレの声の低音域は思いのほか厚みがあり、高音域には輝かしさの中にも芯があって表現の幅がきわめて広いので、こうした協演が効果的なのはたしかだ。この録音は2013年なので、ベーレの声にはより張りがあって、弦楽器が醸し出すわずかな色彩感はあってもいいのかもしれない。もちろん「幻の太陽」や「ライアーマン」などはほとんどモノクロームの世界。徹底的に研ぎ澄まされた声とピアノによる色のない表現もまたいい。
 一方の「白鳥の歌」の録音は2019年。こちらはオーストリア生まれの作曲家アレクサンドル・クランペの編曲による室内管弦楽団ヴァージョンが採用されている。フルート、クラリネット、ファゴットにアコーディオンとギター、それに弦楽五重奏とコントラバスという編成だ。「冬の旅」とは違って、ストーリー性がある曲集ではないので、なるほど響きの多彩な変化によって詩の内容を表現したいという意図がはっきりと聞こえてくる。とても面白い。さらにシューマンの「詩人の恋」も収録されており、こちらの出来も注目だ。ベーレの歌い方はとても滑らかで、オケとの親和性は高く、オケと声が融け合って、揺れるような心の風景を抒情性豊かに描き出している。

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