[注目タイトル Pick Up]デヴィッド・シルヴィアンらが坂本龍一の音楽の新しい世界を現出させる / ガット弦を張った庄司紗矢香がモーツァルトの核心を突く
掲載日:2022年12月27日
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注目タイトル Pick Up
デヴィッド・シルヴィアンらが坂本龍一の音楽の新しい世界を現出させる
文/國枝志郎

 12月11日と12日に配信された坂本龍一のピアノ・ソロ・コンサート「Ryuichi Sakamoto: Playing the Piano 2022」を聴き、何かしら書き止めようかと思ったものの、筆はいっこうにすすまなかった。なにかきっかけになればとまだ未聴だったこの坂本龍一トリビュート・アルバムのハイレゾ(48kHz/24bit)をなんとはなしに聴きはじめたのだったが……これが思いのほかすばらしい作品だった。
 古希(70歳)を迎えた坂本に捧げられたこの作品集は、もともとは坂本本人には内緒で制作がすすめられたサプライズ・アルバムだったという。参加したアーティストはアルヴァ・ノトやCornelius、大友良英、フェネスといったこれまで多くのコラボレーションを坂本と行なってきた友人たちから、サンダーキャット、デヴォンテ・ハインズ(ブラッド・オレンジ)、ヒドゥル・グドナドッティル、リム・ギョン、ガブリアル・ウェクなど。ちなみにアルバムに先行して配信された2曲のうち、坂本の代表曲である「戦場のメリークリスマス」のリモデルは、2008年から活動するカナダのシンセ・ポップ・デュオ、エレクトリック・ユースが手がけているのが目を引いた。2017年の坂本のソロ・アルバム『async』のリモデル・アルバム『ASYNC-REMODELS』にも参加していたエレクトリック・ユースは思いのほかストレートにこの名曲をリモデルしていて好感が持てる。
 もちろんどのアーティストも真の愛情をもって坂本の楽曲をリモデルしているけれど、アーティスト本人のカラーを消すことなく、新しい坂本ミュージックの世界を現出させることに成功しているという点でこのリモデル集はすばらしい。中でも個人的には、10年ぶり(!)に歌を披露したデヴィッド・シルヴィアンによる「Grains(Sweet Paulownia Wood)」(原曲はアルヴァ・ノトと坂本龍一の共作)と、そのシルヴィアンが「戦場のメリークリスマス」に歌詞を付けた「Forbidden Colors(禁じられた色彩)」の、ガブリアル・ウェクによるベーシック・チャンネル的なダブ工作にたまらなく惹かれる。
 本作を聴きながら、2023年初頭に出るという坂本の新作を待ちたいところである。


 これは80年代のUKロック、とくにいわゆるニュー・ロマンティック・ムーヴメントに惹かれたひとなら絶対反応するアーティスト・ネームではなかろうか。ザイン・グリフ。ニュージーランド出身ながらおもにロンドンで活躍し、デヴィッド・ボウイにも認められて彼のバンドの一員になったり、そのファースト・アルバム『Ashes and Diamonds』をボウイのプロデューサーでもあったトニー・ヴィスコンティがプロデュースしていたり、のちに映画音楽界の巨匠となるハンス・ジマーがアルバムに参加していたり(セカンド・アルバム『Figures』はジマーがプロデュース)と、その貴公子然としたルックスも相まって80年代には絶大な人気を博したシンガーである。セカンド・アルバム発表後はニュージーランドに戻ったが、今世紀になってから3枚のソロ・アルバムを発表し、2014年には初来日公演も行なっている、今でも現役のアーティストでもある。
 そんな彼の、『Mood Swings』(2016年)以来となるフル・アルバムのハイレゾ(44.1kHz/24bit)を含むリリースが実現したのだが、おそらく80年代にザイン・グリフの動向を追っていた人であれば、そのタイトルにある“Helden”“Spies”という単語を見て驚くはず。そう、“Helden”とはハンス・ジマーとウォーレン・カン(ウルトラヴォックス)が、ヴォーカリストとしてザイン・グリフを誘って結成されたプロジェクトであり、“Spies”は、その完成されなかったアルバムのタイトルなのだから。まさか、あの幻のアルバムがついに陽の目を見た?
 だがよく見れば、このアルバムのメイン・アーティストはザイン・グリフであり、アルバム・タイトルは『The Helden Project // Spies』と、似て非なるもの。じつはこのアルバム、当時完成されなかった『Spies』をそのまま世に問うたのではなく、残された音源をザイン・グリフが解析し、当時の音源も生かしつつ新たにシンセやその他の楽器をダビングして作り上げた前代未聞のアルバムなのだ。
 だから、このアルバムにおいては作曲のクレジットはハンス・ジマーとウォーレン・カンで、ザイン・グリフはあくまでもヴォーカリストである。だが、この『The Helden Project // Spies』はザイン・グリフのトータル・プロデュースによって作り上げられたアルバムであり、だからこそ彼のソロ・アルバムとして世に出る意味があったのだ。流麗な80'sニューロマ・サウンドを現代にアップデートしてこうして我々の元に届けてくれたザイン・グリフの執念には感謝しなければならないだろう。


 アメリカはオクラホマ・シティで1983年に結成されたサイケデリック・ロック・バンド、フレーミング・リップスの10作目にあたるスタジオ・アルバム『Yoshimi Battles The Pink Robots』が、なんと発売から20年だという。時が経つのは何と早いことか……などと感慨に耽っている場合ではない。この20周年記念デラックス・エディション、なんと100曲入りなんですよ、そこの人! オリジナル・アルバムの11曲に、さらに89曲が追加って……。しかも、追加された89曲はシングルのBサイド曲やデモ・トラック、リミックス音源、ラジオ・セッション、当時のライヴ音源なのだが、そのうち50曲以上が未発表音源という豪華さなのである。もともとこのアルバムのオリジナルは、彼らが結成当初から追い求めてきたマジカルで遊び心いっぱいのサイケデリック・サウンド、アナログ感満載のギター・ロックにアンビエントな電子音響やデジタル・ビートが融合し、彼らの作品の中でももっとも成功したと言ってもいい一枚だったが、なんと言ってもこのアルバムは、彼らにグラミー受賞というポップ・ミュージシャンにとってはこのうえない栄誉をもたらしたアルバムでもあり、彼らの盤歴の中でも突出した作品。それがこうして一大集大成的なスペシャル・エディションとなって我々の元に届けられると、やはり圧巻と言わざるを得ない。
 それにしてもこの100曲、どれをとってもフレーミング・リップス色が濃すぎて笑ってしまうほどだ。そもそもこれだけ曲が多いのに捨て曲がないことに驚愕。デモ・トラックですら、シンガー / ギタリストのウェイン・コインと、マルチ・プレイヤーのスティーヴン・ドローズの才能がダダ漏れで圧巻だし、ピンク・フロイドやレディオヘッド、カイリー・ミノーグなどのカヴァーも、彼らしかできないスタイルに染め上げられている。そしてアルバム後半、ほぼ全体の半分を占めるライヴ・トラックは、ラジオ・セッションと、2002年のボストン、そして2003年のロンドンで開催されたライヴで、とくに2ヵ所でのライヴ・テイクがほんとうに最高だ。このオクラホマが生んだ稀有なロック・バンドのサイケデリック・ワールドがいかに熱狂的な支持を受けているのかがよくわかる。これを全曲ハイレゾ(96kHz/24bit)で出してくれたバンドとレーベルに大感謝。年末年始はこの100曲に浸りたい。

ガット弦を張った庄司紗矢香がモーツァルトの核心を突く
文/長谷川教通

 庄司紗矢香が弾くモーツァルトのヴァイオリン・ソナタに、音楽ファンはどんな期待をしていただろうか。ピアニストは2009~2014年にかけてベートーヴェンのヴァイオリン・ソナタ全集でもパートナーを組んだジャンルカ・カシオーリだ。ベートーヴェンではモダン・ヴァイオリンとピアノを使った演奏だったが、このモーツァルトではヴァイオリンにガット弦を張っている。ガット弦といっても、ガットに金属線を巻いたものではなく、4弦とも生ガットだ。しかもカシオーリはピアノフォルテを弾いている。だからといって、バロック時代のピリオド奏法なの? ……と思ってしまうかもしれない。まずは聴いてほしい。ソナタK.304 ホ短調。このソナタからアルバムをスタートさせるのはよほどの思い入れがあるからなのだろう。庄司は初めてガット弦を張ったとき「はっ、この音色……」と感じたという。モーツァルトの音楽が持つ軽やかさと、その対極にある深い哀しみ、そのかぎりなくピュアな情感を表現するにはこれだと、ガット弦に可能性を見たのだった。それからが大変な苦労。たんにピリオド奏法に倣うつもりはもちろんない。当時のヴァイオリンの教本を調べ上げ、どういう奏法をしていたのかを探っていったのだった。
 まず、アンサンブルのバランスはモダン楽器の時とはまったく違う。カシオーリの弾くピアノフォルテはモーツァルトやベートーヴェンの時代にウィーンで使われていたヴァルター製の復元楽器だが、これがいい音。低音部は強い音も温かみのある響きも出せるし、高音部は短い音が軽やかに戯れるし、その響きにのってヴァイオリンが飛翔する。ノンヴィブラートだがバロック弓による単調な表情とは違って、強弱の幅が大きい。ささやくような音色からグーンと伸びてくる鮮鋭な音色まで、表現の幅がすごい。庄司の使う弓はクラシカル弓と言われるもので、バロック弓とモダン弓の中間の性格を持っている。モダンのように反りはあるが張力はそれほど強くない。この組み合わせで練習を重ねて、みずからが求める奏法をマスターしたという。美しく艶やかに鳴るモダン楽器ではなく、ガットならではのわずかにザラついた肌合いの響きにモーツァルトの多彩な表情を託し、ときには痛切な哀しみを表現する。これほどモーツァルトの核心を突いた演奏があっただろうか。音楽ファンの期待を遙かに超えている。もう「モーツァルトのヴァイリン・ソナタはヴァイオリンのオブリガート付きのピアノ・ソナタだ」なんて言わせない。音符の数だけで評価などできるわけはない。庄司紗矢香の弾くヴァイオリンの表現力、その鮮烈な存在感はこれまで聴いたことがないほど聴き手の心を揺さぶるのだ。このアルバムが“VOL.1”であれば、庄司さん、次のアルバムではどの曲を聴かせてくれるのですか。


 2021年のリーズ国際ピアノ・コンクールを制したアリム・ベイセンバエフ。1998年生まれだから、このとき23歳。カザフスタン出身で10歳の頃にモスクワ音楽院に入学しだが、その2年後にはイギリスに渡って、王立音楽院、王立音楽大学に進んでいる。ウクライナはもちろんのこと、最近では旧ソ連から独立した東&中央アジアの国から優れた音楽家が出て注目されるが、いよいよカザフスタンからも逸材が登場してきた。リーズのコンクールでは審査委員長のイモージェン・クーパーも絶賛したという。そのデビュー・アルバムにリストの「超絶技巧練習曲集」を弾くというのだから、それだけの自信があったのだろうし、挑戦的で意欲あふれる取り組みに感心させられる。
 第1曲目からガガーンと鳴らす低音域のものすごいパワー感と、鍵盤上を高速で駆け回るすさまじいテクニックで聴き手を圧倒し、ロシア的な巨大なスケールと激しい音圧で聴かせるピアニストなのかと思わせる。ところが第2番ではじつに繊細なタッチで、高音域がクリアでブリリアント。強力な打鍵とのコントラストが鮮やかだ。第3曲ではまるで束縛から解き放たれたように自由で美しい歌い回し。さらに曲が進むにつれて、ピアニシモからフォルテシモまで、その幅をめいっぱい使って自在に音が駆け巡る演奏に息つく間がないほどだ。若く才能豊かなピアニストが果敢に挑戦した全12曲、魅入られたように聴き通してしまう。そしてエンディングには「かろやか(3つの演奏会用練習曲 S.144より第2番)」と「慰め 第3番 S.172」がプログラミングされている。とくに後者の抒情的で透明感のあるピアノに、彼の表現力の多彩さを見出すことができる。2022年4月、ロンドンのSt.Jude on the Hillで行なわれた録音だが、弱音がとてもきれいで、その一方で空間が飽和してしまいそうなピアノの激しい鳴りも混濁感なくダイナミックに録られている。オーディオのチェック用としても使える優秀録音だ。




 「裸足のトランペッター」のキャッチフレーズで知られるルシエンヌ・ルノダン=ヴァリ。フランス出身で、まだ20代前半という注目のトランペット奏者だ。ステージに裸足で登場するのは倍音を感じとって、身体全体を使って吹いているからだとか。とても小柄でトランペットをバリバリと鳴らしてしまうんだから、「まるで妖精みたい」と言われるのもわかる気がする。その落差がまた人気の秘密なのだろう。2019年の来日時は辻井伸行との共演も行なって喝采を浴びている。
 今回は96kHz/24bitのハイレゾ音源で配信されている3タイトルを聴くことにしよう。彼女のデビュー・アルバムは『ザ・ヴォイス・オブ・ザ・トランペット』。「トランペットは私の声」とルシエンヌは言う。大好きな曲をずらりと並べたラインナップだ。デビュー・アルバムにふさわしい曲を……なんて考えていない。彼女は2014年にパリ国立高等音楽学校に入学しているが、なんとクラシックとジャズ両方のトランペット科を選んでいるのだ。ところが、基礎的な練習はもちろんやるけれど、いわゆる練習曲というものを吹いたことがないのだという。とにかくジャンルにこだわることなくいろんな演奏を聴いて、自分の中にしっかりと取り込み、それから楽譜と向き合うのだとか。この自由さ、奔放さがいい。アルバムでもリール国立管をバックにバロックやオペラからミュージカル、ポピュラー音楽まで多彩な曲がプログラムされている。録音は2016年だから、このとき18歳。驚異的なテクニックと表現力を聴かせている。ドニゼッティの歌劇『ドン・パスクヮーレ』の「哀れなエルネスト」ではテノールのスター、ローランド・ビリャソンまで登場する。エンディングは、敬愛するジャズ・トランペッターのチェット・ベイカーの演奏する「マイ・ファニー・ヴァレンタイン」が大好きで、どうしても入れたかったのだという。
 セカンド・アルバムは『マドモワゼル・イン・ニューヨーク』で、アメリカとフランスをメインにしたプログラム。2019年の録音で、ラヴェルやガーシュウィンなどヨーロッパとアメリカの近代作品を演奏する。ルシエンヌの特長は、自由で奔放に感じられるけれど、だからといってアクロバティックな、あるいはノイジーな吹き方をするといったパフォーマンス的なところがなく、むしろ吹き方はオーソドックス。あえて言うなら、そのことが多彩なジャンルの作品からルシエンヌ流の感覚を吹き込んだエキサイティングな音楽を奏でることができる源泉なのだと思う。
 それは最新録音『ハイドン、フンメル、アルチュニアン 他:トランペット協奏曲集』の名人芸にもつながってくる。バロック期のネルーダ、古典期のフンメルやハイドン、そして1950年代のアルチュニアン、ジャズ畑のハリー・ジェイムスによるトランペット協奏曲。ルシエンヌでなければ組めないプログラムだろう。フンメルやハイドンではB♭の温かみのある音色がすばらしい。技術的には難しいはずなのに、あえてB♭管で吹くというのも、それが身体に覚え込ませた感性が求める音色だったのだろう。オケはミヒャエル・ザンデルリンクが指揮するルツェルン響。みごとなサポートだ。最後にはハイドンの協奏曲のテーマによる即興演奏。これは予定にはなかったハプニングだったらしい。愉悦感あふれるアルバムに仕上がっている。

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