[こちらハイレゾ商會] 第115回 坂本龍一が日記のようにスケッチした音楽『12』
掲載日:2023年5月9日
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第115回 坂本龍一が日記のようにスケッチした音楽『12』
絵と文 / 牧野良幸
坂本龍一さんが3月に逝去された。71歳だった。
訃報が伝わってから坂本龍一さんを惜しむ声が世界中で上がっている。僕は坂本龍一さんの訃報に接して1996年の武満徹の逝去を思い出した。あの時は朝刊の一面に載った訃報にショックを受けた。CDでよく音楽を聴いてきた同時代の作曲家が亡くなったことに、しばらく心の中に穴が空いたような気がした。今回インターネットのニュースで知った坂本龍一さんの逝去にも同じような喪失感を覚えている。そこで今月は坂本龍一さんのハイレゾ『12』を取り上げたい。
『12』は坂本龍一が71歳の誕生日を迎えた2023年1月17日にリリースされた。坂本龍一はアルバムに先立ち2022年末にはピアノソロコンサートの配信もしており、健康状態が上向くことを願っていたのだが、残念ながら『12』が最後のリリース作品になった。
『12』はがんとの闘病生活をしていた坂本龍一が日記を書くようにスケッチしていった録音から12曲を選んでアルバムにしたのだそうだ。
録音は東京の仮住まいの家で行なわれたという。大きな手術をした後、入院を終え体力が少し回復してきた時に、シンセサイザーやピアノに触れることから録音が始まったのだそうだ。坂本龍一のインタビューによると曲は一筆書きのようにして作られたと言う。あえて何も施さず生のまま提示している、とのこと。
しかし中には推敲をしている曲もあるとも言っている。トラック8「20220302 - sarabande」、トラック9「20220302」、トラック11「20220404」がそれにあたる。トラック8だけ“sarabande”と付記が付くのは、サラバンドの舞曲のイメージを持ってもらいたいからなのだそうだ。
曲は特定のタイトルを持たず、制作された日付がタイトルになっている。アルバムはそれらを時系列に並べている。トラック1の「20210310」が一番日にちが早い。2021年3月10日の制作ということになる(今から2年前だ、ついこの間。その時自分は何をしていただろうかと思う)。そのあとトラック11「20220404」まで日付順に並んでいる。最後に置かれた「20220304」だけ日付順ではないが、これはアルバムの最後にふさわしい曲なのでここに置いたとのこと。
制作した日をタイトルにする方法は現代美術でもあるのでことさら珍しいことではないが、僕が日付にこだわってしまうのは、それらが闘病生活の中で制作されたからだ。どうしても作曲家の体力や心の状態まで思いめぐらしてしまう。ちょうど晩年の武満徹が病床で料理のレシピをノートに書きためていたように、坂本龍一も体調を見ながらその時にできる仕事をし、続けたのではないか。その中の12曲が『12』というアルバムとして残された。
アルバムが始まるとシンセサイザーが湧き上がるように音楽を紡いでいく。ちょっと聴くとアンビエント・ミュージックのような音楽なのだが、坂本龍一らしく抒情性のある音楽だ。YMOの活躍した時代と違って、今日ではさすがにシンセサイザーを人工的な音ととらえることはないが、坂本龍一の紡ぎ出すシンセサイザーには温もりを感じる。
ピアノによる曲もある(バックにかすかなシンセサイザーの音が重なる)。シンセサイザーの曲が浴びるようなサウンドなのに対して、ピアノ曲は雨だれが水面に落ちるような音の連なり。音は波紋のような残響を残して次の音へとつながっていく。
ときおり音楽とは別に椅子がきしむような音や人の息遣いのような音が聞こえる。突然音楽の中に飛び込んでくると聴く者をハッとさせるが、これも音楽の一部だ。坂本龍一の晩年のある日の仕事(坂本龍一は午後に仕事をしていたらしい)が切り取られていることを、あらためて実感する。
このようにして残された『12』を、われわれがオーディオ・システムで聴くということはどういうことなのか。
シンセサイザーの調べから小川のせせらぎを連想したり、深い精神世界を連想する。または坂本龍一の肉体を通じて別のところから降りてきた音楽にも感じる。時間も永遠に続くようにも思えれば、今日はここまでと筆を置いたと感じる曲もある。ひっきょうリスナーは自由に聴けばいいのだろう。
低域が伸びる曲ではオーディオ的にも押し出しがすごい。ハイレゾを聴くようなオーディオ・ファンのシステムなら分厚い音になることだろう。ヘッドフォンで聴くのもいいかもしれない。

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