[こちらハイレゾ商會] 第119回 バッハ・ファミリーによる“マニフィカト・アルバム
掲載日:2023年9月13日
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第119回 バッハ・ファミリーによる“マニフィカト・アルバム”
絵と文 / 牧野良幸
イギリスのクラシック専門インデペンデント・レーベル、ハイペリオン(Hyperion)がハイレゾ配信を始めた。
ハイペリオンはメジャー・レーベルとは一味ちがうラインナップで人気のレーベルだ。僕もピリオド楽器によるモーツァルトの室内楽のCDを90年代によく聴いた。当時、ピリオド楽器の録音はオーケストラが多く室内楽は少なかったからハイペリオンのCDは貴重だった。ジャケットデザインも上品で、そんなところも好みだった。
そのハイペリオンの音源がハイレゾで配信されるようになった。あいかわらず魅力的なタイトルが並ぶが、今回は『バッハ・ファミリーによるマニフィカト集~J.S.バッハ、J.C.バッハ、C.P.E.バッハ』を選んだ。指揮はジョナサン・コーエン。演奏はピリオド楽器アンサンブルのアルカンジェロである。録音は2015年。
本作にはJ.S.バッハの有名な宗教曲『マニフィカト』と、J.S.バッハの息子C.P.E.バッハ(カール・フィリップ・エマニエル・バッハ)とJ.C.バッハ(ヨハン・クリスティアン・バッハ)による『マニフィカト』が収録されている。
J.S.バッハの『マニフィカト』は30分ほどの曲なので、アルバムに収録の際、かならず何かとカップリングになる。バッハの他の宗教曲やヴィヴァルディの宗教曲などがあろう。しかしこのハイレゾのようにバッハ・ファミリーによる“マニフィカト・アルバム”というのはめずらしい。
僕は昔から『マニフィカト』が大好きである。もちろん親父さんの『マニフィカト』だ。バッハには『マタイ受難曲』など有名な宗教曲があるが、その中で断然聴くことが多い。30分ほどの短い演奏時間のなかに、バッハらしい高揚感、華やかな響き、親しみやすい合唱、しっとりした独唱などがあふれている。手っ取り早くバッハを聴いて過ごしたい時など、『ゴルトベルク変奏曲』や『ブランデンブルク協奏曲』などと並んで選んでしまう曲である。
一方でバッハの息子たちの音楽は……聴いたことがない。それクラシック・ファンとしてどうよ、と問われると返す言葉もない。録音もけっして少なくないと思うのだが、“バッハ”の文字の前に“C.P.E.”や“J.C.”がついた途端、どうしても音楽史のモードになってしまい、音楽を聴きたい気持ちになれなかった。
その音楽史の話になるけれど、二人の息子のことを簡単に説明したい。
J.S.バッハ(“大バッハ”)は二度結婚し、たくさんの子どもをもうけた。その中でC.P.E.バッハは最初の妻との間にできた次男。J.C.バッハは2番目の妻アンナ・マクダレーナとの間にできた末っ子だ。二人は異母兄弟であり、年齢は父と子ほどにも離れている。末っ子のヨハンは兄カールの庇護と教育を受けて育った。
二人とも生きている時に音楽家として大成したらしい。次男C.P.E.バッハは“ベルリンのバッハ”と呼ばれた。末っ子のJ.C.バッハはイギリスにわたり“ロンドンのバッハ”と呼ばれた。モーツァルトが幼少のときにロンドンで青年のJ.C.バッハに会って仲良しになった話は有名だ。そんな逸話もバッハの息子を音楽史の人物にとどめてしまう原因かもしれないが……。
音楽史はこれくらいにしてハイレゾを聴いてみよう。
最初は大バッハの『マニフィカト』。昔から好きな曲なのでカール・リヒターからピリオド楽器まで楽しんできたが、この演奏も申し分ない。カウンターテナーのイェスティン・デイヴィスは注目の人らしい。アメリカのソプラノ、ジョエル・ハーヴェイ、オランダのメゾ・ソプラノ、オリヴィア・フェルミューレンの歌声もなかなかだ。
アルカンジェロも初めて聴いたが力強い弦楽器である。現代のピリオド楽器録音にしてはわりと至近距離の音で収録されているせいかもしれない。歌手も目の前で歌っている感じだ。往年のデッカ録音が好きな方は好みではあるまいか。それでも2015年録音らしく残響成分が豊かだから、臨場感は申し分ない。
大バッハの『マニフィカト』の次は、いよいよ二人の息子の『マニフィカト』である。
まず末っ子のJ.C.バッハの『マニフィカト』が収録されている。冒頭部分を聴いただけでJ.C.バッハへの偏見が吹き飛んでしまった。まるでモーツァルトの青年期のオペラのようだ。この連載の第103回に書いた歌劇『ルーチョ・シッラ』を思い出してしまった。躍動する弦楽はオペラの序曲のような華やかさ。続く独唱と合唱もオペラのような旋律を歌う。
J.C.バッハはオペラの作曲家としても有名だったというから、そんなところからもモーツァルトを連想したのかもしれない。モーツァルトにしても宗教曲は(『レクイエム』は別だが)オペラ風と感じる部分があると思うから、やはり古典派の音楽家に共通する何かがあるのだろう。宗教的な部分も多く出てくるけれども、とにかく聴きやすい。演奏時間も短く、大バッハの『マニフィカト』に続けて退屈することなく聴けてしまった。
退屈しないで聴けるのは3番目に収録されているC.P.E.バッハの『マニフィカト』でも同じだった。
こちらも冒頭の華やかな音楽で宗教曲という気構えをほぐしてくれる。C.P.E.バッハは親父さんにまだ年齢が近いせいか、また同じドイツで活躍したせいか、“大バッハ”の血を受け継いでいる印象があるものの、ヘンデルらしいところもあればオペラのようなアリアもある。同じラテン語の歌詞を使っていると思うが、同じ曲でも親父さんの曲より明るい。
C.P.E.バッハが没したのは1788年で、弟のJ.C.バッハより長生きしたし、モーツァルトの死去のわずか3年前ということを考えると、C.P.E.バッハも前古典派、古典派の音楽家となる。というか彼もまたモーツァルトと同時代の人と思うと親しみがグッとわく。
あいにく僕はバッハの息子たちの音楽を専門的に解説することはできないが、少なくともクラシック音楽好きとしては、親父さんの音楽と同じようにステレオで聴いて楽しめる音楽ということはわかった。どうりで録音もそれなりにあったわけである。これまでの食わず嫌いを反省し耳を傾けていきたいと思う。
そういえばキース・ジャレットがC.P.E.バッハのピアノ曲を録音した『Carl Philipp Emanuel Bach』が6月にECMからハイレゾ配信されている。まずはここからか。

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